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「寂しさ」が知っているたくさんのこと。

渦中にいる時はいつも辛い

「Life is the sums of your choices.」
(人生は選択の集大成である。)

以前、尊敬する投資家さんが送ってくださった言葉です。

何事も渦中にいる時は辛い。

しかし、振り返ってみたら全てが繋がっていて、最悪と思っていたことが実は転機であったり、ふとした決断が流れを大きく変えた、なんて事もありますよね。

今日、書こうと思うのは、まさにそんな話です。


ただただ寂しかった28歳

数年前、私は大阪から東京に転勤してきました。
28歳にして、初めての東京、初めての一人暮らし。

人間関係は全て大阪に残してきて、東京にいる極僅かな知り合いが私の頼りの綱でした。

仕事では、大阪本社から東京本社へ所謂「ご栄転」だったにも関わらず、希望に胸を膨らませたのも束の間、地方拠点から東京本社にやってきた私は、ある種のいじめの様な仕打ちを受けていました。

そんな中で、新しい部署の仕事に興味を持てなくなっていき、やりがいも見つけられない。勿論、仕事の結果も最悪。(自業自得ではありますが)

仕事にある意味「依存」していた私にとっては、生きる道標を失った様な感覚でした。

プライベートはというと、28歳彼氏なし、というか(東京には)友達もなし。

それなのに、毎月の様に招待される友人の結婚式、SNSを開けば「婚約届」とそこに重ねられた3本の指輪、少しずつ妊娠・出産の知らせも届く様になり、「焦り」でも「絶望」でも「嫉妬」でもなく、ただただ「寂しかった」のを覚えています。

人生のコマを着実に進めている友人たちをみて、取り残された様な孤独感や、皆が先を行ってしまう、そんな寂しさの中に一人ポツンと残された様な気持ちになっていました。


少し抵抗があったけどマッチングアプリに登録してみたりもしました。

「人を好きになる」なんて感覚を忘れつつあった私は、条件を重視して何人かの人に会ってみたりもしました。

「学歴よし!収入よし!容姿も許容範囲内!金銭感覚も釣り合うわね!」なんて思ったところで、そんな事を腹に隠している女を誰も好きになってくれる訳もなく、勿論、誰とも上手くいきませんでした。

今から考えたら、上手くいかないのは当然の流れですし、むしろ、そんな状態で誰ともお付き合いする事にならなくて本当に良かったです。

(もしも誰かと付き合っていたなら、相手のことも自分のことも傷つけていたでしょうから)


「何者でもない自分」がいなくなった日

仕事でもプライベートでも上手くいかない、そんな中、転勤でプライベートでの人間関係をほぼ失った私は「会社員としての自分」以外の、「何者でもない自分」がいなくなってしまった様な感覚に陥って、素直な自分の気持ちが分からなくなっていましたし、自由に言葉を発する事すら出来なくなっていました。

いつも”気が許せない”誰かの目を気にして生きる様になっていました。

そんな中、どの様な経緯だったのか思い出す事すら出来ないのですが、匿名でTwitterを始めてみようと思ったんです。

リアルの友達とは誰とも繋がらない、どこの誰かもわからない人たちをフォローして、匿名で、自分が思った事を好きな様に呟く。
プライドなんて投げ捨てて、誰に何と思われようとよくて。

軽い気持ちで始めたTwitterが、気がつけば私の心の休息場になっていきました。


どんな人にも寂しさがある

夜眠れなくなった時、ベッドの中でTwitterを開く様になりました。

そこには、私と同じ様に属性だけ(職業やバックグラウンドなど)を明かし、匿名で呟くたくさんの人がいます。

外資系戦略コンサルで働いていると名乗るその人は、夜中には「元カノが結婚したのをインスタで知って眠れなくなった」と書いていたし、

海外大を卒業したと名乗るその人も、「学生時代を共に過ごした恋人と自分のフェチズムが不可分である」と忘れられない昔の恋人を思って呟いていました。

彼らの属性が本当か嘘かはおいておいたとして、どんな人にも、寂しさや孤独感、誰にも触れられたくないけれど、自分の中にそのまま留めておくことができない様な、そんな感情や想いがある事を知りました。

