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ルシャナの仏国土 警察学校編 4-6


四.母の肖像

 惑星ルシアでは、馬車は特別な乗り物ではなく、人力車と同じくらい市民の移動手段として広く普及している乗り物である。機械仕掛けの車は工業地帯で走っている電気自動車や穀倉地帯のトラクター、貨物船と旅客船、それにいわゆる緊急車両だけだ。

 マコトは、乗合馬車を何度か乗り継いで、二日後に湯井岡市に辿り着いた。ヴィクトルから、まず紫政帝の元を訪ねるように言われていたのだ。
 宮殿に当たる明禅館の入口で、ヴィクトルからの手紙を警護官に差し出す。
「ヴィクトル・ベッカー・・・あぁ、話は聞いてるよ。待っていなさい。」
 警備官の一人が手紙を持って中に入っていった。
(警護官かぁ・・・憧れるなぁ。)
 実は、マコトは警察官に憧れている。きちっとした身のこなしで人々の安全を守る・・・環境設計家もいいけれど、警察官にもなりたかった。

 宮殿内部は、外観と同じように質素な雰囲気だった。通された所は謁見室だ。
「皇帝陛下は、まもなくおいでになります。」
 案内してきた事務官が言う。彼は跪いて待つ。

 紫政帝は、少し息を切らしながら入ってきた。どうやら小走りで来たらしい。呼吸を整えながら、彼を見つめた。
「マコトだね。」
「はい、皇帝陛下。お初にお目にかかります。ヴィクトル・ベッカーの子・マコトと申します。」
 ところが紫政帝は、マコトのすぐ近くまで寄ってきて、こう言った。
「実は、君と会うのは初めてではないのだ、マコト。君をドクター・ベッカーに預けたのは私なのだよ。」
「えっ?!」
 紫政帝は、ヴィクトルに彼を託した経緯を説明した。
「それでは、陛下が僕を・・・。どうもありがとうございます。」
「あの時に抱えていた子が、こんなに大きくなったか・・・。
 あれから、私は君の身元を改めて調べさせた。君は地元の子ではなかったため、何年もかかってしまったのだ。
 君の本当の名は、加賀篤史。お父さんがご存命だ。君が来る日をドクターが知らせてくれていたので、もうここに呼んである。・・・加賀君をここへ。」

 一人の男性が入ってきた。凛々しい顔立ちをしていたが、それが崩れる。
「篤史・・・だね・・・。」
 彼は、呆然としているマコトの右袖を捲った。そこにほくろがあるのはマコト自身も分かっている。
「篤史・・・。お父さんだよ。」
 加賀信頼は、マコトを抱き寄せた。
「お父・・・さん・・・?」
 マコトは夢見心地だった。自分がヴィクトルとマルカの本当の子ではないとは知っていても、実の父親と会うことなど予想もしていなかった。
「お前は、お母さんと帰省中に地震に巻き込まれたのだ。お母さんは残念ながら亡くなった。私が現場に着いた時には、お母さんはもう冷たくなっていた・・・。一緒にいたはずのお前は、いなくなっていた。てっきりお前も死んでいるものと思っていたのだが・・・。」
 言葉が途切れた父親のあとを、紫政帝が続けた。
「私はそれと知らずに君をドクター・ベッカーに預けた。上衣の柄とお父さんからの情報を照らし合わせて身元が分かった時には、もう八年も経っていてね。
 そのまま君をドクターに育ててもらって、お父さんには待ってもらっていたのだ。きっと、この日を一番心待ちにしていたのは、お父さんだったと思うよ。密かに何度も見に行ったらしい。」
「皇帝陛下、ご意志に背いて申し訳ありませんでした。しかし、一目だけでもと・・・。」
「良い良い。親なれば当然だ。だが、ドクターが子供たちを一五歳で手放すと分かっていたからな。それに、マコト・・・篤史自身に動揺を与えるのは良くないと思ったのだ。
 もう何も構うことはなくなった。己が子をしっかり抱いてやれ。篤史の戸籍は復活させておく。
 マコト・・・いや、篤史、また会おう。」
 紫政帝は、部屋から出て行った。

