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種を守り繋げる / 竹田かたつむり農園

「種どり農家」「在来野菜」という言葉に出会ったのは、竹田かたつむり農園さんがきっかけでした。

長崎県雲仙市国見町にて種どり農家をしている竹田竜太さん・真理さん夫妻。

「種どり農家」「在来野菜」とは?

「種どり農家」とは、自分の畑で育てた作物から種を採り、またその種を使って栽培するという方法で農業を営む人たちのことです。「在来野菜」は日本各地で栽培されてきた野菜のこと。

種どり農家の方は、昔から日本各地で栽培されてきた野菜を育て、ご先祖が大切に守ってきた野菜の命を未来に繋げる「種を守る人」です。

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実は、在来野菜は流通する野菜の1%にも満たないと言われています。

私たちが普段スーパーで見かける多くの野菜は「F1種」と呼ばれる一代限りの野菜です。「植物は自分で種を作り、その種が次の世代に繋がる」ということが当たり前だと思い込んでいた私は、口にしている野菜の多くが一代で終わってしまうという事実に、そしてそのことを知らなかったことにショックを受けました。それと同時に「在来野菜」という、これまで目にしてこなかった野菜の存在が急に気になり始めました。


種を採る


農家の長男として雲仙市国見町に生まれ育った竹田さん。大学卒業後は教師の道に進みます。新婚旅行中に偶然目にしたのが、のちに竹田さんの師匠となる岩崎政利さんの「黒田五寸人参の種を採り続けて30年」という記事でした。その記事との出会いをきっかけに「種」の魅力に惹きつけられていきます。

教師を辞め、現在は「種取り農家」として種を守り繋げる竹田さんにお話しを伺ってきました。

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ー普段はどのような方に野菜を販売しているのでしょうか?

基本的に個人向けで、何種類かの野菜を組み合わせてセットにして販売しています。軽トラックに収穫した野菜を載せて週に1回、仲の良いレストランの駐車場の一画で、青空のもと直接野菜を販売する方法をとっています。

島原市内の個人の方が多く、個人向けが7割、レストランが3割くらいで出荷しています。自分たちの野菜を食べてくれる人たちの顔を見ることができることが、直接販売の良さですね。


ー畑になっているなすびは黄色ですね。どういうサインなのでしょうか?

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黄色になると完熟したということです。完熟したなすびから種を採るために残しています。普通の農家は収穫したらすぐに片付けて、次の畑を準備するのですが、私たちはそういうわけにはいかなくて。隣にあるピーマンも同じで、普通のピーマンは緑ですが、完熟すると赤くなります。

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完熟しているピーマンは普通市場に出回らないのですが、甘みが増しておいしいですよ。レストランのシェフにはこのようなマニアックな野菜を販売したりします。ぜひそのまま食べてみて下さい。


ーほんとに甘いですね。おいしい!

この中で元気のいい株から赤いピーマンを取って、中に入っている種を採り乾燥させ、瓶につめて冷蔵庫に保存して来年使います。


ースーパーで買ったピーマンの種を植えても、ピーマンの実はならないのでしょうか?

実はできますが、形質・色・形がバラバラになります。一方、私たちが作っている種が採れる「在来種・固定種」はある程度一定です。


ー「種を採る」とは具体的にどのようなことをするのでしょうか?

例えば人参は収穫のときに母本(母となるもの)を選んでいって、別の場所に植え替えます。形を見るために一度人参を土から引き抜き、だいたい色や形で味が表現されているので、そこを見て100本ほど風当たりのないところに植え替え、花が咲き、花が完熟するまで待ちます。花が完熟してから、花から種を採ります。人参だけではなく、カブ大根・白菜・なすび・ピーマン…と何種類も育てているので、全てにおいて手間がかかりますね。


ー台風や長雨などの自然災害で野菜が育たない年もあると思います。種が採れない年もあるのでしょうか?

種が採れない年もありますよ。そのため、採れる年に種を採っておいて、冷蔵庫で保管しておきます。そうすることで、前年に種が採れなくても2年前の種を使うことができます。

ただ品種によっては、2・3年で発芽率が落ちるということもあります。常に2年に1回ぐらいは種を採っていかないといけないです。


種は「記憶」する

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ー今年は大きな台風が長崎に上陸しましたが、竹田さんの野菜は無事だったのでしょうか?

