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【読書録94】硫黄島へのひたむきな執念の半生記~酒井聡平「硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在り」を読んで~


渾身の半生記 

 
 最近、kindleで本を買うことも増えたが、装丁も本の魅力であると改めて認識させれる迫力ある装丁。

そして、なにより熱量に溢れた一冊である。

 硫黄島での遺骨収集のルポルタージュに留まらず、著者の半生期と言って良い渾身の内容。
 新聞記者である著者が取材目的ではなく、遺骨収集のボランティアとして硫黄島へ渡航して、遺骨収集することをライフワークに決め、13年間もがきながら、ついに硫黄島にたどり着くまでを幼少期の描写を含め描き出す。

 硫黄島と言えば、クリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」や梯久美子氏「散るぞ悲しき~硫黄島総指揮官・栗林忠道~」が有名である。
 本書は、あまり知られていない遺骨収集という新たな側面に光を当て、日本人として知らなければいけない事実を突きつけてくれる。

硫黄島への執念

 
 著者の生まれてからの境遇や出会いが、硫黄島への執念を生み、硫黄島までたどり着かせた。
 著者が描く、硫黄島の姿は、とても戦後が終わったという姿ではない。シャーマン戦車が横たわり、戦争時のヘルメットや不発弾が残る、戦争の傷跡が多く残ったままの島である。そして、地熱の熱さに耐えながら、遺骨収集する姿は、塹壕堀りをする戦時の日本兵の姿とも重なる。

 当初、新聞記者としての取材活動でなく、プライベートなボランティア活動として参加した遺骨収集を記事にすることをためらう著者に対して、後輩記者が、「酒井さんが硫黄島で見たものは公文書同然なんですよ」と目を覚ますように言われ、体験記をのせるところから更に運命が拡がって行く。

「旧聞記者」としての新たな展開

 
「戦死者2万人のうち1万人の遺骨がいまだに行方不明なのはなぜか?」という謎が彼をされに駆り立て、「旧聞記者」として「1日1硫黄島」という活動に繋がっていく。

 滑走路下遺骨残存説を巡る公文書の調査や関係者への取材内容が、本書を遺骨収集体験記の域からさらに面白い内容へと昇華させている。

 とりわけ私が興味を持ったのが、菅直人内閣時代に、首相の関心の高さから遺骨収集が進んだという事実である。そしてそのキーパーソンであった首相補佐官の阿久津幸彦氏へのインタビューである。米国側の記録という「純粋な科学的調査」を基に、集団埋葬地の位置を推定し、2010年の822体、2011年の344体という成果につなげた。
 成果に繋がったのは、首相のトップダウンで、省庁間(厚労省・防衛省)の縦割りを打破したことも主要因とのことで、こんな所まで縦割りの弊害がと感じたものである。
 またとかく、震災対応等で評価の高くない菅内閣にこのような成果があったのかと初めて知った話であった。
 
 また政治家でいうと、参議院議長の尾辻秀久氏へのインタビューも感じるところがある話である。自ら戦没者遺児であり、遺骨収集にも参加したことのある現場を知る尾辻氏の発言は重い。
「あとのことは心配するな」という国の約束はいずこへ。また「集中期間を設ける」という尾辻議員の言葉の重みは、全く今まで知らないことであった。

 そして、何と言っても、米軍の硫黄島上陸直前まで硫黄島にいた元陸軍伍長の西進次郎の語る、現地・現物・現人の迫力。
 本土帰還の際の見送りに来た人と別れの挨拶をしたとき、みな神々しいまでの笑顔で、誰も自分も本土に帰りたいと言う人がいなかったと言う話は、涙なくては読めない話であった。

 クライマックスは、皇室担当として、天皇陛下の誕生日に際して、「硫黄島」に対するお気持ちを問う質問をする場面である。ドラマチックとしか言いようがない。著者のひたむきさが手繰り寄せた奇跡であろう。

一つのことに打ち込むひたむきさ

 
 本書を読み、遺骨収集や硫黄島に対する関心が高まるとともに、本書の魅力を高めているのは、一つのことに打ち込むひたむきさの美しさである。
 あとがきで触れる著者のお子様の絵日記の様子を見ると著者の活動がいかに魂を込めたライフワークとなっているのかが分かる。
 
 時が経ち、風化するのは免れないが、日本人として絶対に忘れてはいけない。そのことを教えてくれた気がする。

 最後に、読書録で以前に取り上げた、戦争関係の本を上げることで終わりにしたい。



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