 ・・・ここからはマコトを篤史と呼ぼう・・・

 信頼は、篤史を自宅に連れ帰った。湯井岡市内のアパートメントの一室だ。
「でも、お父さん・・・僕にはまだ不思議なことがあるんです。」
 篤史は、父親に尋ねた。父は、やっと会えた息子を膝の間に座らせている。
「何だね?」
「僕と一緒に育てられていたウユニの子には心を読む力があって、周りの大人たちのことを全部教えてくれていたのに、僕にはお父さんのことが分からなかった。何故でしょう?」
「あぁ、ムームという子か。」
「知ってたんですか?」
「うん。実はお前を見に行っていた時に、あの子に見つかってしまってね。でも理由を話したら、あの子は敢えて他の子には伏せておいてくれたのだよ。
 それから、佐竹さんという家庭教師。あの人も勘が鋭いね。つまり、私がお前を見に行っていたことを知っていたのは、その二人とドクター・ベッカー夫妻だけだった。」
「そうだったんですか。それでは、貴方は本当にお父さん・・・。」
「なんだ、まだ疑っていたのか。大丈夫だ。私はお前の父親、それで正しい。」
「お父さん・・・。」
 篤史は、背中越しに伝わってくる父親の温もりをしっかりと受け止めた。

 信頼は、一枚の肖像画を息子に見せた。篤史は、それをじっと見つめる。
「篤史、これがお母さんだ。名前は里子さとこ。優しい人だった。お前はお母さんに似ている。とってもね。」
「お母さん・・・。」
 知らぬ間に涙がこぼれていた。

 信頼は、篤史の希望を聞いて、彼を大学の法学部に進ませた。篤史は、やはり警察官になる道を選んだのだ。紫政帝には、こう説明した。
「このまま環境設計家として陛下にお仕えするとなれば、少なからず政界の渦に巻き込まれるでしょう。
 しかし私は、そのようなことには向いていないと自分で思うのです。そしてもし権力闘争に負けたら、せっかくの環境設計の技術が無駄になってしまいます。出来れば、非公式な形で陛下にお仕え致しとう存じます。」
 紫政帝は答えた。
「わかった。それでは、君を環境設計学の非常勤講師として召し抱えよう。その際は、マコト・ベッカーと名乗って明禅館に講義に来てくれ。高名なドクター・ベッカー直伝とあらば、みな歓迎するだろうからな。」

五.魔の海域

 ヴィクトルとマルカは、所有する帆船「セ・アンファン号」で子供たちをそれぞれの祖国に帰すための旅に出た。
 ヴィクトルは、その時点で初めてマコトの身元が判明していたことを他の子たちに明かした。
「落ち着いたら、マコトに連絡を取れ。オルニアの湯井岡市で『加賀篤史』という名前になっているはずだ。住所も分かっている。これからも互いに連絡を取り続けるんだ。わかったね?」

 ライランカではイリーナが船を下りた。時の皇帝ホルヘに彼女を面会させると、皇帝は直ぐさま彼女を帰化させて、環境局長官ラルフ・カークスキに引き取らせた。ライランカでは、外国に生まれた者は、たとえ両親が共にライランカ人であっても、帰化礼を受けなければ本国では永住することができない。
 マクタバではホルスが、カレナルドではダンが、カルタナではユルケが、アルリニアではシャンメイが去った。残るはウユニ人のムームだけだ。

「ずいぶん寂しくなりましたね、お父さん。」
 ムームが寂しげに呟く。
「いつか、イリーナねえがうるさいって溜息をついていましたが、いざそうなってしまうと悲しいです。」
「ムーム・・・。お母さんも、貴女を手放したくはないわ。お母さんね、大家族が好きだったの。だから、とっても楽しかった・・・。思い出をありがとう・・・。」
 マルカが優しく抱きとめる。
「ムーム、君ともお別れだ。元気でいるんだぞ。」
 ムームはヴィクトルにもしがみついた。
「お父さん、お名残惜しゅうございます・・・。今まで、ありがとうございました。ムームは幸せでした・・・。」

