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妙子ショート・ショート

「だから二十二対零で完敗するところだったじゃないか。あーあと思ったよ。そしたら突然ラックの中から出た球を、背番号十の大男が、ああこいつをスタンドオフっていうんだってな」
「それはいいから、妙子はどうしたんだ」
「それを言わなきゃ話がつながらん。スタンドオフってオールジャパンでは田村なんだってな」
「だから……」

「そんでな、スタンドオフが左翼に球を飛ばしたのよ。ロックっての?四番の背番号つけたやつ、そいつがちょんと触ってバックパスした、その球を掴んだのがわれらの超特急、我が校きっての俊足、背番号十一番左ウイングのパークだわさ。いよっいい男、思わずいけー、まくれーと叫んでいるとだな、なんだかさっきからひらひら頬を掠めるものがあるじゃないか。そんで殴ってやろうかと振り返ったら、何が起きていたと思う」
「いいかげんにしろ、そっから話してくれと言ってるだろ」
「別におめえに話してやる義理はねえんだし」

「そう言うな、こうしてビールを飲ましやってるだろ、もう一杯どうだ」
「ああいいねえ」 生中二杯が、ネジという面倒なクラスメートの螺子を巻き、咽をひと鳴き猫鳴きすると、顛末を話し聞かせてくれたのだった。

「左ラインを弾丸となって駆け上がるパークに、追いつく勢いが敵軍の、地区随一の俊足だ。追いつかれる、あータックルだと思ったらパークがバックパス、人が交差し乱れた中から球が出て、ふたたびパークがミッド・フィールド左の低い位置でキャッチ、そのまま外へ円弧を描くように突っ込んでいった。さあどうなる?」
「次お願いします」

「静かに観戦していたはずの妙子が知らないうちに立ち上がっていたのよ。目深に被る紺碧の中折れ帽が、今にも錆びる空へ舞い上がりそうだ。薄い鞣し革のコートはサンド・ウォッシュのインディゴで、風に靡びく裾が、座る俺の頬を撫で、花の匂いにむせ返る」
「そんで、そんでー」

「フィールドじゃあ、用は完封負けするかワントライ決めるかのラストシーンだろ。パークは自分が決めると思ったさ、きっと。だがラインは厳しいぞ。腕で火の粉を振り払うようにして、力のかぎり走ったんだろう?俺は知らんよ、妙子に釘付けだったからな」
「いいとこで息継ぎするな」すでにネジの瞳は夢見る人のように視点が定まらず、もう一杯グラスを仰いで、ようやく続きが始まった。


「おれは座り、妙子は立っているんだから、下から見上げるかたちになった。いつのまにか立ち上がる妙子が胸の前で印を切っていた」
「印ってなんだ」
「知らんのか」
「知らんよそんなもの」
「ほら、忍者が術を使うときのポーズだ。猿飛佐助とか霧隠才蔵とか」
「妙子は、くの一の生き残りなのか?」
「そんなこた知らんが、くの一ってのはたいてい美人だろう、だったらそうかも……そんで軽い矯めを作り、解いた手を押し出した。まさにその直後だわ。わーんと歓声が上がり、フィールドでパークが腕を振り回していたのは。すぐに呪文でも唱えたのかと妙子に聞くと、孔雀のようなウインクをして笑った」

「そのウインクって、下瞼が上に上がっていくやつ?」
「ああ、そう言われるとそうかも。猛禽にアイコンタクトされるようでゾクッとした。そんでそんで微笑みが、座るオレの上にこぼれ落ちてきた。西風に煽られた帽子が、空へ舞い上がった」ネジはトランス状態で、これ以上聞くべきことは何もなかった。

 深い青の帽子が、観客席の上の赤錆めいた夕空へ消えていくのを僕も見ていた、フィールドから。
              続く

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