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春の嵐の前に

天気予報で、今週末の土曜日は全国的に雨風の強い大荒れの天気となると注意をしきりに呼びかけていたため、金曜のうちに前倒しで出来る用事はあらかた済ませてしまった。
暴風雨の中、買い出しに出なくても良いように、食材は冷凍しておけそうなものを多めに買う。


予報通り、土曜の朝から真っ白な空が広がり、遠くの方はたっぷりと雨を含んでいそうな重めの灰色の雲が隙間なくもうもうと湧いている。

地上の風はそれほど強くはないが、雲の流れは速い。
昨日から雨の降り出す時間を小まめに気にして、1時間ごとの予報をスマホで確認していたのだが、雨マークが12時からになったり10時になったりところころと変わっている。そのうち強風マークも付き始め、関東地方のお昼頃の風速予報は11m/s。春一番の強風の基準が風速8m/sと言うから、11m/sの風が台風襲来でもないのに吹くとなると、かなりの荒れた天気と感じるのではないだろうか。雨も加わるとなれば尚更だ。

買うべきものは買ったし、犬と自分の簡単な朝ごはんも終え、洗濯機にも今日は乾燥機に入れられるものだけを入れて回し、老犬の足腰のために欠かせない散歩を朝のうちに済ませがてら夫に頼まれた郵便物をポストに投函する。
世の中はリモートワークも随分増えた様子で、夜の居酒屋も営業を再開し、学生さんたちはおそらく春休みに入っていると思われるものの、明らかに通勤のような雰囲気で駅に向かう道を足速に過ぎる人が多い。最近は平日でもショッピングモールに家族連れが増えているし、私のようなフリーランスではなくとも、昔よりは休日が分散してきているのかもしれない。

今朝は犬とゆっくり歩きながら、空の様子を見ていた。
今のように天気予報が即座に手に入る時代ではなかった昔は、自然の中からヒントを得て、天気を予測するしかなかったはずだ。

雲の様子や、風の速さ、気温や湿度の体感、鳥たちの動向、空気に混じるちょっとした匂いの変化。
インターネット上で随時更新される天気予報を見ては当たらないとぶつぶつ言うのは、少し怠慢なのかもしれない。雲の流れる速さや方角、色、その他自然が出している様々なサインを普段から注意して見ていれば、気がつくことも多いだろう。
実際、海辺の街に暮らすようになり、空を見ていたことで洗濯物の雨濡れ被害を免れたこともあった。遠くの真っ黒な雲を見つけて、慌てて帰宅した直後にザッと一雨降られることは、ままある。

春の雨が降る直前と降り始めに、もわっと香り立つあの独特な雨の匂いは、案外嫌いじゃない。散歩終わりではまだ匂いも風も変化があまり感じられなかったため、帰宅後はこれから雨が降ると分かりきっているのに、少しだけ窓を開けたままにしている。
降り始めたら駆け寄って窓を閉めなくてはいけないのだが、雨の香りとサーっという雨音、慌てて窓を閉める動作、その一連の流れがなんとも春らしいと思えてしまう。
風にひらひらと揺れているカーテンの動きが、だんだんと強くはためき始めた様子を眺めながら、コーヒーをじんわり飲む。

今年もまた春になる。毎年春になるけれど、毎年は同じではない。
単純で当たり前のことだが、切実さを持って気がつくのは難しい。

変わったこと。変わっていないように見えること。春の嵐を待ちながら静けさに耳をそば立てて、静かに呼吸する。

今年の春の足音を感じる。

私の心に落ちてきたかけらを観察する。

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