実生活では表に出せない、汚かったり恥ずかしかったりする感情を抱いているのは私だけではなかったし、どんな人にもコンプレックスがあって、それを乗り越えている訳でもなく、それぞれが苦しみながら、それらを抱えながら生きているのだと気づき、

何故だか、とても心が軽くなったのを今でもよく覚えています。


セフレとは認めたくないセフレがいた

大阪に住んでいた頃から、長らく(と言っても2年ほどですが)恋人がいませんでした。

そんな中、恋人ではない恋人の様な人はいました。

8歳年上で、キャリアや語学力や学歴や、自分にないものを沢山持っている人で、幼い私の相談にも親身に乗ってくれる、そんなカッコ良くて頼り甲斐のある彼の事が私は大好きでした。

初めは付き合おうと言ってくれたものの、半年ほどでお別れする事に。
(今から考えたら、彼は本気では付き合う気はなかったのかも。)

お別れした後も、私の気持ちは冷めることがなく、そんな気持ちも彼にはお見通しで、利用されたのか利用されにいったのか、今になっても分かりませんが、結果として身体だけの関係が続きました。

私が転勤した後は連絡も絶っていたのですが、ある日、彼が出張で東京に来た時に連絡があり久々に会う事になりました。

彼と初めて銀座で飲んだ夜はやっぱり楽しかったし、大阪にいた時より、自分が大人になって少し彼に追いつけた様な気がして嬉しかったのを覚えています。

その日を境に、彼の東京出張の度に連絡が来るようになりました。

彼は、「人生が上手く行っている人」でした。キャリアも学歴も語学力もあって。私が闇だとしたら、彼は光だな、と思ってしまう程に。

非常にロジカルで、私の様にうじうじ悩んでいる姿はみた事がないし、決断力があって何かに迷う事はなくて、弱音を吐いているところも見たことがありませんでした。

でも、Twitterを始めて、沢山の人の「陰」の部分を覗き見る様になって、そんな彼のことを、何だか薄く浅く感じる様になったのです。

恐らく、彼にも人に言えないコンプレックスや寂しさはあるのだと思うのですが、そんな「陰」を他人に見せない隙のない人もカッコ良いけれど、「陰」が垣間見える人の方がなんだか人間らしくて素敵かもしれない、そんな風にある日感じたんです。

そんな風に思える様になってからは、コンプレックスまみれの自分も、少しだけ魅力的に感じる様になったし、次にこんな自分を丸ごと愛してくれる人と出会うことが出来たら、相手の影の部分も丸ごと愛して、心から大切にしようと思う様になりました。

それまでは、相手が自分に何を与えてくれるかばかりに着目していましたが、気がつけば、自分が与える側になりたいと、そんな風に思う様になったんです。


そんな緩やかな心情の変化もあり、その次に彼から連絡が来た時は、適当な嘘をついて「もう会わない」と告げました。

あの日から、本当に彼から一度も連絡がないし、私が彼を思い出したのはこれを書いている今が初めてです。


一生交わらないはずだった人たち

Twitterを始めて2ヶ月ほどが経った時、フォロワーも100人程度に増え、所謂「オフ会」というものにも参加する様になりました。

といっても大規模なものではなく、数人で食事をする程度ですが。

普段Twitterではふざけてばかりいる人が、実はすごく常識人だったり、Twitterで「投資家」と名乗っている人が、名刺を頂くと有名企業の取締役だったり。

Twitterを通して、普段の自分の半径5メートル以内に存在しない人、普通であれば出会えない様な人たちに会う機会に恵まれ、転勤してからというもの、職場と家の往復、平日は会社の付き合い、休日は一人ぼっちと、何とも窮屈で味気ない生活を送っていた私でしたが、パッと視野が広がる様な感覚でした。


