あたたかな水面に浮かび

   河床の砂と夏空を混ぜて水に溶かせば、抹茶の薄茶を点てた色になる。その上にぽっかり浮かぶマサは、汽水の水が穴という穴から浸入するのだが、潮気がひりひりするだけでいっこう意に介する様子はない。そういうことより目の上に立ち上がる入道の、筋肉を爆発させるムーブメントや、西へ行ってしまった太陽が、後ろ足で砂を掻くように刷き散らす光芒から、かたときも目を離なすことができないのである。だから自分が溺れているとは少しも思っていないし、そもそも溺れるという言葉すら知りはしない。まして生と死などを習うのは遠い先である。

 少し前に、少し上のトミと中洲の先で、持ってきた釣りざおで、それが竿といえるなら、浅瀬に群れる小魚を叩いて、晩の菜にしようと夢中だったのである。すると青底のぺらのゴム草履が流れてきた。それは荒物屋の弁慶で、この夏のために百円で買い与えられた唯一の履物で、中洲の上に二つそろえて脱いだはずのなのに、なくせばえらいことになるに違いないから、ひとつ掴み、もうひとつはもっと先を流れていたのである。それで水中をふわふわ寄っていき掴んだときは、もう足が川底につかなかった。

 ばたついたが、生来根気がなく気が散りやすい性格なので、眼の端に入道雲を捉えるとたちまち気を逸らせることができなくなり、対抗心から大の字になると、不思議にぽっかり浮かび安定したのである。まだそれを履いて帰るつもりの草履のくにゃっとした鼻緒を、両手にしっかり握っている。ゆるゆるに伸びたランニングシャツとパンツは体の周りで所在なげに揺蕩っていた。

 まだ幼稚園を出てはおらず、しっかり考えることはできなかったが、それでも入道と自分の関係を深く思ったのである。怒りに膨れ上がるようでいて、流れる水のようによどみなく、しかも筋肉の膨らみは日照に輝いている。
「この人はなにかを伝えようとしているのだ」この人とは誰だろう。それは偉大な人だ。神などという言葉を知らないマサではあったが、そう信じるとひどく満たされた気持ちになり、ぽっかり浮かんでいた。

 すると大の字に広げた手に、さっきからこつこつと、平和な眠りを妨げるようにノックをする者がいたのである。マサはひどく不機嫌になった。特別な人と自分の世界に突然闖入者が現れたのであるから、自然な感情であったのかもしれない。放っておいても、いっこうに向こうへ行く様子はなく、どうも仲間に入れてもらいたいらしい。探るとどうも人間の足のように思えるのだけど動かない。


 もっとたぐり寄せると脚のような感じになり、マサはそれにつかまったのである。するとなお安定して水面に顔を出していられるようになり、特別な人が浮輪まで投げてくれたのだと、胸が熱くなり、なおいっそう入道雲を一心に見上げていたのである。
                                  続く

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