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おひとりさまの真意~ひとり登山から見えるもの

映画、舞台鑑賞、国内・海外旅行、温泉、お寺巡り、カフェ、ファミレス、居酒屋、牛丼屋・・・遊びも仕事も趣味も、大抵のことは一人でやれる。年齢もあるだろう、経験もあるだろう、時間的な制約もなく、相手に気を遣う必要もない。だけど、おひとりさまを選ぶ理由は本当にそれだけだろうか。

先日、初めて「ひとり登山」をした。誰かを誘って行く方法もあった。だが、私はひとりで登る道を選んだ。先に述べたような「気ままさ」はもちろん理由として挙げられる。自分でスケジュールを立て、自分の行きたいときに、登りたいペースで、誰に指図されるでもなく、歩むことができる。思い立った日から、わずか2日で実行に移すことができた。誰かと行こうと思ったのならば、よほどフットワークが軽いか、金持ちニートの友人でない限り、そんな短期で計画を実行できないはずだ。そして私は当日を迎え、登山口に降り立った。

登山は過酷なスポーツだ。スポーツと定義していいか分からないが、遊びと言うには軽い。趣味であっても、(登る山によるが)命の危険があり、自分との戦いである。しかもその当日、晴れの予報だったにもかかわらず、見事に靄がかかっていて、スタートして10分で雨が降ってきた。山の天気は変わりやすいと聞くが、変わったのではない、最初から天気が悪かった。早くもひとり登山に暗雲が立ち込めた。誰かと一緒だったらどうするか相談し合えるだろう。どちらが雨女だのと押し付け合ったりできるだろう。でも、ひとり。決めるのは私だ。私の少し前にひとりで登っている男性がいた。私は自分の運命をその男性に委ねた。

あなたが登るなら、私も登るわ。

そう思っていたら、彼が雨具を取り出すために立ち止まり、私はいとも簡単に彼を追い越してしまった。もうこれは神様が「人に頼るんじゃない。自分で決めるんだ」とそう言っているのだと思った。気付いたら雨が雹になっていた。なんだか楽しくなって、勝手に足が進んでいくのを感じた。景色は靄、雲、霧・・・どれでもいいけどずっと同じ。だから見る景色もなく、写真に収める風景もない。登ること以外、暇だ。私は登りながらずっと考えていた。

なぜひとりで登っているのか。

それは後悔ではなく、単純な問いかけだ。生まれてこの方、天涯孤独で生きてきたわけではないので、誰かと何かをやる楽しさを知っている。誰かと美味しいものを食べたり、スポーツをしたり、映画や舞台を観たり、どこかへ出かけたり、それはとても楽しくて思い出に残るものだ。だけど、私は今、こんな過酷な状況でひとり、山を登っている。これいかに。


あぁ、私って、欲深いのだな。


つまり、強欲。良く言うと、貪欲。「自分が決めたとおりに事を進めたい」「絶対にやりたい」その欲の前に、誰かのために日程を変える、とか、何かを妥協する、と言うことが一切許せないのである。きっとこれは、お一人様の行動すべてに当てはまるはずだ。ひとりでお店で食べる時も「今この店で食べたい→一人だけど食べたい→食べる」欲に従って生きている。そこに、ひとりだから恥ずかしいとか、誰かを誘ってから食べようとか、浮かばない。ひとりで映画を見る時も「明日あの映画を見たい→(誰か誘ってみる)→(いない)→ひとりでも見たい→見る」映画が最優先なのだ。特に映画の日かレディースdayなら尚更優先される。この欲深さが私をこの山へと駆り立てているのだとスッキリしたところで、私は小休止を取った。

