見出し画像

児童相談所に一時保護された子供たちは・・・

児相問題を扱う中で、児相に一時保護されそのまま児童養護施設に送致されたお子さんたちと話す機会がありました。身元が特定される危険性がありますので、個人に関わる情報はここには書きませんが、そこから見えてきた現実を書きたいと思います。

まず養護施設はホテルではありません。ホテルであるなら集客の為に部屋を綺麗に整え、従業員の対応を親切丁寧にし、サービス向上の為に尽力しなければなりませんが、養護施設はそうした市場競争のただ中にあるわけではなく、ましてや保育所、幼稚園のように親から利用料を集金している場所でもありません。国家の権力によって子供を強制的に親から引き離して収容して保護している場所です。利用者である子供や親を満足させるために職員がサービスをする必要性がありません。

こうした事から養護施設は劣悪な環境で職員から暴行を受けるという状況が昭和の時代にはよくある事でした。こうした施設内で横行する虐待が社会問題となった事もあり、あまりに酷い劣悪な環境や職員の暴行の話は聞かれませんでした。しかし、私が聞いた話の中には、問題はもっと子供たちの心の奥に深く傷をつけているように感じました。

ある子供は入所して直ぐに窓に鉄格子が嵌められていて、それに驚いたと言っていました。確かに自殺防止や脱走の抑止なので必要な措置であるかもしれませんが、幼い子にはそれだけでトラウマになるような事象です、もうここから出られないのかと。食事の質の悪さや量の少なさに対する不満もありましたが、私物の殆どを持ち込む事が出来ない事、パソコン等が無い環境で外部から情報の遮断をされ、学校へも通えない。勉強は各自、自習のみで受験生への配慮がない。下着の共有があった。

こうした物資的な乏しさの他に一番の問題は、職員の惰性で看ているという態度です。子供が疑問に思う事に適切に答えない。親との関係改善には全く応じない。お父さんは?と聞いても「お父さんは君に対して怒っている。」としか教えないなど、ただそこに置いてこけばいいだろう、ここにいれば安全に過ごせるのだからという、児童養護という福祉の概念から完全に乖離した現状です。

子供は大人の態度でわかります。「あの人達は仕事でやっているだけだから・・・」と言った子供がいましたが、そういった中で生活をする子どもの心の中に広がるのは、諦めです。そして徐々に奪われていく自己肯定感でしょう。

勿論、本当に親から酷い虐待を受け、このままでは殺されてしまうと保護されたお子さんもいましたが、その子であっても家にいるよりはマシって感じ。でもずっといたい場所じゃないと。

虐待を受けてきた子は心に大きな傷を負っています。それを保護したから良いだろうでは済みません。児相は本来なら「家族再統合もしくは家族援助プログラム」を遂行しなければいけない組織であり、多忙を理由にこれを放置して子にとって親を「いない存在」として扱い、子の今後の人生にとって「いなくていい存在」として扱うべきではありません。

基本的に子供は家庭内で育つべきであり、それが出来ない環境であるなら、それに代わるケアをしっかり行う場所が養護施設であるべきでしょう。

こうした場所に一時期いた子供たちが未来に希望が持てない、何かに挑戦する意欲が削がれる、何をするにもどうせ・・・という無気力な子になってしまうなら、本末転倒です。

私たちは悲惨な児童虐待事件の報道をみると、なぜ児相に保護されなかったのだろう、そうすれば助かっていたのに・・と考えます。しかし、児相に警察の刑事事件の扱いと同等の訓練や能力がある職員はいません。文字通りの虐待は犯罪です。そうした犯罪現場に児相の職員が暴行や恫喝を受けるかもしれないのに、強行する事が出来るでしょうか?児相は相談所という概念を忘れ、一時保護の実数を上げる事で既成事実として児相は仕事をやっている感を出しているだけのように思います。虐待死は減りも増えもせずに横ばいであるという事がこれを端的に表しています。

虐待によって亡くなる子どもを一人でも減らしたいなら、児相とは別の科学的調査機関を作り、警察官並みの訓練を受けた職員で対応すべきではないでしょうか。現在の児相にそういった能力はありません。児相は本来の福祉の観点に立ち返るべきです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?