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”ダサい格好”の弊害 -ダサいユニフォームを着ると弱くなるのか-

人が服を着る意味

前近代の身分制の社会であれば、その人が着ている服を見て「どこの誰か」がわかるということが重要でした。王様は王様の服、平民は平民の服を着なければならず、自分の好きな服を着る自由はなかったのです。服は「その人が誰かを知らせるため」という役割が非常に大きかったといえます。
FUTURE IS NOW「私たちは何を着ているのか。ファッションを哲学する8つの問い。」

上記の文にある通り、服を着る理由の一つに「その人が誰かを知らせるため」という表紙やパッケージとしての役割があげられる。

特に日本のスポーツユニフォームにおいては「その人が誰かを知らせるため」という役割が一丁目一番地としてユニフォームがデザインされており、それ以外の役割をユニフォームに持たせるためにデザインされているチームは多くないように見受けられる。

これでは、漢字で名前を入れたカラービブスを着用していることと何ら変わりない。

ユニフォームを着ることの意味


”スターバックスのグリーンのエプロンを身に着けて、スターバックスの店頭に立てば、たくさんの研修を受けていなくともスターバックスの店員っぽい立ち振る舞いをすることは可能では無いだろうか。”

しかしそれが、新人は誰が見てもわかるようにとイエローのエプロンを身につけさせられたなら前者の場合と立ち振る舞いは異なり、より新人っぽくなるだろう。

これこそがブランドであり、ユニフォームの力だ。

”何を着るか”は、外側のみならず内側にも大きく影響を与えている。

仙台育英の野球部は入学式の日までに新入生のユニフォーム納品を間に合わせて、それを着用して紅白戦を行うそうだ。ユニフォームの内側への影響を最大限に活かしたマネジメントであると私は思う。

しかし、この野球ユニフォームに関して議論されることはほとんどなく、ただ名前の入ったカラービブスを着用していたり、いつまでもイエローのエプロンを着けさせられているチームが散見されている。


”かっこ悪い”ユニフォーム


私は、野球選手はカッコよくなければならないと考えている。

では、かっこいいユニフォームとはどんなものだろうか、どう定義すればよいだろうか。

デザインが斬新で派手なものだろうか。

最近は昇華プリントによる派手なデザインのユニフォームがトレンドである。

西武 ライオンズフェスティバル2022 着用モデル
阪神 ウル虎の夏2022着用モデル
楽天 2023シーズンスペシャルユニフォーム
横浜 YOKOHAMA STAR☆NIGHT 2022着用モデル

毎年サードユニフォーム的な物を発表しているNPBの各球団である。グッズ売り上げの観点からホームユニフォームやビジターユニフォームとは異なるカラーやデザインのユニフォームを発表しなければならない事から、チームカラーを逸脱したものや、ド派手なデザインが多い。

私は正直なところ、これらの派手で奇抜なユニフォームにかっこよさを感じない。

どれだけ最新のトレンドを取り入れても、派手でも、奇抜でも、デザインが優れていてもだ。

結局のところ私たちは見た目だけでかっこよさを判断していない。

「〜風」のユニフォームは一生"かっこよくならない"


見た目だけでかっこよさを判断しているのであれば「〜風のデザイン」はカッコいいことになる可能性が高いかもしれない。

MLBやNPBのチームをモチーフとしたユニフォームだ。これらのユニフォームはデザインとしては優れているはずだ。

だか、それは"かっこいい"事とイコールになるだろうか。

平野啓一郎氏は著書「カッコいいとは何か」の中でカッコよさの条件をこう表現している

真・善・美
平野啓一郎「カッコいいとは何か」

"美"だけでかっこいいは完成しない。


認知度の低いチームが派手になるジレンマ

2023年のJリーグユニフォーム一覧を見ていて思った。

チームカラーが他チームとかぶってしまった場合、潰されるのは認知度の低いチームであると。

例えば、チームカラーが赤と青のチームがあった場合(チームコンセプトとして赤と青がチームカラーとして相応しいとしても)どうしてもFC東京感が出てしまう。

歴史が浅く、実績も無いチームが何となくシンプルな勝負をしてしまうと認知度の高いFC東京には勝てない。

そこでデザインに一工夫をして、FC東京風から逃れようとし、それがエスカレートすると奇抜で派手なユニフォームになる。

〜っぽいユニフォームから逃れる事と、シンプルで洗練されたデザインにする事はかっこいいユニフォームをデザインする上で必要不可欠であるが、その矛盾を超えるのは容易ではない。

