妙子ショート・ショート 3

 ふた月み月すると、ぼくらと妙子は真心で通じあう仲になった。そしてぼくは、キッチンと運びの手伝いを、ネジは梯子を掛けて、古家の修繕をやっていた。

「そういうことは、やっていただかなくて結構です、もうほんとうに結構です」と言うのを

「まあまあ、そう遠慮なさらず」と強引に説き伏せた。慎ましやかな女の真意に配慮するのが紳士のたしなみというものだから。


 ネジは直しているのか壊しているのか、わからないようなものだが、貴重な情報がもたらされた。

「こりゃ特ダネだ。いくら出す」と言われ

「生中一」首を振るネジに、しぶしぶ「生中二」と言わされたのだった。


「二階は妙子の居室になっている。窓から張り出した縁がある。はしごを掛けて上ってみると、窓の裾に薄いカーテンが纏めてある。そんでだ、その影に誰が居ると思う」

「誰か居るのか」「居ないでか」

 そこに鎧を来た人が立っている。妙子を守る見張りの者だろう、見張り人を隠すということは、妙子は実は高貴な身分かもしれん。もしそうなら、常軌を逸した洗練の所作だの、巧みな料理の設えだの、なぜだかわかろうってもんじゃないか、勝ち誇るようにジョッキを空け「二杯目」と顎をしゃくった。実にまずい状況と言わざるをえない。そんなことじゃ、ぼくのウエディングプランに狂いが生じるじゃないか。


「邪魔者は殺っちまうしかないだろう、なあ兄弟」

 そういうことがあった後日のことだけど、男臭い臭いが充満するような、活況を呈する桃苑の、手伝いをしていた。

 「階段を上がった二階の入口に卵のパックが置いてありますから、ちょっとあなた取ってきてくださらない。どうか中へは入らないで」そう丁重に頼まれたとき、今しかない、二階の見張りをこの手で絞めるのだと、ふつふつと湧き上がる殺意を胸に、猫足で階段を上がっていった。卵はあるが、そんなもんは目じゃない。


 窓の外を監視する男の背後から、羽交い締めにしようと忍び寄り、全身にアドレナリンが駆け巡るのを感じ仁王立ちした。するとくるっと振り返った男が指の叉を掴むじゃないか。痛えー、痛くて動けない。

「君、こんなことしてはいかんな。静かに卵のパックを持って下へ降りなさい」などと生意気な口を利いている。あまり痛いもんだから視線が流れた先に、張り出し縁から頭だけ出したネジが、はしごごとがたがた震えていた。


「わたしのことなら心配はいらない、妙子さまの身の回りの世話係だから。日ごろからよくしてくださると聞いている。なにごとも内密に、内密に」と言って、ぼくの手を離した。


 それから、またしばらくしてのことだった。

「あんな、妙子あやしいぞ。なにやら身支度に余念がないようだ。ひょっとするととんずらするかもな」

「貴人もとんずらするのか」「しないでか、状況がかわりゃたちまちこれよ」と首の前で平手を切った。

「妙子の身に危険の手が伸びているのか」

「かもな、どうする兄弟」妙子守るべしという闘志がまたもや、ふつふつと湧きあがってくる。


 その日から毎日毎夜ネジと手分けをして桃苑の監視にあたったので腰がぱんぱんに張っていた。なにやらストーカーのようだが、こちらは崇高な愛に裏打ちされた行為だから、断じてそれはない。


 秋が冴え渡る朝、桃苑の戸が開き妙子が現れた。朱に鞣す皮のトランクを提げている。錠をかい張り紙をした。張り紙をつくづく眺め、石畳の道を眺めた。それから突っ立ってるぼくらに目を留めた。顔に大きな笑みを浮かべ、それは座敷猫のように憎めない顔だった。瞳にうっすら涙を浮かべている。


「用ができてしばらく留守にします、あるいは長くなるかもしれないけれど、いつも私の心はあなたと伴に、そしてあなたと伴に」とひとりひとりに別れを告げた。


「あの、これがぼくの最後の試合なんです。中央競技場の指定席を取りました。ネジが隣でお世話をします。ぜひ来てください」そういうのがやっとで、手の中でくしゃくしゃにしてしまった切符を押し付けた。


 妙子の下瞼が上にせり上がり、孔雀のようなウインクをした。そして静かに胸の前に指を合わせ、呪文を唱えている。しばらく唱えると、明るい瞳と手の平を開き、ぼくのほうへ押し出した。


 腰を覆う重苦しい張りがみるみる失せた。気がつくと、ゆったり上る後ろ姿がおぼろに霞み、深い青のフエルト帽が坂上の空に溶けていった。

              了

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