フィンランドの親から見たフィンランド教育崩壊

割引あり

(ヘルシンキサノマット誌から)
ヘルシンキで学習塾が流行
学校が子どもに自立を求めすぎるため
ヘルシンキでは初等教育で有料の学習塾に通う子どもが増えている
ヘルシンキ誌の調査では、昨年11年に少数ながらも算数、スウェーデン語、英語なその他の勉強スキルを磨くための塾に通う人が増えたと報じた
ある保護者は、中学時代に算数が苦手だったため、子どもを学習塾に通わせた
小学校卒業後に夏期講習を受け、高校では定期的に家庭教師を雇っている
取材では、高校や教師の仕事に影響があることを懸念して名前を公表していない

「中学二年の時に、学校が自主指導に切り替えたが、うちの子どもには合わなかった」
「思春期を迎える子どもにとって、学校へ行く意欲が一番低い時期なので、主体的に勉強する授業へはついていけなかった」
実際そのクラスでは、生徒が自分で数学を学ぼうとする事が前提で、問題はまず友人同士で話し合い、それから教師に聞く
教師は学力の弱い子にかかりきりで、普通の生徒を見る余裕がなかったという
勉強は、廊下でも食堂でもどこでもできる環境だったので、多くの生徒は勉強以外の活動に注意を取られやすかった
インタビューに答えた親は、他の多くの親とともに教師と話し合いを続けている
そして教師は主体的な学習方法は中学全体の勉強に使うべきではないと回答し、
そして伝統的な指導方法に戻すことになったが、生徒間の知識はすでにギャップが生じていた
その為、親は塾などで学習の確認を行う流れとなった
塾での学習は、椅子に座って授業を聞いて問題に取り組む伝統的なものであり、子ども達はその効果を感じていた
親として学習の主体的な取り組みという考えは理解できるという
しかし自身も教育者の身として、多くの生徒は大人の指導が必要と語る
「才能があり、やる気のある子にとっては、主体的な指導は確かにいい考えだが、クラスの大半には向いていない」
保護者達は、自身の仕事でも主体的に行動する事に神経を使っている経験から、生徒たちにとってもストレスが溜まるだろうと感じている
生徒たちの集中力不足も問題
その原因はデジタル機器と、授業からスマホが完全に切り離せていない事だという
「ゲームやオンラインは若者の現実世界を分断しています」
インタビューに答えた別の親も、自主的な学習では子どもの学習スキルにギャップが生じ、家庭や塾などで埋める必要があると語る
ここでも親は匿名だが、教師批判として子どもが学校で責められることを恐れているからである
小学4年生になる子どものスピーチ授業では、教室でなにも教えていないという印象だった
新しい科目は、演習を通じて直接アプローチする
わからない事は、自分で本を読んで学ばなければならない
それでもわからない場合は教師が教えてくれる
「教師曰く、子どもは自分で質問できるはずと主張するが、この年齢の子どもにはまだそのような学習能力はない。新しい知識も本を読んで自分で理解できる事でもない。せいぜい既に習ったことを思い出す程度だ」
子どもは分法など基礎的な事も学んでいなかった
このことは学校との話し合いで明らかになったという
このような状況から、親が子どもの学習ギャップを埋めるために、基礎的な勉強を教え始めた
ほとんどの教科は新しい知識は古い知識の上で成り立っている
基礎ができていないと新しい事を学ぶことは難しい
その他にも。子どもの将来を期待して英会話のオンライン教室も始めた
「将来、自分たちが教えるレベルではなくなったら、他の教科を考える時が来るかもしれない」
親の強力なサポートが無ければ、子の成績は落第だっただろう
今ではA+だ
「基礎を学べばおがくずの上で将来のスキルを磨く必要はない。成績はそれほど重要ではない」
子ども達の学習に対する懸念は最近の現象ではないとヴァンターの親はインタビューで語る
彼女は2000年代初頭に、小学4年生の子どもに英語の個人指導を受けさせた
彼女もまた匿名である
親の視点から、学校の指導が十分ではないと感じたため、家庭で別途課題を出すように対応した
問題は、ここの教師のいい加減な教え方にあったという
「テストの為に教科書を読むことを強要できない」と教師は主張したが、私は子どもに「泣きながらでも読め!」と言いました
親にとって特に深刻に感じたのは、多くの学習で重要なトピックが全く取り上げられてなかったこと
それらは家庭の指導が無ければ学ぶ機会はなかった
幸い小学校を乗り切れば、中学校ではなにも問題が無かったという

元記事 https://www.hs.fi/kaupunki/art-2000010048526.html

親目線でのフィンランド教育の実態といったところ
注視するところは「勉強は教師の仕事で塾など家庭でのサポートは必要ない」という考えがフィンランドにある事
これは日本と大きく違う所かな?
男女平等共働きを実現するためには、子どもの勉強などを親が熱心に見る事ができないのです。
それが、子ども達の自立を早い段階から求める原動力となっていったのですが。。。
それぞれが都合のいいことを子どもや他人に求めすぎて、噛み合ってない感じ

同時に、教師の権威が非常に大きいので、親は学校を批判する事は非常に恐れています
学校も、親ともめ事を起こすことを恐れているので、あまり突っ込んだ話をしないというのもよく聞くのかな

省略した後半の記事でも少し言及されていますが、こうした学校での指導力不足は今に始まった事ではなく、教師のスキル不足ではないのかなという指摘もあり
特にPisaの順位低下と政権交代でやり玉に挙がってますが、学歴による収入格差が明確なので親も必死になってきたのかと

前半は、現在非常に多く出ている教育批判の話
特に前政権が力を入れていた壁のない学校という方針には、最近はメディアが先導してヘイトが集まっている印象ですね
そして最近はスマホや電子機器が悪いという風潮が大きく、スマホやゲームの時間を厳しく管理しろという声が大きくなっています

特に、スマホやPCでゲームをする家庭が多いのは、日本と背景事情が違うのかな?
鍵っ子が当たり前なので、みんな小学校からスマホを持ってますし、スマホを使ったいじめも社会問題になってます

「ゲームが子どもをバカにする」
という道は、日本では30年前に通ったところですが、いまフィンランドの社会では何かとやり玉に
日本はその後、海外に倣ってウェルビーイングが大切と対策を模索していったのですが、当地ではその体裁が邪魔してスマホを取り上げられない問題に
子どもの権利を守るという体裁をちゃんと守っている教師は、無理矢理スマホを取り上げません
授業前にスマホ回収を促す教師もいるのですが、生徒が隠し持っている場合は打つ手なし
また、雑談や集中力の無い子どもへも厳しい指導ができないので、席順を教師が決めて対策する程度しか対抗策がない教師もいます

一方で、表面ではウェルビーイングや褒める教育などをうたいながら、前提として「子どもは大人の指示通りに動けなければならない」という考えも根強く、厳しい指導を行う教師もいる訳で

うちの子が通う小学校では、支援級では一般のクラスの子ども同様のスキルをつける為、教師の厳しい指導と管理でルール通りの集団行動が取れるようにすることが目的
合理的配慮とか声かけとかも考慮されず、療育は教師の仕事ではなく作業療法士に全振り
支援級の方向があまりに間違っていて眩暈がしますね

日夜フィンランドのあちこちで、Pisaの順位低下や教育崩壊が議論されていますが、特別支援を縮小して、ゆとり教育を捨て、昔ながらの座学中心のスタイルでいこうという風潮が強いように感じます

今後どういう風に舵を切っていくのか注目です

以下、個人的な感想なので興味のある方はどうぞ

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