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小説)憧れに誘われて(2)

「椿起きろ!勝手に決められるぞ」前からの声でゆっくりと目を開けて、机に伏した体を起こす。

黒板には体育祭役員決めと生徒が書いたであろう不揃いな文字で・パネル係・衣装係・応援団と役割が続けて記載されている。

全ての役割に、矢野椿と私の名前があることを寝起きの朦朧とした意識の中で確認できた。

外では蝉が鳴り始め、制服も半袖に。もうすぐ本格的な夏が始まろうとしていた。
一番後ろの窓側の席。この席は窓からの日差しをぼんやりと浴びながら寝ると、すごく気持ちがいいから好きだ。黒板のあたりでクラスメイトがワーワーと騒ぐけど、そんなものに関わりたくなくてまた机に伏して、寝易い姿勢を探そうとする。

「寝るなって。椿のことで揉めてるぞ、あれ」
前の席の前田という男子生徒が体を横にして、先ほどから私に起きることを促すように体を揺らす。
「椿が言ったらまとまるんじゃない?あれ」右隣の席の原田という女子生徒も黒板の前で集まる数十人の生徒を指差して私にいう。

「はーーーー」放っておいて欲しいのにいつもこうなってしまう。
ため息をついて立ち上がり、一人で黒板の前の群衆に突っ込んでいく。

「ねえ。勝手に決めないで。どうすれば一番勝てるか話し合うから、座って」

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体育祭の役割決めは最悪だった。
結果的に全部まとめる羽目になったのも、選抜リレーの選手になったのもまだ100歩譲って仕方ないとしても、
パネル係のリーダーになってしまったのだ。
中学3年の夏だ、構想も含め自分が中心になって書かなければならない。
もう1年以上も絵を描いていないというのに、もう、あの才能を思い出したくないのに。

家に帰って寝転がりながら、天井をぼうっと見つめていると、
「ただいま!」となこが顔をのぞいて、「みてみて!上手にかけた」と自分の絵を見せてきた。
「おお〜」という心ない返事になこは呆れながら
「お姉ちゃん、運動も絵もできるのに部活も入らないでうだうだしてたらお母さん怒るよ〜」と私の肩を叩いた。

起き上がってダイニングテーブルの椅子に座る、なこの向かいに座り、身を乗り出して交渉した。
「今度体育祭でパネル係になって・・・。絵描けないから、なこやってくれない?一緒に考えよ」
なこはうんざりした顔で「絶対嫌。お姉ちゃんはできるのにやらないだけでしょ。」
分が悪くなって、テーブルに伏す私に、なこは続けた。
「絵上手なのになんで辞めちゃったの?」
「上手い人なんかこの世にたくさんいるし。」
「それって描かない理由になるの?私はならないけど・・・?」
なこは自分が絵画教室に通い始めてから、私が描かなくなったことに責任を感じているようで、タイミングを見計らって、絵を描くことを勧めてくる。
なこのせいじゃないとここで言えば、きっともう言ってこないことはわかっている。
でも、そうしたらあの日の出来事を言わなければならない。私の中での大きな挫折を、妹に話すことが、その時の私にはとても恥ずかしくて、できなかった。
ぐるぐると黙って考えているとなこが
「上手い人といえばなんだけど、絵画教室に柊くんって人がいて・・・」
と話し出すと、玄関の扉が勢いよく開き、「ただいまー!!」と母が叫ぶ。
私はほっとして、席を立ち玄関へ母を出迎えに向かった。


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8月になった。
照りつける強い日差しはジリジリと私たちの肌に染み込んでいった。
夏休みだというのに、パネル制作は開始された。
わたしは、選抜リレーの選手との兼任という部分を利用して、どちらかというと絵が得意・好きという子に構想は任せて、指示や進行のまとめ役に徹していた。

色を塗るなんてことは、絵を描くに入らない。
ただ、決まった流れにあった動きをこなして1つのパネルを完成させれば良い。
席の近い原田や前田は、応援団に入っていたが、時折休憩がてらパネルを見にきていた。