 ウユニ皇帝・バマカンは、引退した元衛生福祉局長官シャーリプの希望により、彼と面会した。彼の手を通して、ヴィクトルからの手紙を読む。
「すると、ここに書かれているムームという子は、環境設計家の卵なのだね。」
「御意。ドクター・ベッカーは、その時の約束を守って、その子を覚醒前に帰してくれたのです。今は、拙宅にて過ごしております。陛下のお許しがあれば、ぜひとも我が娘としたいと思っております。何卒お許し下さいますよう。」
「そうか。先が楽しみだな。時折地形が変わってしまう我が国には、まだそのような学問はない。養女の件は聞き届けて使わす。
 近いうちに連れて来てくれ。顔を見ておきたい。」
「は。有り難き幸せ。」

 ムームの身体に変化が起きたのは、その年の冬だった。シャーリプの妻・エンネアが見守る中で、彼女の耳は狐になり、ふさふさした尾が生えた。
「ムーム、貴女も獣族になったのね。」
 エンネアもまた半身狼の獣族だった。耳や牙、尾を持っている。
 ウユニ人たちは、成長すると、遺伝に依らず霊族、竜族、魚族、鳥族、獣族などに変化する。そのうちのいずれになるかは、覚醒してみないと分からない。混合した形の者もいる。特殊能力も、テレパシー、テレキネシス、読心力、千里眼、飛行、火炎、落雷、空間操作など様々である。

 そのムームが、シャーリプの息子・カンゼノと結婚したのは、それから五年後のことだ。父親が喜んだのは、言うまでもない。
「カンゼノよ。浮気などしてみろ。ムームはたちどころに見破るぞ。怒らせると母さんくらい怖いからな。」
 ムームは顔を赤らめた。
「お、お父様・・・お戯れを・・・。彼に限って、そのようなことは・・・。」
 カンゼノは新妻を庇った。
「そうですよ!私はムームを愛してます!血の繋がりのない妹から、かけがえのない妻に変わったのです!彼女を傷つけるようなことは言わないで下さい!たとえ父さんといえども、許しません!」
 息子の見幕に父親は圧倒された。
「すまんすまん。冗談のつもりだったのだが。許せ。」
 ムームは幸せな生活を送りながら、その数年後には正式に環境局長官に就任して、国土の一層の発展に寄与した。

 ムーム二八歳の冬のある日、一艘の帆船が遭難、生存者は発見できず、との情報が入った。そこは地元のウユニ人たちでさえ魔の海域と恐れるタルカンマ海峡だ。船名を知ったムームはうろたえた。
「これは!お父さんの船?!」

 ムームは、直ぐさまオルニアの兄・篤史に電報を打った。当時オルニア警察庁所属の警視になっていた篤史は、他のきょうだい達に集合するように伝えた。

 ムームは、運び屋にテレポートで運んでもらって、指定の日時に待ち合わせ場所の森の広場にやって来た。人気のない場所の一角で、ベンチに腰掛けている男が二人いる。
「ムームです。」
 二人は顔を上げた。
「ムームか。マコトだ。」
「俺はホルス。お前、まるで狐みたいになったな。」
 他の四人も間もなく合流した。
「それで、お父さんたちが遭難したというのは、確実なのね?」
 イリーナが尋ねる。
「はい・・・。私も現場に近い浜辺で船の残骸を見せてもらいました。父さんたちの船に間違いありませんでした・・・。打ち上げられた人たちの中には、お父さんもお母さんも見つからなかったけれど、あの海が荒れて助かった例はないと・・・。」
 ムームは声を詰まらせ、一同は静まり返る。シャンメイやユルケは泣き伏した。男たちも涙をこらえている。
 やがて、イリーナが二人の墓標を作ろうと提案した。一同は賛成して、役割を割り振った。
 それから、めいめいが自分の今を語った。・・・