運命ってあるのか、


ある年の年末、仕事納めの日でした。

この日だけは会社の人のお誘いを断って、仕事終わりに、一人でマッサージに行って、家の近くの定食屋のカウンター席で、梅酒を片手に、一人で1年間の打ち上げをしていました。

そろそろ帰ろうかと思った時、隣の席に座ったのが、今の夫です。

「私もご一緒してもいいですか?」と。
スマホの通知が鳴りやまない彼はとても忙しそうで、それなのに穏やかな言葉遣いが印象的な人でした。


ここからは2人の秘密

詳しい経緯や、どんな気持ちの移り変わりがあったのかは、2人の宝物として秘密にしておきたいと思います。

ただ、「ただ容姿に惹かれた」という訳ではない「一目惚れ」だったのは確かです。

気がつけば交際する様になり、出会って数回目のクリスマスにプロポーズをしてくれました。お陰様で今は結婚し、穏やかな関係を継続しています。

昔は相手の条件ばかりを見ていた私でしたが、付き合うまで、彼のフルネームも勤め先も出身地も知らないままだったなんて(というか気にもならなかった)、以前の私が聞いたら驚くに違いないですね。

それなのに、結果的に、あの時の私が欲しがっていたモノの、何倍も素敵な彼と出会うことができたんだから、何だか不思議な気持ちになります。

でも、もしも彼が職を失ったり、もしも病気で寝たきりになったとしても、私は彼のそばを離れないし、好きな気持ちが消える事はないのだと思うんです。

理由や根拠はないけれど、これが好きって事なのだと彼が教えてくれました。


Life is the sums of your choices.

さて、そろそろこの話も終わりです。
冒頭に、「人生は選択の集大成である」と書きました。

実は、彼と出会ったのは、あのセフレに別れを告げた2日後

腐れ縁と別れを告げたから出会えたのか、ふと近くの居酒屋に立ち寄ったから出会えたのか、Twitterをきっかけに私の心情が変わったから出会えたのか、果たしてどの選択が今の私に繋がっているのか、自分でも分かりません。

でも一つ言えるのは、一つ一つの瞬間に確かに私自身の選択があったという事です。

自分の気持ちに素直に生きていたら、気がついたら自分が行きたい場所に行き着くものなのかもしれない。

まだ確信は持てませんが、もしかしたら人生ってそういうものなのかもしれないと思う様になりました。

だからこそ、他人の目や勝ち負けに拘った選択ではなく、どの瞬間も、自分らしい選択をしていきたいです。


まだまだ、仕事でもプライベートでもやりたい事は沢山あって、悩むことも多いです。

心が窮屈になってしまって、目の前のことが手につかなくなったり、SNSに流れてくる友人の報告に嫉妬することもあります。

でも、いいんです。これも私だから。


今、ありがとうを伝えたい人たち

友達や同僚として繋がり続けてくれる人たちや、いつも味方でいてくれる彼に、まず心から感謝を伝えたいと思います。

出会ってくれて、本当にありがとう。

でも今となっては、転勤してきたばかりの頃、自分のミスを私に擦り付けてきた先輩や、根も葉もない悪評を言いふらしてくれた同期にも、感謝しています。

強がりや、復讐心ではなく、心から感謝しています。

それらの経験がなければ、自分の陰を肯定することも、Twitterを始めることも、今、私の周りにいる素敵な人たちに出会うことも出来なかったと思うからです。


最後に

ふと昔使っていたSNSアカウントから、この日記が見つかったので、あの時の気持ちを忘れないように、一部編集しこのブログにも載せておこうと思います。(ですので、この文章を書いたのは、今から数年前の私です)

確か、この日記を書いた後に、次のステップに進みたくて、Twitter上から全てのアカウントを消したように思います。(当時、数千人のフォロワーがいたので、今となっては、勿体ないことをしたなぁとも。笑)

この日記のことは、すっかり忘れていましたが、今2023年の私に最も必要な言葉のようにも思いました。数年前の私からの有難いメッセージとして心に留めておこうと思います。

「Life is the sums of your choices.」


最後までお読み頂きありがとうございました。

まるこ


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