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【読書録51】致知 2022年8月号 「覚悟を決める」感想

致知の感想シリーズ。

今号の特集は、覚悟を決める。致知らしいテーマである。

総リード 覚悟を決める


「禅海一瀾講話」から引用し、仏教の教えを凝縮すると「覚」の一語に尽きるという話から始まる。

 「覚」とは気づくということであるという。

人生は気づくことが大事、気づかなければ何も始まらない。その気づきをさらに肚に落とし込む。覚悟を決めるとはそのことだ。

 そして、今年お亡くなりになった、タビオ会長・越智直正氏の運命を拓いた二つの覚悟を紹介する。

いまいる場所で花を咲かす。恩ある人の恩義には生涯尽くす。

 今号では、多くの方の覚悟の決め方に触れられている。
一日一生と心に決め、その時、その場でなすべきことをなす。自責の姿勢で自分を信じるなどが共通する点であろう。

 その中でも、特に心に刺さった二つの記事について書いていきたい。

その前に、巻頭リードの最後、これも心に刻み込みたい言葉である。

「人はその一心だに決定すれば、いかなる環境い置かれようとも、いつか必ず、道がひらけてくるものである」
森信三師の言葉である。深い英知の言葉を噛みしめて人生に臨みたい。

対談 松尾芭蕉の歩いた道

 
 禅の立場から芭蕉を探求、今年卒寿を迎えた東洋思想家・境野勝悟氏と能楽という視点で芭蕉の本質を追求してきた能楽師・安田登氏の対談。

 芭蕉の句が多く紹介されるが、「古池や蛙飛こむ水のをと」から始まる。
境野氏は、この句の鈴木大拙氏の解説を紹介する。

芭蕉が禅の師匠である仏頂和尚から「人生とは何か」を問われた時に「古池や蛙飛び込む水のをと」と答え、和尚は「よし」と言ったというんです。
なぜ「よし」と言ったかというと、私たちは貴重な人生を生きて、いろいろ活動をしたり楽しんだりするけれども、永遠の時間から見ると、ポチャンという間にすぎないんだと。私はその句に込められた意味を知って胸打たれ、芭蕉の偉大さを知りました。

九十年という私の人生は長いはずなんだけど、過ぎてみると非常にアッと言う間ですね。芭蕉のこの俳句の迫力は年をとるほど分かってきます。
だけど、この年になっても、ともすると人生の過程でいろいろな人にお世話になったことを忘れていまだけに生きちゃうんですよ。ご指導をいただいたり、ご叱責を受けたり、多くの出会いの中で今日まで歩むことができたことを毎日確認していかないと、本当にポチャンで人生が終わっちゃう

私は長い間、一瞬にして終わってしまうのが人生である、生きていても大したことはないくらいに思っていましたが、八十五歳を過ぎたあたりから、いやそうではないと。人間として生きていることは大変な奇跡なんだ。そんな奇跡の中で、自分は贅沢にも素晴らしい仕事をさせていただいているじゃないか。一瞬の命だからこそ大事にしていかなくてはならないと強く思うようになりました。

 人生は、一瞬。一瞬だからこそそれをどう捉え、何をやるのか?自分自身の心意気が問われる。お二人のコロナの時期を前向きに捉える捉え方にも共感を持てる。

 安田氏はこう言う。

 この二年間、世の中は、これを機会と捉えて勉強した人と、不満ばかり言って過ごしてきた人に分かれるのではないかと思います。その意味では大きな二年間でした。

 一瞬の人生なればこそ、自分では変えられない環境の中でどうそれに適応し、その中で何ができるか。大切にしたい視点である。

 そして、2人の対談は、芭蕉の句を数多く紹介しながら、芭蕉の時世の句に対する考え方におよぶ。

 境野氏は、こう言う。

門人から辞世の句を聞かれた芭蕉が「昨日の発句は今日の辞世。今日の発句は明日の辞世」と答えたといわれますが、芭蕉のこの言葉は「きょう一日をどう生きるか」「今をどう生きるか」というテーマを私たちに突きつけているように思います。
人間は自分がいつまで生きられるかなんて自分では決められない。あるがままで生きるしかない。だとしたら、明日を当てにせずにいま、この瞬間を精いっぱい生きなくてはいけない。桜の花も梅の花も散ることなんて考えず、いま今日を精いっぱい生きていますよ。きょう一日が一生だから、きょう詠んだ句が辞世の句だといっているんです

