『No.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly One』という価値観
今日から10連休に突入です。本日は、最近取り組んでいる活動の勉強会があり、昼間は鎌倉まで出掛けていました。とても有意義な時間で、最近全てが停滞気味だった私は、この交流の時間の中で大いに刺激を受けました。平成も残す所、今日を入れてあと4日になりました。いい締め括りが出来そうな予感がします。
本日のテーマは、『世界に一つだけの花』で歌われる「NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly One」という価値観についてです。現時点での私の考えをまとめてみます。
平成の日本を代表する大ヒット曲
『世界に一つだけの花』は、2003年にSMAPの35枚目のシングルとして発売されました。シンガーソングライターの槇原敬之氏が作詞・作曲を手掛けたこの曲は、後に平成を代表する空前の大ヒット曲となり、老若男女、あらゆる世代の人達から支持されている国民的楽曲となりました。私もこの曲が本当に好きで、今でも気が付くとふと口ずさんでいることがあります。
私よりも年齢的に少し下の世代、今の30代後半から40代中盤くらいの方々には、「この曲に勇気づけられ、救われた」「生きる希望をもらった」と感慨深く真顔で語る人が多い気がします。人生の最も多感な時期にこの曲に触れたことは、その後の価値観形成に、強く影響しているのかもしれません。
世相にマッチした歌詞の世界
この曲が、多くの日本人の心に刺さる理由の一つに、印象的な歌詞があるのは間違いないでしょう。
この歌詞には、槇原氏の世界観が色濃く反映されており、「天上天下唯我独尊」(=世界の中で我のみが尊い)という仏教の教えがベースにあると言われます。
この曲がヒットしていた頃の日本は、平成の「失われた10年」を経ても、一向に景気が上向く気配はなく、沈滞・停滞が当たり前になりつつありました。「いつかは復活するからめげずに頑張ろう」という臥薪嘗胆のモードもそろそろ薄れ、「これから先もどうせいい時代は来ない」という諦めのムードに包まれはじめた時期だったように思います。
そんな世相の中で、漠然と「もうこれ以上競争で優劣を競って、肉体や心をすり減らすのはもう沢山、自分は自分らしく生きたい」と考えはじめていた人達(私もその一人)の心に、この歌詞が深く突き刺さったのだと思います。右肩上がりで上昇していく人生を享受するのが"当然"と考えるこれまでの日本人の常識や価値観に一石を投じた問題作でもあったと思うのです。
ただのオンリーワンでは…
この曲の描く世界には、そんな自然体で生きていきたいと考える人たちの共感を誘う魔力があります。たとえば、私にとって自分の息子は、他の子供とは比べようがない正真正銘のオンリーワンです。息子には、自分だけの花を咲かせることだけに一生懸命になって欲しい、と真剣に思っています。
一方で、この楽曲の描く世界が、現実世界では儚い幻想であることもはっきりと自覚しています。ナンバーワンではないオンリーワンが、社会的にさほどの評価も尊敬もされることはない、というのは冷徹な現実です。
自分を「何者にも代え難い尊い存在」と考えることは、自分を支える精神安定剤にはなっても、現実社会を生き抜いていくための特効薬とはなり得ません。むしろ、自分の価値を実態以上に肥大化させてしまう危険のある考えですらあります。自らは何の努力も、工夫も、我慢も、せずに、「オンリーワンである私をなぜ誰も大切に扱ってくれないの?」という身勝手な方向に向かってしまうとかなりイタイ人になります。
確立したオンリーワンが安泰とは限らない
仮に『世界に一つだけの花』と認められたとしても、その状態がずっと安泰であるわけではありません。2016年には、所属するジャニーズ事務所に叛旗を翻したことで、国民的大スターであったSMAPのメンバーでさえ、瞬く間に活躍の場を剥奪されていくという恐るべき事態を目撃しています。ネット上では、「たとえ世界に一つだけの花でも、所詮は花屋の売り物」といった皮肉も言われました。
私は、この曲に今でも大変な愛着があるし、この歌詞の価値観にも共感しています。ただし、現実の世界に生きなきゃいけないわたしたちが、「存在しているだけでOKなんだ」という極端な価値観に染まってしまっては駄目だとも考えています。
個人個人が大切にされる社会を
各人の尊厳は、最大限認められるべきです。私の暮らす日本という国が、
であって欲しい、と心底願っています。寛容さと余裕がある社会の実現の為、私もやれることをやっていきたいと思います。
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