Word of the days 2:バンドエイドから自己効力感まで

ここのところ忙殺されていて…なかなか書けずにすみません。ちゃんと毎日フィン語を勉強してはいたんです。体調が本調子じゃなかったりもしたのでなかなか書けませんでした、すみません。

じゃあこれから頑張ってかきまーす。まだやることいっぱいあるのだけど。

困ったらjanitorをよぼう:vahtimestari 

vahitemestari:janitor 
janitor:建物等の管理人

2/23
大学のとある建物の自習室で勉強していたら、その部屋の閉室時間を過ぎていた。閉室時間以降は部屋のドアがオートロックで閉まってしまう(で、外から開けられなくなってしまう)ということをすっかり忘れて、部屋の中に荷物(携帯含め)すべておいて部屋の外のトイレに行ってしまった。

すっかり締め出されてしまった私は、夜も遅いので見回りの人がじき来るだろうからそれまでまとうと気楽に考えていた。だけど締め出されてから一時間、建物自体の閉館時間が迫ってもなお、見回りの人はこない。

焦った私は建物の別の階にいた見知らぬ若者に事情を説明し、janitor に電話してもらった。ほどなくしてjanitorは笑顔でマスターキーと思しきものを振り回しながらやってきた。

「電話できる人がいてよかったねー」janitorはにこやかであった。こんなすぐに解決するならもっと早く誰かに電話してもらえばよかった。

そんなわけで、学内のオートロックドアに締め出されたら、janitorに電話しましょう。

敷居を低くしよう:matala kynnys 

matala kynnys: low threshold
low threshold:低閾値

2/24
ユバスキュラ大学フェアトレードコーディネーターとして、フェアトレード大学に関するハンドブックづくりワークショップに参加してきた。他にも何人か参加者がいる予定だったのだが、当日キャンセルが相次ぎ結局各大学からの参加者は私一人だけであった。

よりよいハンドブックづくりのために私もいろいろ意見してきた。その中で特にキーワードとなったことの一つが「matala kynnys (low threshold)」にしないとみんな読まないよね、ということだった。あまりフォーマルな文体にするととっつきづらいし、かといってフランクすぎるのもね、みたいなこと(ääneensävy:tone of voice)も話し合ったというわけだ。

帰りにおやつとかいろいろもらってきた。


何か思い浮かんだら:herättää

herättää: wake 
wake:この場合は思い起こさせるみたいな意味

2/25
この日はユバスキュラ大学フェアトレードコーディネーターとして、ウェブ上のワークショップに参加してきた。内容は先日とほぼ変わらないけど、いろんな大学から参加者が来ていたのでその分いろんな意見が聞けた。どうやって新しいフェアトレードコーディネーターと情報を共有するか(perhedytys:familiarziation)についてのブレインストーミングは特によかった。

ワークショップ中によく「mitä herätti?」(what came to your mind?)ってよく聞かれた。最近フィン語の授業でもよく聞く単語だ。

自己効力感とPhD defence:minäpystyvyys 

minäpysytyvyys:self-efficacy 
self-efficacy: 自己効力感

2/28

ユバスキュラでとてもよくお世話になっているとある日本人の方の博士論文最終公聴会(PhD dissertation defence)に行かせていただいた。詳しくはぜひ論文を読んでいただきたいのだけど、博論を前日に読ませていただいた段階からもう興奮しっぱなしだった。自分が日本の教員養成課程にいてずっともやもやしていたことが、日本の学校現場の共通認識のようなことが、こんな風に科学的に証明できるんだ!ということに感動した。

だから、自身の(教育学部の学生としての)経験とを重ね合わせながら、博論を読んでいる間何度もひざを打ったし、defenceの最中も首がもげるぐらいうなずいた。「See? That's what I've told you guys!」 って 、「日本の学校って、労働環境としてどうなの?」って今まで私に聞いてきた他国の留学生たちに見せつけたくなった。

今までの私は日本の学校現場の実態について、自分の経験則に基づいたことしか話せなかった。今の私は昔に比べたら少しだけ、その実態について説明する言葉やフレームワークを得られたような気がする。というかもはや私が説明する必要は皆無で、「日本の学校って、労働環境としてどうなの?」って聞いてくる人たちにとりあえずこの論文を送ったらいいのか。今度からそうしよう。

本当に大げさな意味合いじゃなくて、私はこの論文に出会うためにユバスキュラに来たのかもしれない。

ちなみにこの論文の大切なキーワードの一つある「self-efficacy」はフィンランド語でminäpysytyvyys っていうらしい。最終公聴会のopponent の方が「10年前に修論の査読をしていた時、minäpysytyvyysって書いてあってその時は何のことかわからなかったけど、今ではminäpysytyvyysについて研究する人が増えましたねえ」というようなことを仰っていた。