そして、今回の特集テーマ「覚悟を決める」についてこう言って、対談を終える。

覚悟を決めるのは人生においてとても大事です、だけど、人間はなかなか覚悟ができない。なぜかというと、自分の目標が完全に成就するかどうかを考えだすと、いろいろな心配や不安が生まれるんですね。そういう時、芭蕉のように人生は一睡の夢だと観念すると、うまくいく、いかないとあまり考え込まずに覚悟が定まるのではないかと思います。

若い人たちの中には、計画をみっちり立てて万事うまく慎重にやって、いい結果を出そうとばかり考えている人が多いように思いますが、例えば、いまのコロナ禍のような時代になってしまったら、どんな計画を立てても結果は出しにくいですね。だからあまり結果を期待せずに思い切って踏ん切りをつけて、覚悟を決め一歩を踏み出すことですね。

 人生は一瞬、あるがままに自分のなすべきことをなす。その結果は、どうなってもいいのではないか。そんなことを考えた。

「人生万事事因己」経営者である私の信条

 
 タニタ創業家の3代目社長を務める谷田千里氏へのインタビュー記事。

 タニタを世界初の体脂肪計を開発・販売する、健康を「はかる企業」から、「タニタ食堂」「タニタ健康プログラム」など、健康を「つくる企業」への変革してきた、谷田氏のお話を興味深く読んだ。

父である2代目社長からこうアドバイスを受けたという。

「経営者になると決断を迷う局面が多くなる。その時私は、自分のエゴになっていないか、世の中のためになっているか。それをニュートラル(中立)な立場で考えて判断してきた」

 稲盛和夫氏も、「動機善なりや、私心なかりしか」と言っている。多くの名経営者が同じような趣旨のことを言っている。仕事をする上でも、人として生きていく上でも大切な真実なのだろう。

 また、谷田氏が、人生において大切だという2つのポイントもなるほどなと思う。

「ぐちぐち議論をせず即実行」「人のせいにせず主体性を持つ」、この二つが人生において大切だと思います。何事も主体性をもって実践していれば、経験値が積み重なり、自然と多よ垂れる人間になれます。

タニタ食堂やタニタ健康プログラムは議論ではなく実践が先で生まれたという。

 まずは目の前の赤字を改善するために仕事に没頭したことで閃きが生まれた。ですから、何事も論より実践です。

 この記事を読んでいる読者の中で何か迷っている方がいらっしゃれば、ぜひともいますぐ決めて、行動に移してほしいと思います。結局、実践でしか身につきません。

そして覚悟についてこう言う。

実社会にテストはありません。すべてが本番です。ですから、たとえ失敗したとしても他責にできない。すべて自分で考え行動した結果だと受け止め、失敗から学び改善することです。覚悟を決められない理由を、何か人やモノのせいにしていないか。詰まるところ、最初にお話しした「人生万事因己」という言葉に集約されるので。人生はすべて自分の責任。そう考えたら覚悟を決められるのではないかと思います。

 人生、すべて自己責任というと、少し退いてしまうかもしれない。
人間、すべて自分で決められるわけではない。それを前提に、与えられた環境の中でどう振る舞うかこそ自分の責任ではないだろうか。
 一日一日どう振る舞うか。またやりたいことなどどれだけ実行できるか。
今号からもたくさんの学びを得た。

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