台風10号は思ったほど強い風もなく大丈夫でした。種にとって台風は将来生きていくための重要な出来事です。種は台風を含め、自分が根を下ろしている土地の風土や気候を「記憶」します。


ー種も生き延びていくために、自ら変化しているのですね。

そうですね。先ほどの種を採る話に戻りますが、効率的に一気に種を採って、冷凍保存で何十年も保存するということも1つの方法かもしれません。しかし、近々の気象条件を記憶した種ではないので、十年後・二十年後に種を植えても、気候変動によってうまく育つか分かりません。

常に更新しながら「生きた種」を作っていかないと、種を守っていくことは難しいです。


ー「種を守る」ということは私たちが想像する以上の時間と労力を必要とする営みなのですね。

なかなか手間がかかりますし、栽培面積を広げるにも、なかなか手が回らない状況です。あと種どり農家自体がとても少ないです。

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ー「種どり農家」は日本にどのくらいいるのでしょうか?

おそらく種どり野菜をメインとした有機農業をされている方は、50人もいないでしょうね。全農家のうち有機農家といっても約0.1%。その中でも種どり農家は本当に少数です。

効率面で考えると、種苗店で買った方が手軽く早く野菜が作れると思います。ただ、有機農法にあう種は、自分で採り続けた方がいいでしょうね。

師匠の岩崎政利さんから教えていただいたのは、「自分で種を採り続けることで、だんだんと種はその土地に馴染んでいき生命力を高めていく。肥料をあげなくても自分で成長できるようになる」ということです。


ー人間の力がなくても自然と強くなっていくということですね。

今、使われている種の多くは海外で採取されます。例えば、梅雨がない土地で大量に種を採り、日本に輸入し植えても、その種は日本の風土を知らないので、どうしても風土に合わない。病気にかかりやすくなったり、栄養が必要になってくるので化学肥料を与えてしまう。このことを知っている人はほとんどいません。


草や虫にも意味がある

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ーピーマンの周りにたくさん露草が生えていますね。抜かない理由などあるのでしょうか?

この畑には露草がたくさん生えます。とってもどんどん生えてきて。邪魔にならなければ少し生えてても気にしません。日本の農業は完全に草がない畑が多いのですが、草にも役割があると私は思っています。

今年は長雨で、こういう畑は雨が降ると水分を吸収する力があまりないので、水が溢れ出て、土が流れてしまいます。

けれどもこういう草があると、草の根っこが水をせき止めてくれ、野菜を守ってくれます。

すべてに意味があって、虫も害虫を食べてくれる虫もいれば、そうでない虫もいます。

私は今「虫がつかない野菜」を目指して土づくりをしています。「虫がついているから安全」というのはうそで、実は生命力がある野菜には虫はつきません。


ー虫がついている野菜は化学肥料を与えられていないから虫がついているわけで、自然な方法で育てられた質のいい野菜だと思っていました。

虫がつく理由は、その野菜がバランスを崩しているからです。バランスが崩れた野菜の匂いに反応して虫は寄ってきます。

稲につく小さな虫・ウンカは害虫と呼ばれていますが、東南アジアから上がってくるモンスーンを知らせてくれる虫でもあります。


ー竹田さんはお米も育てられていますね。どのように栽培しているのでしょうか?

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私の場合、お米は自然栽培でずっと育てています。化学肥料も動物性肥料も使ってません。前年に刈り取った藁しか入れてないですね。


ー牛糞も全く使っていないのですか?

使ってないです。自然放牧で育った健康な牛で、エサも遺伝子組み換えとかそういった穀物を食べていなかったら使ってもいいのかもしれません。

牛が食べたものから来るので、元を辿るともしかしたら悪いものを食べているかもしれないですよね。それが周りめぐって野菜に入ってくる。それを人間が食べることで、また弊害が起こるかもしれない。

私は戦前の昔ながらの野菜を作っている感じです。

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(竹田さんの田んぼに実る「在来黒米」。この黒米のルーツを辿ると、伊勢神宮の御神田で栽培され、政府が有色米を禁じた間、「神に捧げるお米」として伊勢神宮で守られてきたという話があります。とても縁起の良いお米です。黒米は不老長寿のお米を言われるほど栄養素が豊富で、胃腸や眼の疲れ、髪などに効果があると言われています。)


野菜の多様性を保つ

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ー戦前と今では野菜の在り方も異なるということでしょうか?

