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朝が来る【読書記録No.4】

「朝」という漢字は「十月十日」から成っている。

十月十日かけてお腹から出てきたとき、そのとき赤ちゃんがみた光が「朝」なのだろうか。
それともお腹に命が宿った瞬間が「朝」なのだろうか。
命が宿っていることを、お母さんが知った時、心に灯る光が「朝」なのだろうか。

この本に出てくる佐都子にとっての「朝」は、赤ちゃんと「出会った」瞬間だった。

長く終わりのない不妊治療。子どもを授かりたいのに授かれないもどかしさ。
その時の佐都子の感情は「永遠に明けないと思っていた夜」と表現され、それが特別養子縁組で結ばれた子の存在によって「明けた」のだと、「朝」が来たのだと、表現されている。

でもその話を描きたいだけなら「朝が来た」というタイトルにすればいいのだ。
「朝が来る」とは、誰にとっての「朝」なのだろう?というところが、この話の真髄だと私は思う。

おそらくこれから来る、
ということは
まだ来ていない「朝」。

人生で見ている景色は、朝か昼か夜か。
そんなの分かりきったこと。

でも、たとえば、悩んでいる時や辛いことばかりの時、朝なんて来ないんじゃないかと思ったり、ずっと闇の中にいるみたいな気持ちになったりする。
この話の中に、佐都子のほかにも、そんな人がいる。
その人にはまだ「朝」は来ていない。

朝は来るのだろうか。
来たとしたら、それはどんな朝だろうか。

本を読み終えた時、この本に出てきたいろんな人たちに、「幸せになれ…!!」と切に願った。



2024.2.12

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