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「心と魂の関係」(大川隆法著『太陽の法』ポイント解説⑧)

この記事に目を通して下さり、本当にありがとうございます!

私の記事では、大川隆法先生累計3500回の法話3100冊以上の著書から、おすすめポイントを紹介しています。

現在、大川隆法著「太陽の法」のポイント解説に挑戦しています!

2024年、「何か一冊オススメ書籍は?」と訊かれたら、間違いなく『太陽の法』をおすすめさせていただきたいです。



「太陽の法」

(引用:公式サイト

『太陽の法』は幸福の科学の基本書かつ最重要経典です。

大川隆法先生は、1986年7月に大手総合商社を退社・独立後、わずか19日間で、自動書記にて、この『太陽の法』を書き上げたと言われています。

(自動書記とは、天上界の啓示を受けて、ひとりでに文章を綴っていくような状態です。)

つまり、この『太陽の法』こそが、華々しい経歴を誇ってきた大川隆法先生が、学歴や出世街道など、約束されたエリートとしての未来全てを投げ捨ててでも書きたかった、真理の一書、ということになります。

以後、『太陽の法』は当会の根本経典として、30年以上もの間、人々の心を潤し続け、世界23言語で発刊の大ベストセラーとなっています!

人類の永遠の疑問への答えを明確に説き明かした「太陽の法」。
その魅力の一端なりとも、このnoteにてご紹介できれば、この上なく光栄です。

この一冊と出逢うために、あなたは生まれてきた―。

その言葉の意味を噛みしめながら、このnoteで出会ったすべての皆さまに、愛をこめて、『太陽の法』との出会いを贈ります。

第6回目となる今回は、『太陽の法』第2章「仏法真理は語る」から、第7節「心と魂の関係」をご紹介します。

以下、書籍からの抜粋となります。


心は魂のなかの中核部分

私はすでに、意識という言葉、霊という言葉、さらに、魂という言葉を使ってきました。

これらの言葉の使い方は、必ずしも厳密なものではありませんが、意識→霊→魂となるにつれて、だんだんに人間的属性が強くなってくると考えていただいてけっこうです。

それでは、魂と心とは同じなのか、ちがうのか。

そのことについて、説明していきましょう。

結論からいえば、心とは、魂のなかの中核部分だといえます。

人間の身体の中心に心臓があるように、魂という人体に相当する霊のなかには、心という中心部分があるのです。

心とか、魂とか、普段はあまり使い分けなど考えずに過ごしているかもしれませんね。

また、普段の私たちが感動したりする場所が心で、死後に残るものが魂だと思う方もいるでしょう。

心と魂の関係について。

結論としては、心とは、魂のなかの中核部分のことだそうです。

魂という人体に相当する霊のなかに、心という中心部分がある。

これで心と魂の関係はバッチリですね!

心も魂も、私たちが生きている時も、死後も存在するものです。


脳がなくなっても、意識は存在する

心は、頭のなかにあるのでもなければ、大脳のひだや脳細胞のなかにあるわけでもありません。

その証拠に、人間が死んで、あの世に還っても、生きていたときの記憶は、少しも失われません。

肉体が消滅したら、大脳の組織も当然この地上から姿を消し、焼かれて、大気中の二酸化炭素か何かになってしまうはずです。

しかし、大脳が失われても、魂は考えることができるし、感じることも、記憶することもできるのです。

つまり、脳というところは、さまざまの情報をファイルしてある整理棚であり、情報コントロール室だということができます。

ですから、情報コントロール室である脳が損傷を受けると、人間は合理的な判断、行動ができなくなります。

なぜならば、肉体組織の指揮命令系統が混乱に陥るからです。

脳は私たちの情報コントロール室であり、たとえ脳や肉体がなくなっても、私たちの意識は残るそうです。

そして、時々、「脳死は人の死」とすべきかが問題になっています。

脳死になった場合、臓器を他の方に提供する意思を示されている方もいます。

もちろん、自分の体の一部を、他の人のために使ってほしい、という意志を残されることは尊いことですが、一つだけ覚えておいてほしいことは、「脳の機能が停止しても、私たちの意識はなくならない」ということ。

まだ死んでいないのに、脳の機能だけが停止した状態で臓器を取り出されると、意識レベルとしては「非常に痛い」そうです……(;_:)

そのため、臓器移植の際には、「自分の本質は霊であり、肉体は仮の姿である」という強い自覚を持っていないと、非常に危険だそうです。

(基本的には、死後24時間経過した頃に、「霊子線」という肉体と魂の繋がりが切れて、肉体の痛みなどが伝わらなくなるそうです。)

そうした理由から、大川隆法先生としては、「脳死状態の場合、基本的には本人の意識が肉体に残っており、臓器移植は痛みで苦しむから勧めない」、とされています。


脳の機能が停止しても、本人の魂は理解している

たとえば、脳の外傷によって精神病になった方がいるとしましょう。

その方の身内は、もう本人には何をいってもわからないと考えているかもしれません。

しかし、実は、ちがうのです。
精神を病んだとはいえ、その方には、家人がいっていることがわかるのです。

つまり、心によって、魂の中心部分を通して、すべて理解しているのです。

ただ、理解しているということを表現できなくて、暴れているにすぎません。

ですから、生きていたときに、身体的な不全によって精神病者となっていても、死んであの世に還れば、健全な人間同様の思考活動をしております。

脳がなくなっても、魂は正常に存在していると教えていただいています。

その証拠に、植物状態となった患者の方が、家族の呼びかけに応じたかのように涙を流した、という例は何回も報告されています。

たとえ脳が機能しなくとも、自分に置かれた状況は全部分かっているのでしょうね。

脳に何らかの障害があり、暴れがちな傾向をもつ方もいらっしゃいます。

それは、魂が健全なのに、体が思うように動かず、うまく自己表現できないもどかしさから暴れているのかもしれません。

魂としては健全だけど、脳の機能に障害があるせいでうまく意思疎通が取れない。

そうなった場合は、本人の持つ修行課題が現れているのかもしれません。

脳が機能しなくとも、魂は存在し、健全な思考を持っている」という真理を知るお医者さまがいてくださったら、障害を持つ方にとっても大きな救いになると思います!