利便性と搾取:riisto 


riisto:exploitation 
exploitation:搾取

2/27
フィン語の授業の課題で、とある本のチャプター2つを読んで感想を書く、というのがあった。その本は'Sinut'と言って、1980年代にフィンランドに移住してきた移民の、移住した当初の回想録だ。

強調したいのは、移民(フィン語を第二言語として話す人)が、この本を執筆したという点だ。フィンランド語で

メタファーが多くて解釈が難しい点や、単純に語彙や文法の知識不足でわからない部分も多くあった。でもそれと同じくらい、フィンランドに住む外国人として共感できる部分も多くあった。時に膝を打ちながら、たまに泣きそうになりながら読んだ。

本に書かれた数あるエピソードの中の一つについて感想を書いた。自身が交換留学を終えた後に感じていたことがその本には書かれていたからだ。以下は私が書いた感想の一部。訳すのだるい(のと、フィン語で書いた感想の方が日本語や英語で訳すよりかなり率直に書いてある気がしていいなと思った)ので、文法の間違いは多分死ぬほどあると思いますがそのまま載せます。google translateさんに訳してもらってください。長々書いてますが要は利便性は搾取の結果生まれたものかもしれないよねってことです。

Vaikuttavin tarina (eli osa) oli 'mitä on kulttuuri' (sivu 39). Jos ymmärsin oikein, tässä kerrottiin, että muiaisena upeiden, suurijen ja kauniiden rakennuksen rakentaminen (esim. kolosseumit roomalaisella) johtuu riistämistä ja orjatyövoimaa. Vaikka Suomessa ei ole paljon 'vanhoja perintöjä' lyhyen historian (itsenäisyyden jälkeen) takia, varmaan sen ansiosta Suomessa ihmisiltä ei ollut koskaan riistettu. Kirjoittaja pitää sitä suomen'hyvänä kultturina'.

Sen tarina muistutti minulle minun vaihto-ohjelman jälkeen pidettua keskustelua japanilaisten vaihto-oppilaiden kanssa. Olin vaihto-opiskelija Suomessa 4 vuotta sitten, ja heti sen jälkeen keskustelin muiden vaihto-opiskelijoiden kanssa, jotka opiskelivat erilaisissa ulkomaissa samaan aikaan. Muut vaihto-opiskelijat huomasivat heidän vaihto-ohjelmassa, että japanissa kaikki ovat hyödyllisempää kuin muissa maissa, koska esim. japanissa lähikaupat ovat auki 24/7 (ja monet kaupat on auki pidemmän kuin muissa maissa), Japanissa ravintoloissa ruuan tarjotaan yleensä halvemmin ja nopeammin, jne, jne. Muut vaihterit jatkoivat kehua japanilaisia ihania jäerjestelmiä, ja kaikki piti semmoisia tapoja 'upeina meidän kulttureina'.

Olen eri mieltä. Siksi sanoin heille, että 'joo ehkä ne ovat upeita kulttureja. Mutta... luulen että ne johtavat työnteikjoiden liikään töihin. Japanissa nykyään hyvien ominaisuuden takaaminen...esimerkisksi 24/7 avoinnat lähikaupat, johtaa liikarasitukseen kuten varmaan olet kuullut. Lisäksi liikarasitus joskus johtaa työntekijan itsemurhaan. Suomessa harvoin liikaraistus tapahtuu. Mutta sen toisen puoli voisi olla Suomen lyhyemmät työajat, lyhyemmät aukioloajat ja kallimmat verot ja tuotteiden ja palvelujen hinnat' Tuolla kukaan ei ollut samaa mieltä kuin minä. Olen vielä pohdinut, että olenko väärin... olenko, meidän jopa'upean kulttuurin' arvosteleva itseni, väärin.


バンドエイドがない:laasteri

laasteri:bandage
bandage: バンドエイド

2/29
instanssi というイベントの運営ボランティアをしていた。未だにどんなイベントなのかよくわかってないのだけど(おい)、4日間でCG作品を作るワークショップコンペみたいなことのようだ。

https://instanssi.org/2020/

このイベントの受付ボランティアをしていた(受付にはグラフィクスの知識は必要なし)。受付に来た人が「onko teillä laastereita (do you have bandage?)」って聞いてきたのがなんのこっちゃわからなかったので、メモがてら書くことにした。

