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MIZUKI エピローグ「ある安上がりのバーで」前編・後編

※こちらは「MIZUKI 二十面相の女」のエピローグです。→

安上がりのバーである初老の紳士と女の子 前編

入り口の扉が開き、黒いドレスにコートを羽織った若い女の子が入ってきた。


少しよそよそしい表情でカウンター席に座った女の子は、髪の毛をくしゃくしゃとかき上げた手を首の辺りに移動させたままどこかを見つめている。


つづいて、賑やかな声と共にバーには4人組のグループが入ってきたので、
バーテンダーに席を少し詰めてもらうように促された女の子は僕の隣の席にうつってきた。

僕たちは軽く会釈を交わす。

バーテンダーが「ご協力ありがとうございます」と僕たちに頭を下げ、女の子はジントニックを注文した。

「待ち合わせかい?」

バーで誰かに話しかけたのは人生で2回目かな。

彼女は最初から話しかけられるのを察していたように、こちらを振り返ると少し微笑んだ。


「いいえ、1人なんです。さっきまでは人といたんだけど。」


「1人で最後に飲み納めとは、最近の女の子は粋なことをするね。」


「いいえ1人でバーなんて初めて。お酒だって私これしか知らないし。」


そう言って彼女はジントニックを持った手を僕の方に向けた。

「ここの常連さんなんですか?
「常連というか、、仕事でこの辺に来たら必ず寄るくらいかな。」
「あら、私も仕事で来てたんです。さっきまであのホテルにいたの。」
と彼女は斜め向かいにあるホテルを指差した。

すると彼女は僕に変わった質問をした。

「偽名って使ったことありますか?」

僕はうーんと少し考えて
「ああ、あったかな。昔、仕事の関係で少しだけ」
と言うと彼女は小さく微笑んでから

「私何やってる人に見えます?」
と尋ねてきた。
「うーん、クリスマスイブにドレスコートして高級ホテルで会食か。華やかそうな仕事だね」
彼女は
「それは月に一度だけよ。」と言ってからこちらを向き直し、
「あのね私ね画家になりたいんです」
と言った。

「お、おじさんもね、昔画家になりたかったんだ。学生の頃だけどね。
で今は何の仕事してるんだい?」

彼女はふふっと笑って言った。

「普通の仕事よ。でも今日でもう辞めるの。
おじさんは?」

「おじさんは君よりももっと普通の仕事だよ。」

安上がりのバーである初老の紳士と女の子 後編

僕がラムのスコッチ割りをお代わりすると、
女の子は「それって美味しいの?私も飲んでみようかしら」
と言うので、バーテンダーに飲みやすいラムでもう一杯作ってもらった。

「次の仕事はきまってるのかい?」

「いいえ、とりあえずもう少しだけお金を貯めたら引っ越そうかなって思ってるんです。知り合いができるだけいないとこ」


「なんで知り合いがいないとこへ?」


「新しくあった人は私の過去の事とか私が何者かも知らないでしょ。過去は全部捨てて、これから作るんです。ギャツビーみたいに」


「ギャツビーとはロマンチックな事言うね。
君は自分の過去がきらいなの?」


「おじさんだって嫌な過去はあるでしょ?」

少し、昔の自分を思い出してしまった。

「そうだな。
この歳になるとどんな過去もまぁ良かったなと思えてるよ。それに、過去を隠すことは案外出来ないものだしね。」

咄嗟に言ってしまった言葉が親父のうるさいお節介に聞こえてなきゃいいが…
少し心配していると、女の子はまっすぐ前を見て

「いいえ、隠せるわ」
と言った。

「ほう」
「後からバレるような人たちは信頼が足りない素人だって。前一緒だった人が言ってたんです」
「なかなか面白いことを言う人だね」
と僕が言うと女の子は

「あの人すごいのよ。ルールさえ守ってれば私がそれ以外何しても笑っておかえりっていうの」
と言った。

「いい人と一緒だったんだね」

すると女の子はグラスを口に運び、ごくりのひと口飲んだのち、こちらに目線を移動させて言った。


「おじさんも色々あったんでしょ。ひと目見たらわかるんだから。」


「おや、苦労がシワに刻み込まれているかな?」


「いいえ、普通の人はそんな優しい笑顔できないわ。色気もあるし。」



23:00を回った店内には若い酔っ払いの下品な笑い声と、センスの悪いジャズが流れている。



「この店はムードがなさすぎるね。この時間になると特に。」

と僕が苦笑すると、


「このくらいがちょうどいいんです。もしここが一流ホテルの最上階のバーだった方が私は嫌。」


「なぜ?」


「あまりに出来すぎた状況には必ず嘘が隠されてるの。
私が今、おじさんの話を素直に聞けるのはここが安っぽい大衆のイタリアンバーだからよ」


「なるほど。」

と僕が言うと女の子は

「あと、おじさんシャツのエリがヨレヨレなのも本当ぽくて好き。」

と言った。
僕は自分のシャツの襟を指で摘んで伸ばすフリをしながら

「君の言う本当ぽいと言うのは要するに不完全なもののことを言うんだね。」

と返した。

「おじさん小説家でしょ」

「ははっ、小説家か。なってみたいね」


女の子は席を立ってこちらを振り返り

「じゃあ、最後の質問」と言って

「おじさんってどこから来たの?」

と聞いてきた。

「東京だよ」

「東京っていいところ?」

「ああ、僕は好きだよ。いいものも悪いものもひっくるめて面白いところだからね」

そう言うと、女の子は少し微笑みながら

「へぇ、そうなんだ。」

と呟いた。

店内には相変わらずセンスの悪いジャズが流れ、酔っぱらいの笑い声はさっきにもましてうるさく鳴り響いていた。


次回作 「東京編」公開未定

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