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【映画】「竜とそばかすの姫」は現代の生きづらさの叫びだった

はじめに

「竜とそばかすの姫」
「時をかける少女」、「サマーウォーズ」などで知られる細田守監督作品。
2021年7月の公開だったが今さら鑑賞した。
正直言うとなんだか当時は悪い口コミしか聞いておらず、なんとなく敬遠したまま気づけば2年以上経っていた。(去年くらいの作品だったかなと思って公開年を調べて少しショックを受けた)

公開当時の口コミではたしか、シナリオがわかりにくいとか、設定が曖昧だとか、現実味がないとかで批判されていたようだ。
うっすらその記憶を持ち、もしかしてめちゃくちゃにつまらないのか?などドキドキしながら鑑賞したが、正直驚くほど面白かった。

この映画のすごいところ3つ

この映画で音楽が素晴らしいのは言うまでもないので割愛する。
なぜか一部では評価が低いようだが、この映画のすごいところを私なりに語りたい。

1つ目は、痛みの共感の呼び起こしだ。母を失う、カラオケでの歌えよという圧力、家庭内暴力、正義の押し付け。これらの誰かが味わう痛みがまるで自分自身の痛みかのように感じさせられる。
2つ目は、SNSの暴力、児童虐待など現代の社会問題の描き方だ。終始、竜の正体は誰なのか?ということが謎解きのように進むのだが、その途中で扱われる人々には様々な悩み、孤独、痛みがある。そして最後暴かれる竜のアザは、父からの心無い言葉の傷なのだ。
3つ目は繊細な心理描写だ。この映画は美女と野獣のオマージュなわけだが、竜とスズの間に生まれるのは恋や愛などの軽いものではない、信頼関係だ。そしてスズや友人達との関係性も、押し付けないようにする親切心、距離を取った愛など従来の青春映画とは一線を画す。

この3つの点を詳しく語っていこうと思う。

1.痛みの共有

まず冒頭、田舎の内気で人前で歌えない女子高生がネット仮想世界に出会う。
ここは確かに設定だけ見ればありがちかもしれない。
しかし、主人公スズの母親との思い出のシーン、幼い頃から音楽の中で育ったことがわかる。家の中にはたくさんのレコード、CD、楽器に囲まれており、幼少時からアプリを使って作曲のようなことをしている。
つまりスズはいきなり歌姫になったのではなく、その素地があってのことなのだ。

そして、母が川で溺れた少女を助けに行くシーン。
そういえば、毎年夏にはこんな河川での事故が報じられている。
助けに行こうとする母に「行かないで」と叫び、
「お母さんはどうして私よりも知らないあの子のために死んだの?」と嘆き悲しむスズは、毎年起きる事故での誰かの叫びだ。
そして彼女の苦しみはやがて怒りへと変わり、詩を吐き出していく。彼女の歌は心の叫びなのだ。

「おおかみこどもの雨と雪」や「バケモノの子」でも強く感じたが、細田監督は不条理な親との死別を描くのが非常に巧みだ。
細田監督の映画は、ただの死ではなく、そこに横たわる別れの痛みを生々しく、繊細に描く。
それは彼らの思い出を繊細に描き、そして死んでしまうキャラクターの人間性を短い描写で一瞬で理解させるからこそ、ここまでの悲痛を観客にもたらすのだ。

2.暴力の描き方

母の事件に対する世間の反応や、仮想ネットワークでの反応には、SNSによる無神経で無責任な暴力が描かれている。
また、カラオケでの歌ってよという圧力、自警団のジャスティンの押し付けの正義は、日常に潜む強制という暴力だ。

現代での生々しい暴力というのは、実際の身体的な暴力よりもこうした言葉の暴力、雰囲気の暴力、押し付ける暴力の方が身近だろう。

この映画を観れば、そうした暴力にはなんの価値も信憑性もないということが伝わる。

また、竜のアザがなんなのかという謎は、結局のところ恵に対する父親の言葉の暴力によるものだった。
近年は、心理的虐待という概念が重要視されている。従来は殴る蹴る、食事を与えないなどが虐待と考えられてきたが、子どもに対して心無い言葉を投げかける、脅す、無視する、拒否するなども心に深い傷を負わせる虐待だと考えられるようになったのだ。

酷い言葉をぶつける父親は当然そうだが、背景も事情も知らない他者が投げつける汚い言葉たちも当然暴力であり虐待なのである。
こうした部分を美しい世界に落とし込んでいるのは見事だ。

3.繊細な心理描写

スズと友人達・周りの大人達の関係性は、決しておせっかいすぎず、口を出し過ぎずスズを見守る。
そしてスズと幼馴染しのぶくんの関係性。しのぶくんは母のようにスズを見守り、最後やっと対等な関係になれたと想いを伝える。好きとか手を握るとかを超えた愛がそこにはある。
また美女と野獣のオマージュではあるが、ベルだったスズと竜だった恵の関係性もまた、単なる愛や恋ではなく、人と人との信頼だ。
これまで安易に描かれがちであった(別にそういう作品が悪いわけではない)、運命とか熱い友情とか恋とかそういったものを超えた、人間同士の信頼関係と愛がテーマであった。

最後に

ここまでのことから、竜とそばかすの姫に対して批判的な意見があった理由は2つ考えられる。

1つ目は、こうした3つのポイントが入り乱れていたため、観客側にさまざまな感情が呼び起こされてしまったこと。「感情を複雑に喚起させる」というのは非常に素晴らしい要素なのだが、それに慣れていない、あるいは準備ができていないと不快な雑音に感じられかねない。

2つ目は、観客側の視点や考え方として、従来の安易な物語性ではなく、「多様な視点」と「型にハマらない関係性の理解」が必要だったこと。現代の問題になっている「多様性への理解」と通ずるところがあるが、新しい価値観や柔軟な物の見方というのは、その枠組みを受け止める側の中に持っていないと、時として理解不能で不思議なストーリーに見えてしまうことがある。

こういった意味で、『竜とそばかすの姫』は美しい音楽と映像で観客を楽しませるだけでなく、啓蒙や社会への問題提起を含んだ、芸術作品だった。

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