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映画、ある日突然作ることになった事件簿

「これ、映画にしようと思う」

面白い冗談だと思った、2021年初頭。

時はパンデミック禍。フリーランスのライターとして長年お手伝いしていたイベントが中止となり、その代わりにアーティストにスポットを当てたインタビューWEBマガジンを制作していた。

私はライターで、創作も映像も無縁な人間だ。

インタビュー時に撮影してテキストの最後に掲載しているインタビュー動画をもとに、映画を作る…と。イベントの総合プロデューサーで、その動画を撮影していたお客さん(以下監督)は本気だった。

言い出しっぺの監督も、声をかけてもらった私も、1度も映画なんて作ったことはない。ど素人だ。ど素人がドラマも挟んだドキュメンタリー映画を作ると。

どうやら監督の頭の中には何かイメージがあるらしいが
・1本2時間くらいのインタビュー26本を80-90分の1本の映画にする。
・ドラマも入れる。
・景色の映像も入れる。
と言われても、皆目見当がつかない。インタビューの話はどれも濃くて、それらをほんの数分だけしか使わないなんて意味がわからない。完成形が全然見えないスタートだった。


一通りの素材が集まったのが7月。ある程度素材を集めて「さてどう組むか」と編集方法を試行錯誤し始めた4日間のぐるぐるはかなりの沼だった。ちなみに劇場公開は9月だ。ちなみに我々は素人だ。怒涛のようなスケジュールで、怒涛のような進行だった。

怒涛なのに、海が荒れて船が欠航して取材先の島から出られなくなったりもした。

ガストでフライドポテトを連日囲み、ある時は監督の会社に通い、大きな構成から数秒削ることまで苦しみまくった。


厳密には、私は映像に全く触れないので、インタビュアーとして出演者の人に話を聞くのと内容の壁打ち相手になる以外は、編集で監督に「この部分の映像を使いたい」「ここの部分はカットしてくれ」と言うのがメインの仕事。

とは言え、監督の会社に毎日通って朝から晩まで資料を広げて、最後はなんだかもう夜中自宅で作業しながら監督に電話して、映像をパソコンに流しながら電話を近づけて「ここ、この一言を使ったら」と提案したりしていた。

まさに不眠不休。
映画のプロからしたら呆れられてしまうと思う。作法も何もあったもんじゃない。不恰好にただただ必死で、がむしゃらに作ってた。精一杯だけどプロが見たら荒いだろう。2作目を撮るときはきっともっとスムーズで美しいだろう。でも、多分最初にしかない何かがきっと映っていると思う。

最後は東京で音を整えて完成させるということで、終了の報告を待つだけになった。

リミットの日は8月24日。偶然にも、私の誕生日の前日だった(黙っていたけど)。30代最後の日。これは面白い節目になるな…と思ったら、2日ずれた(ずれていいのか?)。

タリーズで書き物をしているときに、完成の電話を受けて泣く。映画を見て泣いたことはあったけど、映画を作って泣くってあるんだね。
※その後にもっと不眠不休となるパンフレット作りが始まることはわかっていたが、その瞬間だけは忘れた。

                   *

私が子供の頃通っていた中学校は街中にある。

9月10日夕方過ぎ。辺りは暗い、家を出る。

25年前、毎日往復した中学校への道を今、自分が作った映画の試写会を見に、映画館へ向かって自転車を漕いでいる。

そんな現実が面白く、不思議な感覚に包まれながら薄暗くなった小道を進んだあの感覚は、今も体に真空パックされたまま。


#映画にまつわる思い出


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