するとさっきの男性が私を追い越していった。しばらくは付かず離れずの距離で山頂を目指していたが、途中で写真撮影をしたり、一息ついたり、転んだりしていたら、いつの間にか男性は見えなくなり、正真正銘のひとり登山となった。平日だったためか登山者は少なく、対向者はいたものの、同じルートを進んでいる人は私と彼だけだった。だがひとりでも十分登山は楽しかった。意外と険しい山道に集中力を要し、天候の移り変わりにハラハラして、途中の案内板で示される距離に一喜一憂して、霧氷に感動して(トップ画像がそれ)、ひとり言とひとりカラオケを好き放題していたら対向者に聞かれて笑顔でごまかして・・・そう書くと、寂しく見えるだろうか?ーーいや、楽しかろう。

そうして、山頂に辿り着いた時の達成感と言ったら。山頂は吹雪いて吹雪いて、死にそうに寒かったけど、その山小屋で飲んだあまざけの美味しさと言ったら。と、行き分かれたはずの男性が、その山小屋にいた。

あなたも無事辿り着いたんですね。

私は心の中で話し掛けた。もう気分は同志である。そして彼は先に旅立った。その山はいくつもルートがあったので、彼ともう出会うことはないだろう。私は山小屋でスタッフと常連っぽいオジサンと談笑しながら、身体を十分に温めた。

下山は驚くほどスムーズだった。行きのルートの過酷さを改めて知った。半分走っているくらいの早さで、文字通り「駆け下りて」いき、前を行く登山者をグングン追い越していった。雪景色も次第になくなっていた。

悲劇は突然訪れる。調子に乗っていた、確かにそう言わざるを得ない。アラレちゃんみたいに「キーーーン」と走って下りていた。下山は本当につまらないので(これは私的な感想です)、わざとテンションを上げていた節もあった。それに残りの楽しみは温泉とビールしかなく、そこに向かってまっしぐらだった。すると、

濡れた足元が、ツルっ。私の身体は少し浮いた。必死で手すりの鎖を掴んだ。掴んだはいいが、膝からドンっ。それから身体が反転して、気が付いたら仰向けになっていた。周りは誰もいない。私は「イテェ!」と叫びながら立ち上がり、濡れた落ち葉や砂を払うため身体をはたいた。膝を強打し、これはヤバいと思ったが、やや痛むものの普通に歩けた。そこで私は衝撃的な光景を目にする・・・

20m前方に、あの、男性がいた。

彼は振り返り、少し首をかしげていた。イヤホンを付けて登っていたので(すれ違う際に確認済み)声は聞こえてないだろうが、気配を感じて振り返ったのだろう。私を心配をする素振りもなかったので、転んだ瞬間も見ていないっぽい(見ていたけど心配していなかっただけかも)。彼は前を向き、再び歩き出した。そこで私は笑いがこみ上げてきた。理由はいろいろある。とにかく笑えた。派手に転んだ自分に、ジンジンと痛む膝に、男性に追いついた自分のスピードに、何だか運命的な再会に。

とは言っても目的はただ一つ。下山すること。下山までの1キロくらいはさらに前にいたオジサン二人組と合流し、4人で連れ立って歩いていた。ふたりとひとりとひとり。オジサン達の他愛のない会話を聞きながら、私たちは静かにゴールのバス停へ進んでいった。

ようやくバス停に辿り着き、ちょうどよくバスが来ていて滑り込み、私の長い長いひとり登山は幕を閉じた。本当に疲れた。だけど心地の良い疲れだ。ひとりでやり切ったことと、登頂したこと、ふたつの達成感がそうさせた。ひとつだけ後悔があるとすれば、男性にお礼を言えなかったことだ。

私の前を登ってくれてありがとう。

でもこんなこと突然行ったら気持ち悪がられるだけだと思うが。

おひとりさまの真意に辿り着き、新しい経験と出会ったひとり登山。次なる山では何に出会えるのか楽しみである。

今回登ったのは、丹沢山系 塔の岳 1491m
ヤビツ峠からの表尾根縦走。帰りは大倉ルート。
※この写真だけは登山者に撮ってもらった。

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