六.ライランカの姫君

 十年後・・・。

 オルニアの紫政帝は、隣国ライランカのファイーナ姫から一つの依頼を受けた。二年間で後継者を育成したいという内容だ。
 ライランカのアルティオ帝のひとり娘・三一歳のファイーナ姫は、今年に入って不治の病とされるグナンリラ病で余命五年との宣告を受けていた。自ら子を産み、育てられる時間はもうない。ならば、若者たちを育成して後を継がせるしかない、と考えたのである。
 そして、できればそれは、彼女を皇女だとは知らずに、素顔で接してくれる若者たちの中から選びたい。それには、人口が多く、ライランカの文化に馴染める可能性が高いオルニア人が最も適しているのではないか・・・。そのように思って、彼女はオルニアを訪れたのであった。
 父帝も、限りある命となった娘との時間を惜しんだが、公のためにはやむを得まいと了承してくれた。

 そういうわけで七月一二日の今日、ファイーナはオルニアの港町に降り立った。ライランカ人独特の藍色の髪をゆるやかに束ね、左手にキャンバス地のトランクを下げている。
 紫政帝とその皇太子の田所風馬が、彼女を迎えに来ていた。
「ファイーナ姫、ようおいでになった。」
「紫政帝陛下、風馬殿下、お久しぶりでございます。ご健勝で何よりと存じます。そして、このたびのご厚意には感謝してもしきれませぬ。されど、ここでは『ファイーナ』の名は・・・。」
「おぉ、そうでしたな。申し訳ない。さて、なんとお呼びしましょうか。まずしばらくはゲストルームにご滞在ください。その間にゆるりと事を進めればよろしかろう。」
「どうもありがとうございます。」

 翌日から、ファイーナと紫政帝、風馬皇太子は夕食を共にしながら今後について話すようになった。
 まずファイーナはオルニアにいる間、ソフィアという名を名乗ること。オルニアには移民戸籍制度が設けられていて、犯罪に利用されないと認められれば、新たに戸籍を作ることが出来る。これは、民族的迫害を逃れて他国に逃げてきた人々の救済を目的に、かのルシャナが考案したものの一つであり、オルニアの世界有数の穀倉地帯は、それを実現できるだけの余裕を有している。実際に、オルニア国内には他国からの移民で構成されている市や町が幾つか点在する。

「後継者育成の場として、警察学校を検討しているのですが、如何かな?」
 紫政帝は言った。
「実は、かねてより警察官の質を上げようと考えておりまして。貴女もその中で講師をしながら後継者を見つけられたら宜しかろうと存ずる。」
「どうもありがとうございます。どうか陛下のおぼし召しの通りに。何卒よろしくお願い致します。」
 ソフィアは同意した。正義を守る警察官の中から将来の皇帝を生み出せれば、それに勝ることはあるまい。
 紫政帝にとっても、より高度な警察官を育成できるまたとない機会となる。
 犯罪者たちの中にも腕の立つ者たちがいる。殉職する警察官も少なくない。それ故に、かねてから高度な警察学校の創設を考えていた。
 また、領内には忍びの者たちが存在する。戸籍すら持たない彼らを、数年前にようやく解放できたばかりだ。よもやとは思うが、これから犯罪に手を染める者が彼らの中からも出ないとは限らない。それと同等かそれ以上の力を持つ警察官が欲しかった。
 こうして、ソフィアは警察庁において近く行われる高等警察官資格試験を受け、警視の資格を取ることになった。もちろん、その時にはソフィアの身分は隠されて厳正な審査が行われる。
 高等警察官資格試験の前夜、模擬試験の復習をしていたソフィアは、ふと窓から空を見上げた。満天の星が輝いていた。

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