ちなみにそのあとは友人が修論を提出したということで、そのお祝いパーティに顔を出した。みんなはえげつない下ネタを話していた。

妖怪も映画の登場人物:henkilöhahmo

henkilöhahmo:character 
character:登場人物

3/1
前日に続いてinstanssiのボランティアをしていた。この日はあんまり仕事がなかったので、他の受付ボランティアと世間話をしていた。あるボランティアさんの卒論のテーマが、日本のあるアニメの登場人物(henkilöhahmo)から見る日本の国民性だと聞いた。

henkilö(person)と言っているけれど、妖怪もhenkilöhahmoらしい。登場「人」物ではないけれど。


たぶんね:kenties

kenties: possibly 
possibly:おそらく、多分

3/2
Subcommittee for environmental affairの会議に出てきた。学生組合の環境対策セクター的なやつの定例会議だ。今私がフェアトレードコーディネーターやっていることが環境保護にも関連すると思って参加して、ちょっとだけ話してきた。フィン語で話すの緊張した。

この会議の議長さんが、口癖なのかよくkenties( 多分ね)って言ってたので、この日の言葉はこれ。

もう過去には生きてない:elää menneisyydessä 


elää: to live 
menneisyys: past 

3/5

「まりのは修士を卒業したらどうしたいの?」とここ最近よく聞かれるようになった。特に何がしたいというのが今のところないので返答に詰まる。今日も今日とてとある友人に将来どうしたいの?と聞かれてしまった。わからないなりにわかっている範囲のことを正直に伝えた。

さっき話した自己効力感と関連するかもしれないけど、私は自分がどんな選択をしてもできる気がしない。(私はおそらく自己効力感が低い。)

「私って何をすんのも『難しい』って言ってる気がすんのね(I kind of realize that I always consider anything as difficult to achieve)」ってその友人に言ったら「うん、それは薄々気が付いてた」とのこと。やはり。

自己効力感向上にはロールモデルの存在とか、(肯定的・建設的な)フィードバックとか、成功体験の積み重ね等がどうも必要ということらしい。

私にはロールモデルがいないこともないし、(肯定的・建設的な)フィードバックを得ていないこともない。成功体験の積み重ねは少ないほうかもしれない。一回失敗するとすぐくじける、自身の粘り強さのなさ故かもしれない。

でも、今まで私の自己効力感を奪われたかもしれないと思う瞬間について振り返ってみると、それはロールモデルがいなくなった時とか、理不尽に否定的なフィードバックをもらったときとか、だった気がする。

私にもかつて(数年前)、ロールモデル、ないし「私もあんなふうになりたい!」と思う人たちがいないこともなかった。そういう人たちに師事(といえないまでも、なるべく時間を共に)したこともあった。だけど一緒に時間を共にすればするほどその人たちの…うまく言えないけれど「ここは嫌だなあ」という部分が見えてきてしまうのだった。

厄介なのは、周囲から良い評価をもらっている、みんなが「真似したい!」と言っているような人たちに対してさえも「うーん…」となってしまうところだ。「真似したい箇所もあるけど、ここはむしろ真似したくないよね」って常に考えてしまう。周囲が盲目的に信頼していることを、私はいつもさめたような一歩引いたような視線で見つめていた気がする。

そんな体験を何回か繰り返していたら、だんだん短期間で「この人のここは見習えるかもしれないけどここは真似したくない。」という点を見抜けるようになってきてしまった。まあ、私もまだ若造なので、単に私が早とちりしてるだけという可能性も大いにあるけど。

私は一人の人を徹底的に支持(師事)して真似して…っていうやり方ができないタイプなのかもしれない。もちろん一人の人の一側面を徹底的に真似するということはあるけれど(たとえば修論の執筆は指導教官の言うことに基本的には従う)、一人の人間をまるっとこう、短所も含めて「すごいすごい」っていうのはできない(恋人や家族やごく親しい友人でないと無理)。

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話がそれてしまった。そう、将来のことだ。

私は将来のことはそんなわけで、まったくわからない。でも多分私は一年前の私みたいに、多分過去にも生きてない。昔を思い返してつらくなる日が今だってないわけじゃないし、正直言うとまだ少し自分の心だけ過去に取り残されているのかな?と思う瞬間もある(そういう意味では私はまだ完全に過去を生きてないとは言えない)。

だけど、過去に目を向ける瞬間があったとしても、私の足元は現在にある。今の視点から過去を眺めている。そして本当に卒業しないといけないので、修論書かなきゃとかフィン語頑張ろうとか、そういう今やるべきことに集中できてもいる。前に進めないことがあってもそれは、タスクを消化しきれないとかそういう理由からであって、過去に囚われているからじゃない。

そういう話を友人にしたら 'siis et elää menneisyydessä (you don't live in the past)、大きな成長じゃない'って言ってくれた。


私は、「わたしなにがしたいのかなー」と思いながら一生を終えるんだろう。だけど今を積み重ねるしか他にどうしたらいいかわからないから、こつこつ今を積み重ねるのみだ。


おわりに

というわけで今回のword of the days はバンドエイドから自己効力感まで盛りだくさんでした。ではでは。やっと修論書きたくなってきた。(笑)

そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…