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第二言語で感じ、自己を表現する

日々2才の娘を見ていると、言葉の吸収の早さに驚かされます。

何度も繰り返し聞いている言葉でなくても、語感が気に入ったり、なにか気にいる要素があると、意味はわからずともあっという間に聞き取って使い始めます。それが日本語でも英語でも何語でも。

言葉を習得することで認知できる世界が広がり、言葉で説明できるものが増えると同時に言葉ではうまく表せないものも認識していく。
言語の習得ってとてもおもしろいプロセスだと思います。

私自身は、少し変わった過程で英語を習得しており、その過程があって英語のおかげで感情と向き合えるようになったのでそんなお話を書いてみようとおもいます。

ダイエーに張り紙「3歳の女の子に英語を教えたい方ご連絡ください」

私は徒歩圏に米軍基地がある地域の出身で、3歳から12歳まで毎週火曜日は幼稚園や学校が終わると、夜まで米軍基地の中のアメリカ人家庭に一人預けられて生活していました。
週イチホームステイのような環境です。

米軍基地の近くということで、アメリカ人が教える集団の英語レッスンの教室もたくさんあったのですが、個人レッスンのほうが効果的と考えた両親は、近所のダイエーにあった掲示板に「週に1回、3歳の女の子に英語を教えたい方を募集」という募集要項を貼ったようです。

面接を経て、決まった英語の先生のもとへ。
あまり良く覚えていませんが、3歳当時は大流行したチャゲアスの「YAH YAH YAH」が大好きで、いくら先生が英語の歌を教えてくれてもYAH YAH YAHを歌って返していた事だけよく覚えています笑

そんなこんなで3歳の頃はそんなに英語を話すようにはならず。
転機になったのは4歳頃に出会った2人目の先生の家庭。
日本に駐留している軍人家庭で教わっていたので、駐留期間が終わったらアメリカに帰ってしまう。ということで帰る前にお友達を次の先生として紹介してもらいます。

2人目の先生には私より1歳年下の子供がいました。
先生が出してくるテキストそっちのけで、その子と遊びたくて遊びたくて、二人でお人形でおままごとをしているうちにいつの間にか英語で話すようになっていきました。
先生もあまり無理やりテキストを使うことはせず、一緒にクッキーを焼いたり、一緒に映画を見て夕飯作りを手伝ったりと、まさにホームステイ状態です。

全部で6人の先生に教わったのですが、そんなこんなもあって2人目以降は必ず年の近い子供がいる家庭になって、先生の子供と遊ぶ中で英語を習得していきました。

公園で遊具の取り合いをしたり、同い年の女の子と好きな男の子の話をしたり、ヘアアレンジしたり、ちょっと年上の男の子にはヘビやクモのおもちゃを投げつけられて泣いて喧嘩したり、からかってくるのをやめさせてくれと先生に猛抗議したり笑

感じたこと、言いたいことを言う。
これが私が英語を習得する強い強い動機づけだったのだと思います。

私にとっての英語という言語

そんな過程を経て習得した、英語という言語。
今では私にとっては、感情や自己表現のための大切な道具になっています。

生きるって思考の連続なので、普通に生きている分には日本語のほうが圧倒的に楽です。普通に生きている中で英語を使おうとは思いもしません。
一方歌を歌うときにより感情が表現しやすいのは英語だし、子供に絵本を読むときにより感情をこめて読んであげられるのは英語です。

習得の過程や年齢の影響もあるのか、英語を書くのは苦手です。
「書く」という行為はどうしても「思考→アウトプット」というステップを踏むので、日本語で思考してから英語で書こうとする「翻訳」をすることになり、そうなると中学英語ギリギリぐらいのアウトプットしかできません。

歌を歌う、絵本を読むといったように、言葉はもう書かれていてその言葉に感情を乗せる、その言葉を通して自分を表現するには英語のほうが良いのだろうなと理解しています。

感情を抑圧して生きる中で、英語が心を救ってくれた

別の記事に書いたように、思春期の頃に私はとても心が傷つく経験をしました。継続的に。 

その経験から、自分の意見を主張するのはよくない、感情は美しくない、完璧にならなければという思い込みの強い大学生になります。
大学2年から3年に上がる春休みに出会ったのが、MP(東京学生英語劇連盟)という団体です。

