ユーザーファーストの功罪

UXデザイン・ユーザーファースト・ユーザー中心・人間中心設計、などあらゆる言葉が今の業界には入り乱れています。それぞれ微妙に概念としては異なるのかもしれませんが、詳しいことは置いておき、昨今の業界でやりとりされるコアメッセージは「ユーザーを一番に見ようよ!!」ってことです。それ自体はとても大事なのですがなんかこう、それが全てだよね、と語られたりそれがあれば正義、という風潮を否めません。その姿勢が本当に「善さ」につながっているのか疑問に思います。

「ユーザーがこう言ってるんだから!」の間違い

業界のデザイナーと話したりweb上でたまに見かけるのは、「ユーザーの声を聞こうよ」、「事業者視点じゃなくてユーザーファーストを貫くのが大事でしょ!」といった言説です。「ユーザー」を中心に据えて、彼らの発言や意見を"鵜呑み"にする、要はユーザーという存在を神格化してしまう風潮を感じます。ときには、「ユーザーファースト」であることが自分たちの考えの正当化に使われるような詭弁になっていることもあるのではとさえ思います。

しかしユーザー、その前提の人間とは変化を嫌い、目先の欲求を先立たせる傾向にあります(行動経済学の実験でも証明されています)。人間は怠惰な生き物だとも述べられています。昨今のユーザー中心主義といった概念は、単純化された部分だけが受け取られてしまい、結果ユーザーや人間に迎合したデザインやものづくりとなり、人間や社会を退行させる可能性を孕んでるのではないでしょうか。

デザインによる人間の退行

デザインの隠れた性質として、"1つを可能にすることで、1つを不可能にする"ことが挙げられます。(ティム・インゴルドのメイキング参照)

鷲田清一さんの「待つということ」では、現代人が待つという感覚を失っていることが指摘されています。分かりやすくコミュニケーションの事例を取り上げましょう。昔は他者とのやり取りも、手紙で行っており、返事がくることを期待して待っていました。相手からの返事を待つその間に、いま相手は何をしているのだろう、あの文章に対して何てゆうんだろう?と想像を膨らませることができました。返事がいつ来るのか分からない、来るか来ないかも分からないような曖昧さが豊かさでした。しかし今はLINEで恋人に送って既読になってもまだこないのか、と気を揉んでしまいます。この場合は、"即応性のあるコミュニケーションを手に入れた代わりに、忍耐と待つことの豊かさ"を失っているわけです。スマートフォンというどこでもネットに繋がれるモノをデザインし、LINEという即時性の高いコミュニケーションツールをデザインし、更に既読という機能をデザインしたことで、待つことを失いかけています。

無論だからと言ってスマホがない生活は考えられないわけですが、表面的な欲望にとらわれてものづくりを始める前に「これをデザインすることで我々は何を失いうるのか?」といった影響を想像するための問いかけが必要です。

ユーザー=人間の欲求に応じるが善なのか?

結局、上で論じたことは、いま目の前のニーズを理解してそれに答えることが何をもたらしうるかという話に帰結します。この文章でぼくが問いたいのは、UXデザインやユーザーファーストという言葉尻を表面で受け取って、「それが善である」と完全肯定的に捉えてしまう現象に、それが本当に善いことなんですか?という提起です。

先も述べたように人は前提、変化を嫌い、現状を維持したいバイアスの元で動きます。更に現代の経済システムの枠組みの中で無限の欲求が生み出され、その応答の結果として全てがファスト化して効率と利便の世界に終始する。ぼく自身は利便性に感謝する矛盾に苛まれながらも、これは退行じゃあないんだろうかと思います。

いまUXデザインやユーザーファースト、人間中心設計が用いられている文脈のほとんどが、上記の効率と利便の観点での良さを念頭においたものではないかと感じてしまいます。わかりやすく言えば、池上彰的デザイン観。(池上さんを否定してるわけではないです!)

「一人称による主観」や「信念」はどこへいったのか?

あらゆるサービスも事業も、本来はユーザーが主語で語られるべきではありません。全ての出発点は誰かの想いからしか始まらないのではないでしょうか。社会は・世界はかくあるべきだ、という妄信からしか始まらないのではないでしょうか。結局それは宗教に等しく、「何を信じるか?」という問題です。共創や参加型デザインも、その土壌をつくることができるスタート地点は一人称で語られる想いと信念でしかないんだと考えています。

「ユーザーの声を聞こうよ」というデザインリサーチももちろん必要です。でもそれは別にそこから答えを見出したいからではなく、その欲求に素直に答えることではありません。今ある彼らの生活世界を知ることで、自身のもつ世界観を新しい枠組みで捉え直すために必要な営みです。自己の分解と再構築を行い、あらたなまなざしを獲得することで、かくあるべきという思想そのものを築いていくことが第一の意義だと思います。またその上で、そのあるべき姿に近づけていくために何が必要なのか、どういう変容を起こせばいいかを考える示唆を得るための手段です。

最終判断も一人称から出発して、「自分たちがどういう世界を作りたいか?」という問いに決定づけられることが大事ではないでしょうか?ユーザー/消費者がどうしたいのか、ばかりに目が向いてると世の中は退行していきかねません。

事業者中心で数字だけを追い求めることでもなく、ユーザー中心を妄信するのでもなく、といった時に必要なのはいかに信念のもと「善い問い」を立てられるかどうかです。それは一人称からしか始まらないアートです(なのでデザインとアートを切り分けること自体ナンセンスな発想)。今の経済システムとデザインのファッション化は、そうした部分が置き去りになってる気がしてなりません。

その信念や問いを自分の主観と身体知のレベルで落とし込まず、ただユーザー調査をして改善することをしていると、知らず知らずに人類を退行に導いているかもしれません。あくまで自身の信念は何なのか?ユーザーがこう言うからではなく、それが自分の提起したい問いに本当につながるものなのか?をすこし立ち止まって考えるべきなのではないでしょうか。

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m.kawachi

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