ショウブ谷の伝説と小八木神社

『土佐清水市史』(1980)に掲載されている「伝説」の章に、ショウブ谷の伝説がある。山が隔てる浦尻と窪津の往還道に所在するらしい。それかと思う谷の入口に行ってみたが、

結局、分からなかった。

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その伝説はこういう話である。

 むかし、炭焼きを生業とする若夫婦が三原村からやって来て、ショウブ谷に住んでいた。妻のオショブはお腹に子を授かっていた。
 炭焼きの窯出しを夫がしているあるとき、妻が産気づいた。夫は転げ落ちるように谷を降りて、村の産婆の戸を叩いた。しかし、引き返して来た夫が見たのは、腹を裂かれた妻の姿だった。山犬に襲われたのである。血に染まった光景のなかには赤子が泣いていた。
 そこで、この日に窯出しをしてはいけないというのである。貧しくて、妻の墓前には麦しか供えられなかった。それはやがて芽をふき、穂をつけて種を落とし、また芽をふいた。ショウブ谷ではいまも麦が自生しているという。
 また日暮れ時、ここを通ると時折赤子が泣いているのを耳にするらしい。近くには阿母阿母谷(オカアオカアダニ)という場所もあるそうだ。

この話はいくつかの要素を含んでいる。

① 窯出しを禁止する日のいわれ
② 当地で麦が生い茂っているわけ
③ 地名の由来(オショブ→ショウブ、オカアオカア谷)

まずは、このみっつがある。①からは本来、炭焼き業者がこの話を伝えたかと推測させる。「この日」というのが暦の特定の日を指すのか、妊娠した女性が臨月に入った頃をいうのかにわかには判断できない。②も③もつまりは起源譚である。

さて、興味が惹かれるのは物語中、いくつかの対応関係がひとつのコスモロジーを表しているととれる部分である。その関係とは、

① 窯出しと出産
② 産婆と山犬
③ 山犬と麦

以上の3点である。

①は日本に多く見られるらしい、火と女性との関係である。古くは古事記にみえるカグヅチの出生から、火と女性は観念的に繋がっていた。また、月経期(赤不浄)や出産期(白不浄)の女性とは食事の火を分ける別火の習俗がある。

こうした観念は想像してみるに、関係するふたつのものに類似を見ていることによっているのではないかと思われる。折口信夫のいう類化性能的知の様式が感ぜられる。

鍛冶を行う場もまた女人禁制と聞いたことがある。鍛冶を司る神は女神で、他の女を嫌うからだという説明がある。

これは刀鍛冶の解説動画。解説のなかに「ホド」の語がある。ここでホドは火処の意であるが、女性器をさす語もまた「ホト」である。スコット『反穀物の人類史』(みすず書房2019)は人類が手にした火を〝消化作用の外部化〟という捉え方で示していた。焼失させるものであるより生成するものとして火を捉えている。このことから日本における月経や出産からくる女性の遠ざけも〝産み〟による結びつけとみることができるだろう。火は食物を体内で消化し易いものへと生み出すのであり、鍛冶場も炭焼きも炉のなかから役立つものを出産する作業で、その炉のかたちは女性器とのアナロジーである。

類似にあるものがふたつ同時にあることの居心地の悪さが、不吉を予告するのではないかと思う。ドッペルゲンガーの不気味といえばいいか。

これによって出産を控えた女性があるときに窯出しをしてはいけないということになると考えることが可能になる。窯作りでも薪入れでもなく窯出しの日なのだ。

つぎに②産婆と山犬のアナロジー。鈴木棠三『日本俗信辞典 動物編』(角川ソフィア文庫2020)によれば犬は出産が軽い動物として安産と結びついている。本民話では安産もくそもないのだが、出産と結びついているという点は守られている。

産婆は山犬になった、なぜといって窯出しをしていたから、ふたつの出産を同居させたから。窯出しが安産を逆転させたと捉えることができる。

そして③山犬と麦の関係も鈴木棠三『日本俗信辞典 植物編』(角川ソフィア文庫2020)によれば、関東では「麦は戌の日に播いてはいけない」「戌の日に播くとイヌほど人が集まって食われてしまうのでいけない」というそうである。反対に九州では戌の日に播くのが良いとされる。これの俗信上の解説において弘法大師と関連づいていて、弘法大師が中国から麦の種を盗んで帰ろうとしたところ犬に吠えられたのだとか、中国から麦の種を持ち帰り歩いていると犬が吠えたのでその種をこぼしたのだとかいうそうだ。弘法大師、神出鬼没。

ところで産婆は山犬となったが、その結果子は生まれているのは産声の記述によって分かる。ということは、産婆と山犬の交代は純粋に妻の運命=死と結びついているともいえる。

カグヅチの出生神話は、イザナギとイザナミが交わり神産みをして最後に生まれた神である。火の神であり秋葉社などの祭神であるカグヅチはイザナミの産道を焼きながら生まれ、この女神をついに死なせてしまう。

産婆が火を潜り山犬と化す?

ちなみに、この民話に興味をもったのは事前に読んだ筒井功『「青」の民俗学』(河出書房新社2015)の中に柳田國男が「ショウブ谷」地名について古の墓地をさすのではないかと推測していたことが紹介されていたためだ。『「青」の民俗学』はアオ、アワ、オーとつく地名と古代の墓所との関連を探った一冊。以前書いた記事でアオが示しているのは曖昧なもの、中間のものと考察したのと繋がる。

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ここからは民話自体から離れ、すこし現地付近らしき場所の話。

あ、そうそう、近くにオカアオカア谷というのがあるとか、夕暮れには赤子の泣き声がするとかいうのは、地元の人が言っていた「海が荒い日は山のほうから波の音がぞおぞおと聴こえてくる」という現象と関係があるかもしれない。

さて、その現場ではここがショウブ谷と言えるか分からなかったけど、ひとつの神社を知ることになった。小八木神社という。

調べたところ実在した人物小八木兵左衛門道治が生前、目の治療を行っていたことから目の神様となったものらしい。この人物については旧『三原村史』(1976)に詳しい。隣には小八木氏の墓が数基と、なぜか元親の入野の家臣曽根十兵衛のらしい墓がある。

さて、気になったのは小八木兵左衛門の息子信左衛門常治の前妻、刻印によれば19で亡くなったという墓がある。この前妻の名が『土佐清水市史』によると「大」になっているが、ひょっとして「丈」で、ショウさんなのではないかとか、それが訛ってショブになったのではと思ったりする。

だったりして、という程度で、たぶん大なんだろうかな。

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