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きっとそれだけ一生懸命な日々だった。

この前、2人目の出産は1人目で実際に子育てを経験しているからこそ不安を感じる、というnoteを書いた。それとは矛盾している気もするけれど、どちらも本当に感じたことなので、ここに記しておきたいと思う。

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この間、夫とふと息子が生まれてすぐの頃のお風呂の入れ方の話になった。最初の1ヶ月は沐浴だったので、そのあと一緒にお風呂に入るようになってからの話。夫は「首が座る前はちょっと怖かったなぁ。こうして手で首を押さえてさ。」とジェスチャーを交えながら話し始めた。他にも、体の洗い方や湯船への入れ方など、事細かに覚えていて、懐かしそうに話していた。

私はそれを隣で聞いていたのだが、びっくりするほどその頃のことを思い出せなかった。「あれ、私どんなふうに息子とお風呂に入っていたんだっけ…?」とぽかん。沐浴の頃の記憶は確かにあるのに、その後一緒にお風呂に入っていた時の様子が全然頭に浮かばない。私の方が息子と入った回数は断然多いはずなのに。

そのあとも色々思い返してみたけれど、どうやら生後2ヶ月ごろからの数ヶ月間の記憶が結構抜け落ちていることに気づいた。きっと家にいることが多かっただろうし、息子もそんなに動くわけじゃないからそこまで忙しかったわけじゃないと思うんだけれど。ただ、大変だったなぁという思いは残っていて、けれども何をしていたかと言われると全くと言っていいほど思い出せないのだ。

同じような日々の繰り返しで記憶が薄れているのかもしれないと思ったけれど、いや違うなと思った。きっと、それだけ一生懸命な日々だったんだと思う。

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初めての子育てで右も左も分からず、ひたすら育児本やネットを見ては、息子はちゃんと育っているだろうかと気にかける日々。天気のいい日は近くをベビーカーで散歩して、なるべくたくさん話しかけて、いつも一緒に絵本を読んだり、おもちゃで遊んだりしていた。そう、とにかく目の前の息子との生活にいつも一生懸命だった。

だから忘れてしまっているのは、私が頑張っていた証拠。あの頃の頑張りがあるから、次の子はそこまで気にしすぎなくても、構いすぎなくても、ちゃんと自分のペースで成長していってくれることを知っている。だから前よりもおおらかな心で、ゆとりを持って、みんなで一緒に楽しく暮らしていけるんじゃないかと思っている。

息子が生まれたばかりだったあの頃の私へ。たくさんたくさん頑張ってくれてありがとう。あの時の頑張りを糧に、これからの日々も肩肘張らず、楽しんで進んでいこうと思います。