『トランスジェンダー入門』読書感想文


※この文章は発達障害(ADHDの診断、ASDの傾向)および精神障害当事者として書いています。少なくとも、トランスのように身体的性への明確な違和は感じていない人間の目線です。(ノンバイナリーの可能性はあると思っています)

もともと「トランスジェンダー」の問題は、発達障害と近しいと思ってきた。「社会の規範、常識から逸脱しているように見える」「一人ひとりバリエーションが違う」「社会的に差別される傾向にある」、この三点が共通項に見えたからだ。
発達障害についての「入門書」にあたるものは、いろいろ読んできた。大体は、

1:定義
2:実際の当事者が訴える違和感の例
3:社会的差別の例
4:公共や民間、当事者の取り組み

でまとめられている。
(もっとも、客観的なタイプの本で、いわゆるエッセイ調のものはこの限りではない)

『トランスジェンダー入門』はタイトルに「入門」を入れるくらいだし、この発達障害の入門書の例のように、「定義」「具体的な例」を客観的なトーンで説明する本だと誤解していた。

なぜ「客観的」なことが大事かと言えば、たとえば差別の例をいくら挙げても、「つらかった」「嫌だった」ということはなんとなく理解できても、「当事者の痛み」のレベルまでの理解は得ることはない。だから、主観的に感情的に語ることは、読者を「おいてけぼり」にするだけなのだ。たとえば、道端ですっころんだ少年が痛くて泣いている時の「つらさ」と、あなたが道端ですっころんだ時の「つらさ」は等価ではない。少年なら謎の感覚に怯えているかもしれないし、私が転んだとしたら「大人なのに見えるところに擦り傷をつくってみっともない」というつらさかもしれない。
「入門」に期待されるのは、ある程度の客観性だ。発達障害だって、定義があり、個々の症例があるが、それをまとめあげるには、個々の症例の「ひとつ」の目線に寄りすぎたら、それは「発達障害」という全体を見失ってしまう。

 しかし、『トランスジェンダー入門』を読んでみたら、予想に反して、かなり感情的な語り口で書かれている。『トランスジェンダー入門』の感想をTwitterでちまちま見たところ、「外国の本の翻訳より、日本人が書いた文章で読みやすい!」という感想が多かった。それはそうだろう。
たまたま、本書のあとに読んでいた『〈やさしい日本語〉と多文化共生』の「第8章 公用文がやさしくならないのはなぜ?」では、公用文は義務教育修了程度を目安にしているが、実際の中学生は読解力がかなり低い、というデータを紹介している。
この現状を見れば、難解なかたい文章より、口語に近い、語り掛けるような文章の方が、日本では着実に読まれるのは、当然のことに思う。(日本のビジネス書で売れているもののうち、口述筆記や対談形式の書籍が多いのも、同様の理由だろう。『トランスジェンダー入門』もビジネス書らしい新書のひとつではないか?)

 私がまったく「トランスジェンダー」に関する書籍を読んでいない、という状態ではないから、こういった感想を抱くのかもしれない。否定できない。そして、『トランスジェンダー入門』と違うスタンスの書き手の本を読んできたからだ、というのも否定はできない。

以下は気になったこと。

・「出生時に割り当てられた性」という言い方で統一できればいいのだけれど、いい感じに普及できればいいとは思う。私は、そもそもあんまり「身体の性」で懸念される弊害を自分の感覚で感じられなかったので、これはトランス当事者目線での提言なのだな、と思った。

・ノンバイナリーについて言及している本って少ないんですよね、と言いながらこの本もだいぶトランスに偏っている。もちろん、『トランスジェンダー入門』だからいいのかもしれないけれど、本書を読んでいる時「性への違和」を理解しにくいのは、ノンバイナリーへの言及が少ないからかもしれない、と思った。(これは無茶ぶりだと自分でも思う。そこそこ新書にしては分厚い本なので。)

・「トランスは病気ではない」ということの強調が、本書でよく出てくる。これは私が発達障害当事者だから、「トランスも障害として認識した方が運用しやすいよな」と思ってしまった。同性愛者やトランスが「治療」として拷問的な実験や調査をされていた経緯はあるけれど、発達障害は「個性」「社会の一般的標準から外れている」という側面があり、トランスは発達障害に近い属性だ。
(そもそも、本書では精神疾患全般への嫌悪すら感じてしまう言い回しなので、それはそれでどうなんでしょうか)
トランス治療を受けているなら「既往歴」だろうし、扱いとしては制度運用的にそちらの方が合理的な気がする。
というか、日本の制度的には、妊娠が「病気じゃない」から、妊娠した女性の負担額が大きいんですよね。その妊娠とトランスを同じ扱いにしていいのか? 
(合理的だからいいわけじゃないんだよ、の話はたくさん聞きました。)
いや、発達障害に対して偏見が強いのも間違いないから、「病気じゃなくて障害だよ」論法をトランスに適用するのは、大衆への認識としては危ういのは、そうでしょうね……。

・「病院で性別を言わなくてもいい」「眼科で性別を言う必要はない」のくだりは、筆者の個人的な主張で、医学的な根拠に欠ける。(入門書で主観を出さないでよ! という一番のポイント。)性別によって処方する薬が変わるし、ホルモンバランス由来で目の病気だとしたら、それは状況を説明しないと、正しい診断がつかない可能性がありますよね?(性別の情報が診断に必要かどうかは、「医者」が決めるんですよね?)
病院で差別されるから言わない、というのは、「気持ちとしては分かる」が、「実際診断するのに困る」「トランスの受診の実績をつくっていかないと、今後もデータがないために診察を拒否される可能性がある」ので、きちんと明確にした方が良い。
「外性器や性染色体のペアリングだけではない、複合的な組み合わせ」だからこそ、明確にカミングアウトする必要がある。
合理的だからいいわけじゃない、は聞いたけど、でも症例を作らない限りは、先に進まないので……。
トランスが診察拒否されるほどではないだろうけど、発達障害も精神科の中でも診察を拒否される方です。そもそも発達障害と診断されておかしくない心理検査の結果が出ているのに、統合失調症の診断を貰っています、私が……。トランス診療します、と掲げている病院が増えるといいですね。でもこれは、医療事故即訴訟の国日本では厳しいと思われているのかもしれませんね。(産婦人科のなりてが少ないのもそうだし)


 私がトランスについて気になっていたのは、「医療を適切に受けられるにはどうしたらいいか?」の点だったので、たぶん『トランスジェンダー入門』の読者としては相性最悪だったのでしょう。差別は差別している方が悪いし、差別が減ってトランス当事者が健康に生活できる社会であればいいなあ、と漠然と思っていたので、相性が本当に悪い。

 この一連の文章も「トランス差別」って思われるのかもしれない、と思います。結局人間は主観でしか感想を書けないですからね。しかし、専門家の書いた文章なら、もう少し客観的に書いて欲しい、と思ってしまうのです。

※関係ないけど、版元ドットコムで書影利用不可の本、はじめて見たよ!

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