「これ、椿描いてないだろ」パネルのメンバーがいなくなり、3人になった時に前田はスポーツドリンクを入れた水筒をガブガブ飲み干しながらいった。
「色塗ったり、線引いたりはしてるけどね」淡々とした私に原田が、笑いながら言う。
「絵とかうちらわかんないけどさ、椿が書くものってすぐわかるんだよね。似顔絵とかも、上手いっていうよりも、似てる!っていうか」
「すげーわかる!ただ上手い!って感じじゃなくてわかるわかるって感じな」
原田と前田が私を真ん中に盛り上がり出し、私は俯いて恥ずかしそうに「やめてよ」と言った。原田が私の顔をじっと見て、つぶやく。
「去年くらいから、なんかあった?」
「絵も描かなくなったのと関係あるのか?言いたくなったらでいいから。俺たち、椿の絵好きだしさ」
二人が応援団の練習に戻り、パネルの置かれた教室で一人になる。
パネルと向き合ってみる。
「わかってた」私の方が、このパネルの絵より上手く、格好良く書けることも、とっくにわかっていたことに気づく。
でも、描けない。自分より上手い人に出会った時、自分の自信が過信だと、誤りだと知った時、もう立ち直れない。傷つきたくない。

描いてと言ってくれる人がいて、それに応えたいのに自分のプライドが邪魔をすることが悔しい。
一人で静かに粛々と泣く。
「コンコン」と扉を叩く音とともに、こちらに一人の男子生徒が向かってきた。

「泣いてるの?」知らない顔だった。
「泣いてない。誰?」涙を袖で拭ってぶっきらぼうにいうと彼はポケットから紙を取り出して私に渡した。
「これ・・・」その紙を見て言葉を失った。
その紙は私が絵画教室で、先生に渡した絵だった。私が最後に描いた絵になった。
一丁前に矢野椿とサインまである。彼だ。

「矢野椿?だよね、ずっと探してたんだ」
「なんで?」
「この絵は、めちゃめちゃ面白いから。上手いのはもちろんなんだけど、色とか、線の引き方とか、丁寧な部分と大胆な部分が織り混ざって、不調和なのに心地よくて・・・」
「なにそれ」
「あと、私を見つけてってこの絵が言っている気がしたから・・・」

私が黙っていると、彼はパネルを指差して、
「ねえ。一緒に絵を描かない?」と誘った。

二人で白ペンキに筆をつけて、今の絵を塗りつぶして、まずはキャンバスを作った。

どういう絵を描きたいか話し合って、体育祭だし、勢いのあるものにしたいと話して、龍を描いてみようとなった。

二人とも龍なんて書いたことがないから、画像検索して、配置や、シチュエーションを考えた。

さっきまでは絵を描きたくないと思っていたのに。この人のせいで描きたくないとまで思ったのに気づけば、夜まで、二人で絵を描いていた。
色を重ねるたびに、私のプライドは溶けてなくなっていった。

その日の夜は、興奮して、眠れなかったことを覚えている。

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そこからは、パネルチームに謝り続ける日々だった。
元々の構想を考えたこは泣き叫び、私はパネルリーダーを解任させられ、絵も描き直す案がクラス会議で出たけれど、絵を見せた瞬間に誰もなにも言わなくなった。(これで行こうとなったため、なんとか絵は、守られた。)

それからしばらくはリレーの練習が続いた。
結局絵を描いた彼の名前も、クラスも知らないまま、体育祭当日を迎えた。
体育祭は、曇りで時折小雨だった。
絵を描けなくなってから、やる気のでない1年を過ごしていたけれど、そんな私でもリレーも、応援も中学最後とあってみんなの熱量を感じてやり切れた1日だった。

海の中を泳ぐピンク色の龍を描いたパネルは、体育祭では人目を引く存在となっていた。
力強さや勝利にと言ったキーワードがないけれど、見た人が元気になれる絵。
海の青はもちろん彼が作る、さまざまな青だった。

応援に来たなこと母は、私そっちのけでパネルの絵を私が描いたことを聞きつけ、ずっと記念撮影をしている。「お姉ちゃん、さすがじゃん!」なこが私を肘でつき、母は私の頭を優しく撫でた。

「椿ー!!!」誰かに呼ばれ「また後で」と言って駆け出す。

なこは絵を嬉しそうに見つめると、左下のサインに気づく。
「柊くん・・・?」サインを触りながら、思わずそうつぶやいた。


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