ちょっと変わった団体で、春休みにみっちり3ヶ月間かけて稽古をして、ゴールデンウィークに舞台公演をする、50年以上の歴史を持つインカレ団体なのですが、本番の舞台も稽古も団体のなかのコミュニケーションはすべて英語なんです。
参加しているのは帰国子女や英語が得意な子ばかりではなく、自己紹介がやっとという子もたくさんいました。

そんな団体での3ヶ月間の稽古の中、私は全メンバー100名に向かって号泣してブチギレました、英語で笑
思春期以降、そんな風に感情的に大勢の前で怒るなんて初めてのことで今でも本当によく覚えています。

大前提として、参加メンバーとの信頼関係がしっかりとあったからあんなふうに感情を顕にできたのだと思います。
全員が同じレベル感で英語を使えるわけではない環境の中、不自由な言語でコミュニケーションするからこそとてもシンプルな語彙で、お互いの言うことにとても丁寧に耳を傾けて、短い時間の中で強い信頼関係を作ってきたのだと思います。
それでも、多分私は日本語ではあんなに怒ることはできなかったと思います。

英語は私が3~12歳、抑圧された自己を抱くようになる前に習得した言語。
シンプルで、感情的で、自分を表現するための言語。英語は私の感情を抑圧しません。
だから、「その場で怒ろうと思ったらごちゃごちゃ考えずに英語で怒るしかなかった」というのがその時の大きな後押しになったのは間違いありません。

その場の勢いで数年ぶりに怒ったら、みんなは私を受け入れてくれた、たくさんの愛をくれた。
このときその経験をできたことで、そこからはたくさんたくさん心のままに感じ、表現することができるようになりました。
映画や本で泣いたりするようになったのもこれ以降です。

そこからは日本語でもきちんと感情を開放できるようになりました。

不自由な第二言語だからこそ

子供時代比較的早期から英語に触れて育ったので、日常会話だけ見ると特に不自由なく英語を話しているようにみえるらしく、就職するタイミングでは英語を使う仕事につくことを家族親戚一同に勧められたのですが、結局仕事で英語を使うことは選択せず今日に至ります。
(仕事で英語が役立った数少ない機会といえば、「外資系企業のお客様に急遽英語で対応しなければならないので商談を手伝ってほしい。」と同僚に頼まれて無事に商談をまとめ、それがきっかけでその同僚が夫になったことぐらいでしょうか笑。)

仕事で使うのは思考の言語、友達と使うのは感情の言語。
前者として英語を使うのは私にとって不自由極まりないことで、後者であっても日本語のほうがずっと快適。でもすごく爆発させたいときは英語がちょっと力を貸してくれる。
英語は私にとってそんな存在です。

普段メインに使っている母国語では、いろいろな言葉を知っていて、より多くのものを認知できて、言葉で想像をふくらませることができます。
一方でだからこそ見えなくなっていることもあるはずです。

語彙も表現も少なく、あれやこれやと考えごとを深めることができない第二言語では、自分の心も世界も、シンプルに理解せざるを得ません。
シンプルに理解することで世界が広がったり、アウトプットができるようになる経験を私はしてきました。

言語を習得するとき、どうしても語彙を一生懸命に増やそうと物の名前をおぼえたり、よくある表現から入ろうとすることがあると思います。
でも、そうではなくて自分の感情から言語を習得してみるというのはどうでしょう?

今感じたことをこの言語ではなんというのだろう、日本語ではひとつの言葉で言い表すが別の言語ではバリエーションがあるのか、今の感情はこっちの単語に近いかもしれない。
自分の感情を理解したい、伝えたいという欲求に向き合い、そのための道具として言語を習得するというのも、自分の感情を救ってあげる一つの方法ではないかなと思っています。


余談

アメリカ人家庭で週に一度過ごしていた頃「今日はクッキーを焼くわよ」と先生が冷凍庫からこれを取り出してきて、そのまま輪切りにしてオーブンに入れて「さあ、もうクッキーができるわよ」と言われたときの衝撃は今でも忘れません笑
クッキングってこういうものだっけ?「ひとりでできるもん」の舞ちゃんはもっと色々やってた気がする・・・と5歳ながらに思いました。
(出来上がったクッキー生地が棒状になって売ってます。冷蔵庫か冷凍庫から出してそのまま切って焼くだけではい、クッキーの出来上がり。)



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