見出し画像

中之条ビエンナーレ2023行ってきた・その3

アーティスト:永井俊平 Shunpei Nagai
展示場所:伊参エリア16番・イサマムラ(屋外プール)


中之条ビエンナーレ2023永井俊平


前回の中之条ビエンナーレ2021で四万エリアの端の駐車場のような空き地のような公園のような不思議な土地に、白いうねりの線を出現させ、作家本人と中之条との出会い(エンカウンター)を余すところなくストレートに表現した作品を作っていたのは、中之条の地域おこし協力隊として住みながら活動をしていた永井俊平さんだった。
前回のビエンナーレは3日半(プレイベント含む)かけて全ての作品を観て回ったのだが、その中で最も素晴らしい作品だと感じたのが永井さんの作品だった。

今年も永井さんは作品を発表されるということで楽しみに行ってきたのは伊参エリアにあるイサマムラという、普段はアーティストのアトリエになっている廃校だった。
元校舎の中には部屋ごとにアーティストが展示を構成し、イサマムラ1箇所を観て回るだけでもかなりの見応えがある作品数だ。

その中で永井さんが選んだ展示場所は校舎の裏側にある屋外プールだった。


中之条ビエンナーレ2023永井俊平

正直な感想を言うならば、前回2021の時の作品ほどの衝撃的感動はなかったものの、永井さんらしい表現が今回も期待通り炸裂していた。

永井さんの作品を理解するためには、彼のアーティストステートメントを読むことが必須なように思う。
中之条ビエンナーレの公式サイトの中にあるアーティスト紹介ページにアーティストステートメントが掲載されているのだが、日本語のステートメントと英語のステートメントは同じことを言っているのだが、言い方が異なり、結果違ったものになっている。私個人としては英語の方のステートメントを日本語に直訳したら彼のやっていることが理解しやすいなと感じた。

以下に公式サイトから引用する。

場と向き合い、感じたことを作品として表現します。
I mainly use textiles, fibers, and clothes as materials to express what I feel when I encounter a place or phenomenon.

中之条ビエンナーレ公式サイト・アーティスト紹介ページ「永井俊平」に記載されたステートメント


英語のステート部分を読み解くと、彼はある場所や現象に出会った際に感じたことを、主に布や繊維や衣類などを素材として使いながら表現している、と言うことになる。
日本語で書いてあるところの「場と向き合い、感じたこと」と言うのが、つまり、さらに簡易な言葉で言うと「その場や現象と出会った時に感じたこと」となるわけだ。
同じことを言っているのだけれど、やっぱり英語の表現の方がよりストレートでわかりやすいように感じてしまう。日本語はつくづく難しく曖昧で複雑だ(そこが魅力でもあるのだが)。

さてそんな永井さんが今年はイサマムラのプールと出会って感じたことを表現していた。


中之条ビエンナーレ2023永井俊平

彼が初めて中之条という場所に出会って、中之条という場所で実際に暮らしてみて、その出会いと感じたことの大きさが詰め込まれた前回作品と、
今回の住んでみて数年が経過した時に改めてイサマムラのプールに立ってみた時に感じたことの大きさを、比べることそのものが、ナンセンスかもしれない。
前回の素晴らしい感動が胸にまだ残っている私としては、それを超えて来ることがなかったなという、ほんの少しの寂しさを勝手に感じてしまっているのだが、それは本当に勝手に思っておいてくれという話であり、作品の良し悪しに関与するものではない。

今回のプールの作品では、作品の中に立った誰もが、遠い日の小学校のプールの授業の記憶を呼び覚まされることだろう。
無数に並ぶ青いメッシュの布は、卓球台の上につけられたネットのようなもので、プールサイドのコンクリートに直接差し込まれるようにして設置されている。
遠くから見れば水面の表現のようでもあり、そこにかつて存在したであろうたくさんの小学生たちの記憶の残像のようでもある。
実際のプールの中には古くて緑に変色した水が澱んでいるだけなのだが、周りの青いメッシュの連続があることで、綺麗な水がかつてそこにあったことをすんなり思い出すことが出来てしまうから不思議だ。

棚のある更衣室には映像作品が設置されていた。
揺れる水面が壁に投影され、床に置かれたモニターには水面に浮かぶ虫の映像が流れていた。私にとってはこれらの映像は、具体的な思い出というよりも、漠然とした、けれど確かな、プールの授業時間の記憶に繋がる何かだった。


中之条ビエンナーレ2023永井俊平


何かに出会ったときに最初に心に思い浮かべることというものは、本質であり重要なものなのに、その感動なり衝撃なりを誰かに伝えようと試行錯誤するうちにすっかり本質が失われてしまう。淡い発生したての霧のようなところに、出会いから受け取る本質的な要素が詰め込まれているのかもしれない。

永井さんの作品にはその繊細で失われやすい、けれども重要で確かにそこにあるものが、作品という形で再構築されている、と私は思っている。

これから日に日に涼しくなり屋外展示も見やすい気候になってくるかと思うので、ぜひプールサイドで時間を贅沢に使って、永井さんの作品を通して自分の中に湧き起こる思い出や感情と向き合ってみてほしい。
この作品も実際に行かないと絶対に良さが伝わらない作品の一つだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?