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【読書録74】「書くこと」で世界を変えようとするライターへのエール~古賀史健「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」を読んで~

 著者は、「嫌われる勇気」の古賀史健さん。
読書録で「嫌われた勇気」を取り上げた時にも触れたが、本書を以前から読みたいと思っていたところ、ようやく図書館で順番が回ってきた。

 476ページの大著であるが、惹き込まれ続け、最後まであっという間に読了した。
 本書は、「ライターの教科書」というコンセプトで書いたというが、まさに本書自体が、そのコンセプトにふさわしい内容、構成になっている。 

 図書館で借りるのではなく、手元にずっと置いておきたい本である

 そして、本書のことについて書くことは、正直、かなりおこがましいと感じている。
「書くことはそんな甘いものではない」と問われるような気がする。

 本書の構成は、「取材」「執筆」「推敲」とその仕事の流れに沿っているが、仕事のノウハウに留まらず、ライターとしてのあり方、意識の持ち方、その仕事の意義など幅広いことを訴えている。

 プロフェッショナルとしての「ライター論」のように感じた。

「ライター」とはコンテンツをつくる人


 ライターとは、「書く人」ではなく「コンテンツをつくる人」 

 本書を貫くテーマであると言えよう。

 そのコンテンツは、➀誰が(人)、➁何を(テーマ)、③どう語るか(スタイル)というパッケージからなり、価値あるコンテンツは、➀情報の希少性、 ➁課題の鏡面性、③構造の頑強性を兼ね備えたものであるという。

 そして、ライターとは、「取材者」であり、取材者にとっての原稿とは、取材に対する「返事」であり、取材者は、「返事としてのコンテンツ」をつくっているという。

 「わたしはこう理解しました」「わたしには、こう聞こえました」「わたしはこの部分に、こころを動かされました」というコンテンツを作っているという。

「本の価値 読書の価値」

 
 そんなライターの仕事にとって、必要な仕事のプロセスである「取材」「執筆」「推敲」に沿ってこの「教科書」は書かれている。

 そのひとつひとつについて触れないが、「取材」は、読むことから始まるとして、「読むこと」の重要性に触れる。また「執筆」のパートでは、「本」とはどういうものかという「本の価値」を掘り下げている。

 「読むこと」や「本」の価値は、読書録を書いている私にとって非常に印象的だったため、取り上げたい。

 著者は、「よき書き手であるためにはまず、よき読者であらねばならない。」と言う。
そして、能動的に読むことの重要性を挙げる。

 あなたが何かを読んでいるとき、そこにはかならずあなた自身による働きかけ(能動)がある。あなたは身を乗り出して「読み」に行っている。本にかぎらず、なにかを読もうとするとき人は、決して受け身ではありえない。能動こそが、読むことの前提なのだ。

 具体的には、「観察」「推論」を重ね「仮説」を立てることを能動的な読み方として掲げる。
 この「観察ー推論ー仮説」の習慣は、ライターのみならず、総ての人にとって、読書を有益なものにするのに必要なことであると感じた。
 

 さらに読むことについて「読書体力」として、読書することの意義を取り上げる。

一冊の本を通じて、人生を変える勇気があるか。これまで自分が受け入れてきた常識や価値観を、ひっくり返す勇気があるか。これまでの自分を全否定して、あたらしい自分に生まれ変わるつもりがあるのか。

と著者は問う。

読書体力の低下とは、体力の減退である以前に、「変わる気=こころの可塑性」の低下なのだ。

自分を更新するつもりがないもの、自分を変える勇気を持たないものは良いライターになれないというが、ライターに限らず、人間として常に成長するには必要な観点であろう。

 読書にそのような価値を感じている著者は、「執筆」のパートで、本についてこういう。

本の価値は、情報量ではなく、体験。それも正真正銘の没頭を伴う「一晩の体験」だ。  

 そのような体験を設計するのがライターの役割であるとして本を構成する方法について教えてくれる。

 良い本を読んでいる時の没頭感という体験、そして読み終わった後に、自分を取り巻く世界が変わった感は、読書の最高の喜びであろう。

「推敲」するということ

 
 「推敲」のパートは、ライタ―としてのプロフェショナリズムを一番感じたパートであった。

 推敲について著者はこう言う。

書き終えた原稿に対して、あるいはそれを書いた自分に対して「なぜ、そう書いたのか?」「なぜ、こう書かなかったのか?」「こう書いた方がおもしろいんじゃないか?」とたくさんの問いをぶつけていく作業、すなわち推敲を通じてようやく、原稿は完成する。いったん「書き終えた」はずの原稿が、推敲によって「書き上がる」のだ。 

 そして、推敲の本質を「自分への取材」であると言う。
ライターでない私にとっても、自分の原稿を3つの距離(➀時間的な距離、➁物理的な距離、③精神的な距離)を取って読むというのは参考になる。
 
 また、➀音読、➁異読、③ペン読の3ステップという推敲の進め方も実践的なアドバイスである。異読のところの、「PC上の縦書きの原稿を横書きに変換して読む」というのは、特に目から鱗であった。 

 特に推敲は、どこまで行けば終わるのか。という所は興味深かった。ライターという仕事の本質を表していると思う。

どんな状態になったとき、「書き上げた」と言えるのか。
ぼくの答えは、原稿から「わたし」の跡が消えたときだ。つまり、原稿を構成するすべてが「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときだ。

「わたしの跡が消える」

そこにコンテンツのクリエーターとしてのプロフェショナリズムを感じる。

ライターであるわたしと、取材に協力してくれたあなたが「わたしたち」として溶け合い、ひとつになったことの証左だからだ。つまり、ここでついに「わたしからあなたへ」のプライベートレター(返事)は、「わたしたちから読者へ」のコンテンツ(手紙)として完成をみるのである。

ライターは、伝えたいことを手に入れる。「わたし」個人に言いたいことはなくとも、「わたしたち」として伝えたいことが、どうしても生まれる。
だからこそ、自分ひとりではない「わたしたち」のことばだからこそ懸命に、真摯に、嘘のない翻訳をほどこしてそれを伝えようとする。

肝に銘じてほしい。ライターは、作家に満たない書き手の総称などでは、まったくない。「わたし」を主語とせず、「わたしたち」を主語に生きようとする書き手の総称が、すなわちライターなのだ。ぼくはその価値を、これからも強く訴え、証明していきたい。

 その他にも、著者のプロフェショナリズムを感じる場所はたくさんある。
3つほど取り上げたい。

(1)やる気にならない本当の理由
やる気にならない本当の理由は、面白い原稿にならないから、やる気を失っているのであって、原稿が面白ければ、没頭する。なので本当はもっと面白かったんじゃないかと考える

(2)よき自信家であれ
「よき自信家であれ」として、自分という人間に自信を持つことー自分という人間を信じることーはなによりも大切なものだ と言う箇所

(3)相手を評価しない
取材で話を「聴く」時には相手を評価をしない。それを「敬意」に関わるなどとしている箇所

 「書くこと」で自分と世界を変えようとするすべての人たちに届くことを願って書いたというが、本書は、そんなライターへのエールである。

 そしてそんな思いで書かれた本や記事を私も変わる覚悟をもって向き合っていきたい。


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