「好きなことをやる」の嘘
よく「死ぬ前に後悔する〇〇のこと」などというようなリストが公開される。
どのような状況で聞いたのかは知らないけれども、どうせ老い先短い人に聞くのなら、人生でよかったこと、満足していることの方を聞いてあげればと思うのだが。
そのリストを見ると、「好きな人に素直に告白すればよかった」「行きたいところに行けばよかった」「やりたい仕事を選べばよかった」「友人にもっと合えばよかった」
等々。
つまり、共通しているのは「やりたいことをやればよかった」
だからと、このようなリストは言いたいのだろう。
「若い人は、死ぬ時に後悔しないように、やりたいことをやりなさい」
果たして、このアドバイスは正しいのだろうか。
間違っているとは思わない。
しかし、万人に当てはまるアドバイスなのかどうか。
世の中に、「やりたいこと」だけをやって生きていける人は、どれだけいるのだろう。
多くの人は、「やりたいこと」に限りなく近い、第二、第三の選択肢をやむを得ず選んでいるのではないか。
いや、それでもまだいい方だ。
「やりたいこと」の正反対の、「やりたくないこと」を選ばざるを得ない人の方が多いのではないだろうか。
「それは勇気がないだけだ」
「やりたいこと」をやって成功したと称している人からはそんな批判が聞こえてきそうだ。
そんな人は、きっと、自ら命を絶った人でさえも、同じ言葉で切り捨てるのだろう。
それに、その「やりたいこと」をやって成功した人でさえも、「やりたいこと」のすべてをやってきたわけではないはずだ。
どれだけ世界中を旅したとしても、それでもやはり、行きたいところは残る。
どれだけ本を読んだとしても、読みたい本は常にある。
好きな人に片っ端から告白したとしても、また好きな人は現れる。
いずれ、この世のすべてを知ることは不可能なのだ。
すべてを手に入れることは不可能なのだ。
世界征服など、人類史上誰も成し遂げていない。
「やりたいこと」をやらなければと思っている限り、この人生に満足して死ぬことは無理なのかもしれない。
自分で選択したこと、それはたとえそうせざるを得ない状況での選択であったとしても、その選択したことに全力で取り組むこと。
もし「やりたいこと」を選択できるチャンスがあれば、そうしてもいいが、そうしなかったとしても、それは自分が選択した道であることを自覚する。
そして、何よりも身につけるべきは、「やりたいこと」をやりたいと望むことよりも、自分の選択を後悔しないことだと思う。
やはりムサシはすごかった。
ハチのムサシじゃないよ、宮本武蔵。
ハチのムサシもすごいけど。
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