たとえ重度の脳の障害がある方でも、心を込めて話しかければ、きっと本人の心に届くはずです⭐️


心臓は心と密接な関係にある体の器官

心が脳にないとして、では、心は心臓にあるのでしょうか。
魂が心を認識するとき、心臓は、確かに位置的感覚としては心に近い部位にあります。

しかし本来、心臓とは、体内の血液の循環をつかさどる器官であり、心そのものではありません。

ただ、昔からよくいわれているように、心が動揺すると心臓が早鐘のように打ちはじめたり、悲嘆にくれると心臓が圧迫され、胸が苦しくなったり、あるいは、あまりの恐怖に心臓が凍りつくようになったりすることがあります。

また、うれいしいときに体が熱くなったり、悲しい時に涙がこみ上げてくるのも、心臓のあたりからです。

こうしてみると、心臓は、心そのものではありませんが、心と密接な関係にある、霊的に影響の受けやすい身体の器官だということができます。

ですから、もし、魂を人体様の形状をとっているものだと想像するならば、心の部位は、やはり胸のあたりに中心があり、ここで主として、意志、感情、本能の各領域をつかさどっています。

そして、心の出先機関である脳の部位にある魂のもうひとつの中枢を通して主として知性・理性が、魂全体に指揮命令をくだしているのです。

さらに悟性が、下腹部、心臓、脳を貫いて、霊天上界の魂の兄弟と直結しています。

霊とは、もともとは、形なきエネルギー体なのですが、人体に宿ることによって、魂という人体状の想念体をつくり、その中心に「心」をすえて、人生修行を行っているのです。

心が体のどの部分にあるか、という話ですが、やはり脳のある頭ではなく、心臓部の辺りに存在しているそうです。

そのため、心臓は心に密接に関係している器官だと言えます。

心の影響を受けやすいため、ショックをうけたりすると心臓に負担がかかったり、緊張するとドキドキしたりします。

また、私たちが嬉しい時にポッと体が温かくなったり、感極まって、涙が溢れてくることもありますね。

「胸がいっぱいになる」という表現もありますが、やはり、胸のあたりから感情が溢れ出してくるのを感じる方が多いのではないでしょうか。


「心」の存在は、否定できない

地上で生活しているみなさんは、霊とか、魂とかいうと、頭から否定してかかることが多いようですが、「心」の存在は、なかなか否定できないはずです。

心は、大脳の皮質のなかにあるのだと唯物的に考えている人でも、たとえば、悲しいとき、「いま、自分は悲しむべき状況におかれているから、涙を流すべきである」と思ってから涙を流すわけではないはずです。

悲しいときには、ほんの一瞬のうちに胸から悲しみがこみあげてきて、ワッと涙が出るのが普通でしょう。

また、思いがけずなつかしい人に会ったら、胸からあついものがこみあげてきて、思わず抱きついてしまうのではないでしょうか。

つまり、それは、大脳皮質の作用ではなくて、霊的直覚に基づく心の作用なのです。

ですから、唯脳論なども、姿を変えた唯物論にほかならず、明確に否定すべきものなのです。

なぜ、悲しい時にひとりでに涙が流れるのか。

なぜ、懐かしい人に再会すると、胸からあついものがこみ上げてくるのか。

それらをすべて脳の機能と説明してしまうのは、あまりにも機械的ではありませんか?

そうした感情というのは、抑えようと思っても無理があると思います。

悲しい時は悲しいし、嬉しい時は嬉しいし、好きなものは好きなんです。

それは、私たち一人一人に「心」がある証拠であり、一人一人に「魂」としての個性がある証拠なんです。

この気持ちが脳の作用なのかどうか、専門家と議論するつもりはさらさらございません。

ただ、自分の心や直感というものは確実に存在すると、それだけは私も自信をもってお伝えしたいと思います。


〈まとめ〉

いかがでしたでしょうか。
今回のまとめは以下の通りです!

  • 心は魂のなかの中核部分

  • 脳がなくなっても、意識は存在する

  • (「脳死」の際の「臓器移植」は痛いのでお勧めしない)

  • 脳の機能は停止しても、本人の魂は理解している

  • 心臓は心と密接な関係にある体の器官

  • 「心」の存在は、否定できない


心があるかないか、心が脳の作用なのかどうか。

これは私のような感性的な人間からしたら、もはや議論の余地もなく「心はあります!」と声を大にしてお知らせしたいところですが(笑)、現実には色々なご意見の方がいらっしゃるのは存じています。

ただ、脳が全て、肉体が全て、と定義するよりも、人間には「心」があり、「魂」がある、と考えた方が、よっぽど明るく積極的に生きることができるよ!ということは、自信を持ってお伝えさせていただきたいと思います。

「心ある人」にこのお話が届けば幸いです。

今回も最後までお読み下さり、誠にありがとうございました♪



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