戦後、アメリカの統治下になって「機械化」された農業が日本に広まりました。流通にのるように色・形を揃えて、そのために種もF1化して、人間の意図とする「箱に収まる野菜」を作っているのが今です。

戦前の農業は、地方で消費生産をすることが当たり前でした。流通にのせるということがなかったので、種どりして作った野菜を地域で消費するということが普通でした。

今は野菜が「工業製品」になってしまい、見た目・色・形が重要視されます。工業製品化された野菜の味や栄養価はクエスチョンマークですが。昔ながらの路地で栽培された野菜とかの方が、抗酸化力や栄養価は高いです。

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ー工業製品化された野菜は効率的に作ることができ、色・形が揃っているから流通にものりやすい。竹田さんは全く逆の立場から、野菜作りにアプローチしていますね。詳しくお話を聞かせて下さい。

種どり農家はやはり効率的ではなく、流通にものりにくいです。けれど、「多様性」が私の野菜にはあります。

師匠の岩崎さんから聞いた話ですが、母本選びのときに美人コンテストみたいに、自分好みの細くて形の整った人参ばかりを選んだときがあったそうです。

そのとき全く種が採れなくなってしまい、考えてみたら「多様性が無くなってしまった」ことが種が採れなくなってしまった原因だなと。

野菜の多様性を保つために、時々、男らしい人参や、肩の張った人参も混ぜてあげる必要性があります。

多様性を無視して、シビアに自分の欲で選んでしまうと、野菜にもよくありません。いろんなばらつきを交えながら母本を選んでいます。

人間の社会も学校も一緒です。いろんな子がいる多様性のある方が面白いです。エリートばかりだと面白くありません。本来は多様性があることが自然な状態ですが、今はその自然を無視しているから、弊害が野菜の世界にもきているのかなと思います。

本来なら農薬や化学肥料を使わなくてもいいのですが、人間のエゴで品種改良を進めた結果、それらを使わざるを得ない状況になってしまったんですね。


名もなき種を探す、そして未来に残す

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ー「人間の都合で野菜本来の多様性を失いつつある」という事実に、野菜の未来はどうなるのだろうか?と漠然とした不安を感じます。種が工業製品化されているということも知らずにこれまで過ごしてきて、これからどのように野菜と向き合っていくのがよいのか、消費者の1人として知るべきことがまだまだあるような気がします。

今、種苗法も変わってきていて、私たちのように自家採種している農家の種も国が管理するかもしれないという危険性を孕んできています。自分で種を採ることがだめになる可能性もあります。

そのとき、「私たちはどうするのか?」

背景には種苗メーカーを守るということが絡んでいて、種を掴むということは人間の食を掴むということですから。掴まれたら終わりです。

私たちが農業をできているのは昔からの種があるからで、この種は誰のものでもなく、先祖が受け継いできたものです。種を国が管理するということは、権利や人権を無視していますよね。

種は自分のものでなく、他人のものでもない。誰のものでもありません。


ー竹田さんの野菜には「岩崎ねぎ」「俵さんの種イモ」「雲仙こぶ高菜」など、人や土地の名前がついていて、ひとつひとつにストーリーを感じます

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種苗メーカーの種を使っても、誰が品種改良をしたのかとかあまり伝わって来ないのですが、岩崎さんや俵さんご本人に直接会っているから、その想いを繋いで野菜を作ることができます。中には近所のおばあちゃんからもらった種もあります。

「種苗店で買った種で作りました」と「二十年間おばあちゃんが守り続けた種で作りました」とでは、食べるときに野菜のおいしさは変わってきます。

中には、一度途絶えようとした種を復活させたなど、思い入れのある種もあります。


ー途絶えたものを復活させることもできるのですか?

そうですね。峰さんという方が広めた「雲仙こぶ高菜」という野菜があるのですが、これは一度日本から姿を消したと思われていました。しかし、師匠の岩崎さんが中学生のころに食べた雲仙こぶ高菜が「おいしかった」という記憶があったので、もう一回復活させたいと思い、岩崎さんは種探しをはじめました。

亡き峰さんの娘さんに話を伺ったところ、母が知っているかもしれないと。そこで峰さんの奥様に尋ねたら、亡き夫の種を自分の家庭菜園でずっと守って作り続けてくれていました。

その後、プロジェクトチームが発足され、雲仙こぶ高菜は復活。私たちの農園でもこの種を引き継がせていただいています。


ーたくさんの想いが込められている種なのですね。日本から姿を消そうとしている在来種は、探してみると意外と身近にあったりするかもしれません。

消えたと思われている種を知らずに作っている人もいます。もうその年代が80・90歳になっていて、珍しい野菜を出しているおばあちゃんがいたら聞いて回ったりして、「種をもう一回復活させたい」という想いで活動してます。


