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7月に見た映画②

だいぶ時間がかかってしまいましたが引き続き7月に見た映画の感想を書いていきたいと思います。例によってネタバレしていますのでご注意ください。

7月に見た映画①はこちらです。

WAVES ウェイブス

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フランク・オーシャンやカニエ・ウェストなどの人気アーティストによる素晴らしい楽曲や鮮やかな色彩に包まれた青春映画かと思いきやトレイ・エドワード・シュルツらしい愛憎入り混じる家族の物語だった。誰からも愛されていた兄が厳格な父からのプレッシャーや黒人として生きる事の厳しさ、大きすぎる挫折を抱えて取り返しのつかない事件を犯し、そんな兄に対して愛憎を抱えながら家族はなんとか向き合おうとする…それはまるで寄せては返す波のようにも見える。人生のピークとどん底、愛と憎しみという波が打ち寄せ、一度波に飲まれた場所は元には戻らない。それでも家族という繋がりはそこにあり続ける。そんな波の中にある喜びや悲しみ、挫折、プレッシャー、赦しなどの普遍的な感情に見事に切り取っていた。また人生の絶頂とどん底に呼応するかのように変化する画面サイズや愛に満ち溢れた世界を映し出すメリーゴーランドのようなカメラワーク、愛と憎しみの変遷を赤と青のグラデーションで表現する色彩感覚、「ムーンライト」を彷彿とさせる青みのある黒人の肌など巧みな演出も見事に冴え渡っていた。

MOTHER マザー

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家族の繋がりはいい方向に働く時もあれば悪い方向に働く場合もある…今作の場合は間違いなく後者だ。しかも非常に厄介な共依存という形で牙を剥いてくる。ネグレクトする母親とそこから離れられない子供達は社会から切り離されてどん底に落ちていく。救いの手を差し伸べられても振りほどいてしまうし、男達は真の意味では無責任だ。それでもお互いに離れられないというジレンマを安全圏で見守る観客達に突きつける。しかしその割にはダイジェスト感が強い。彼らと関わる事になる男達や福祉サービスの人々との関わりが案外あっさりだし、長期的なスパンの話なのにばっさりと切ってしまうのもなんだか味気ない。あと本気でどうしようもない底を見せるという意味では同じ大森立嗣監督作品である「タロウのバカ」の方が本当にエグい後味を残してくれる。ただ奥平大兼の存在感や長澤まさみの毒親演技は素晴らしかった。

のぼる小寺さん

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将来の夢が分からない人、やりたい事がなくて漠然と日々を過ごしている人、夢中になっている事があるけど仕事としてやってもいいのか不安な人…高校生に関わらずそういった不安や悩みは人生には付き物だ。今作はそういった悩みや不安に対して「とりあえず立ち向かってみる」という姿勢を優しく称えてくれる。ボルダリングのことしか考えていない小寺さんを軸にして、個性も価値観もバラバラな高校生達が自分なりに一生懸命になって頑張っていく。そんな姿を見て自分ももうちょっと頑張ってみようと勇気を貰う。このように頑張る人達の素敵な相乗効果が観客にもしっかり伝わってくるようになっている。しかもこういった群像劇にはお馴染みのスクールカーストから生じるサンチマンから解き放たれているのもとても好ましい。ギャルっぽい女子高生が小寺さんに対して「私は嫌だけど小寺さんは嫌じゃないもんね」と自然と認め合うという風通しのよさも素敵だと思った。そして恋愛模様と夢への頑張りを絶妙なバランスで表現する吉田玲子のきめ細やかな脚本や役者陣の魅力も素晴らしかった。あと壁に立ち向かう事を端的に表現できるボルダリングってすごく映画的に映えるなとも改めて感じた。

Mommy マミー

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様々な問題を起こしてしまうADHDの息子と一人で息子を育てようとする母親はヤマアラシのジレンマのように愛し合う程に傷つけ合い、それでも愛さずにはいられない。心を通わせる隣人との出会いなどようやく心安らげる居場所を見つけたと思っても、またすぐに引き裂かれてしまう。そんな2人の剝き出しな愛憎を美しいショットと狭い画面サイズで切り取り、まるで2人が世界の中心にいて不思議なバリアに守られているかのように描いていく。2人の世界がどこまでも飛躍すると感じた瞬間にオアシスのWonderwallと共に画面が広がり、あり得たかもしれない幸福な未来を幻想し、苦渋の選択の末に引き裂かれてもまた惹かれあう…尊さが溢れ出して止まらなかった。そして「あなたとわたし」、「キミとボク」という一対一の誰も寄せ付けない世界観は新海誠やデイミアン・チャゼル、M・ナイト・シャマランのようなエゴイスティックでロマンチックな作家達の映画と並べて語りたくなる。グザヴィエ・ドラン、恐るべし。

インビジブル

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グロテスクな透明化シーンや透明人間との戦いなどCGを駆使した映像表現が本当に見応えたっぷりで、20年前の映画とは思えないほどリアルで生々しい。血を浴びて正体が露わになる描写や透明人間に投与した薬物が体内に循環していく描写など透明人間を映像化するという意味においては今作が完成形だと思った。そして独善的で独りよがりな天才科学者がありとあらゆる皮を剥いでいった結果、モラルなきエゴイスティックな怪物となっていくというのも、自分の中に眠っているドロドロな欲望が表に出てしまったかのような怖さや嫌らしさをどうしても感じてしまう。姿が見えなくなってしまったことによって社会的地位や体裁を気にすることなく、欲望丸出しで女性にスケベな事をやっていく主人公の姿を変態的に描いていくポール・バーホーベンの思い切りのよさは一見すると無邪気に見えるかもしれないが、彼は男性の悪意を白日のもとに晒す事をきちんと念頭に置いた上でやっている。しかも全くあざとくないのだ。そこがなんともスマートだと感じた。

アルプススタンドのはしの方

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誰もが高校球児達に熱い視線を送るアルプススタンドのはしっこに集まったのは諦めや後悔という達観に囚われた若人達だった。インフルエンザで全国大会に参加できなくなった演劇部、自分には才能がないと諦めた元野球部、勉強だけが取り柄だったのに文武両道なライバルに負けてしまった優等生…人生は「しょうがない」の連続である。しかしそれでも頑張る人もいる。空回りしている熱血先生も誰もが羨む吹奏楽部の部長、野球部のエース、ずっと試合に出させてもらえなかった野球部員など表舞台でスポットライトを浴びる人もはしっこで眺める人にもそれぞれの場所で「しょうがない」と戦っている。画面には映らない野球の試合を見つめながら、いつしかその「しょうがない」に立ち向かっていくはしっこの学生達の意識の変遷に感動しっぱなしだった。確かに頑張りや努力は必ず報われるものではないけど、別の形で繋がったり輝いたりする事もあるのだ。またはしっこだったはずの応援席がいつしか大きな応戦席と一体になっていくようなフレームの収め方や何気ないやり取りのリアリティなどの演出も見事で素晴らしかった。舞台である観客席がどうみても甲子園じゃないなど粗はあるものの、ドラマチックな感情や巧みな演出はそれらの粗を補っても有り余るほど見事だった。


というわけで7月に見た映画は13本でした。7月は「のぼる小寺さん」「アルプススタンドのはしの方」という素晴らしい青春映画が連続して公開された事がすごく印象的だったなと思います。大作系が軒並み延期されている現状で、拾い損ねてしまうかもしれないような小品の青春映画達がちゃんと見られているのが嬉しいですね。8月も沢山いい映画と出会えますように…。

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