ー竹田さんは種を作るだけではなく、「種を探す」ということも使命として活動されていますね。

名もなき種は「ジーンバンク(動植物や微生物の遺伝資源を保存する機関)」にもない種なので、おばあちゃんが作らなくなれば無くなってしまいます。全国的にそういった野菜が何種類かあります。

このような野菜は工業製品化にそぐわないため、どんどん減っています。しかし、おいしさとかストーリーがあるので、こういうものは誰かに引き継いでいかないといけない。消えてしまったら終わりなので。


種を守り繋げる


ー種は受け継いでいく人がいないと、無くなってしまうかもしれない。竹田さんはラジオや講演会などさまざまな場所で伝統野菜を広める活動を行われていますね。

種どり野菜は、地域によってストーリーがそれぞれあることが面白いなと思っています。今私がストーリーを作って、今度は未来の子どもたちに繋げていくために、在来野菜を広めていく必要があると思っています。

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野菜を作ることも大切ですが、発信しないと在来野菜は残っていきません。自己満足で終わらせないためにも、妻と協力してイベントや講演会に積極的に出るようにしています。

在来野菜のすばらしさやおいしさを知ってもらって、食べる量も増えたら、生産者も在来野菜を作ろうという気持ちになると思います。種どり農家は趣味では暮らしていけないので、たくさんの人に在来野菜の魅力を知っていただきたいです。


ー竹田さんの畑には、ジャガイモでも6種類くらいあったり、大根やカブも何種類もありますね。

そうですね。こんなに植えていることは、普通の農家からすると、頭がおかしいと思われるかもしれないですね(笑)うちの農園は「実験農場」と呼ばれています。

人参だけ、ジャガイモだけでやっていく農家ではないので、いろんな種類の野菜を育てています。いろんな野菜の表情を見ることができるので、やってて楽しいです。いろんな子どもを育てている感じですね。


ー家族のような?

そうですね。たくさんの種類を作っているから、種を採るときにミツバチが交雑しないように、種を採る場所を変えて植えたりもしないといけなくて、手間がかかります。いろんなところに気を配りながら育てていますね。

90歳まで農業を続けていたいと思っています。今43歳。あと47回しか「種どり農家」をできないんです。


まだ小さな芽を出したばかりの雲仙こぶ高菜の畑で、種のこと・未来のことをお話して下さった竹田さん。種を守り繋げていく人として「47回しか」種を採り、育てることができないという、竹田さんの在来野菜に対する想いがひしひしと伝わってきました。

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「竹田かたつむり農園」の由来には、2つのことがあります。

1つは雨が降って、その雨が雲仙普賢岳のふもとにある肥沃な火山灰土が広がる大地に落ち、土に落ちた雨は畑からすぐの海に流れ落ち、海水が蒸発して、また雨になる。この「循環」がかたつむりの渦巻きのぐるぐるに重なるから。

もうひとつは、竹田さんが話していた伝統野菜を育てるには「手間がかかる」ということ。野菜を作るということは、時間をかけてしかできません。ゆっくり、しっかり、強く、野菜の生命力を肌で感じながら育てていく。この営みがかたつむりのゆっくりな動きに似ているから「竹田かたつむり農園」と名付けましたと竹田さんは教えてくれました。

ジャガイモ畑を見据えながら「あと少しすると、じゃがいもの葉に白い花が咲いて綺麗ですよ」と話す竹田さん。我が子を見つめるような表情からは、野菜に注ぐ愛情の大きさを感じました。

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私が農園を訪れたのは端境期(お米や野菜の収穫ができない時期・次の収穫に向けて準備をする期間)のこと。あと数か月もすれば、たくさんの野菜が畑一面になるのでしょう。栄養たっぷりの竹田さんの野菜を食べれる季節が今からとても楽しみです。

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【竹田かたつむり農園】

長崎県雲仙市国見町多比良甲1517-2
Tel. 090-8295-6484

e-mail:takedakatatsumurinouen@gmail.com
HP:https://www.takedakatatsumuri.com/
facebook:https://www.facebook.com/takedakatatsumurinouen
Instagram:https://www.instagram.com/takeda_katatsumuri_farm/

edited by:衞藤

400年続く焼き物の町、長崎県波佐見町を拠点に、有限会社マルヒロが運営するカルチャーメディアです。 波佐見町のひと・こと・長崎についてなど、マルヒロから広がるつながりを、ときにまじめに、ときにゆるくお伝えしていきます。私たちを取り巻く日常を一緒に歩いてみませんか?