強いからこそシンプルなユニフォームが許されるのかもしれない。

J2やJ3のチームのユニフォームには迷いが感じられる。チームカラーが統一されておらずバラバラな印象を抱く。


”かっこよさ”を決めるもの


例えば、あなたが大好きなあの子と江ノ島の海へデートに行くことになった。あなたは何を着ていくだろうか。

友人の結婚式に招待された。あなたのクローゼットに黒のネクタイしかなかったとしても、それを着けていくことはしないだろう。それがどんなに上質なものであっても。

”何を着るか”は重要ではあるが、その良し悪しを決めるのは、どこに行くか、誰と行くか、何をするのか、といったそれ以外の要素が前提にあってこそである。それらを無視して”何を着るか”を決めることはできない。それがどんなに高価で高品質な物であってもだ。

鎌倉インターナショナルFC監督・ブランディング責任者である河内一馬氏は”ブランディング三角形”をこう定義した。

「サッカーにおけるブランディング」を構成する要素を一つ一つ紐解いてく。つまりそれは、人間はなにを持って「クール=かっこいい」(もしくはダサい)と判断するのか、である。

私は全ての分野に共通して「3つの要素」があると考えている。

1、視覚 2、哲学 3、機能

(中略)

これら全てをサッカークラブ(チーム)はブランディングしていく必要があり、何よりこの3つに「一貫性」がなければならない。この記事内ではこれを「ブランディング三角形」と呼ぶ。
河内一馬 note「強いからかっこいいのか、かっこいいから強いのか——。 "弱い"と"ダサい"の因果関係」

スターバックスのユニフォームが、少し淡いグリーンになっていてはならないし、ロゴフォントが筆記体になっていてもならないし、安価だという理由でチープな素材で作られていてはならない。

あの色で、あのロゴで、あの形でなければならないのだ。


ユニフォームデザインの原理原則


私はデザイナーではないので、カッコいいデザインのユニフォームを作れと言われても難しい。しかし、それがダサいかどうかは判断できるかもしれない。


①カラー
スターバックスのユニフォームがあのグリーンでなければならないように、あなたのチームのユニフォームのカラーもその色でなければならない。

そしてスターバックスのカラーを誰しもがあの色のグリーンを思い起こすように、あなたのチームのカラーも思い起こさせなければならない。

私がグラデーションデザインや派手で奇抜なデザインを好まないのは、チームカラーの想起を混乱させる可能性があるからである。

チームカラーを覆してまで派手なデザインのユニフォームを売ることは長期的に見ればマイナスに働くのではないだろうか。

②ロゴ
スターバックスのロゴが店頭看板であれ、カップであれ、グッズであれ、全てに統一されているように、あなたのチームウェアやその他の物品のロゴも統一されているべきだ。

こうして文章にすれば、当たり前のことだがこれがなかなか統一されていない。

これには物理的な理由がある。プロ球団でもない限り多くは小売店を挟んでウェアを発注する。そうすると各メーカーが出すサンプルフォントの中からロゴデザインを選択することになる。

運営の都合上、安くて良いモノを求めることからメーカーが統一されない。
公式戦ユニフォームはメーカーA、ジャンパーはメーカーB、TシャツはメーカーC。そうなるとメーカーAのサンプルフォントをジャンパーにも使いたいが、メーカーBにはそのロゴフォントが無いということが発生する。

こうしてロゴの幕の内弁当が完成する。

③流行


流行とは上流階級の人々が自分たちを下層階級と区別するためにつくったトリックなのだ。上流階級の外見や行動が模倣されるとき、つまりその流行が下層階級へと「滴り落ちていく」とき、上流階級はまた新しい美学をつくらねばならない。

ファッションの文化社会学 ジョアンフィンケルシュタイン

女子高生のスカートの丈や、ソックスの長さにトレンドがあるように高校野球のアンダーシャツの襟の高さや、パンツのサイズや丈にもトレンドがある。

ファッションにおいて、自分が属するグループの人と同じになろうとする同調化・社会的均等化の力と、あくまで個人的な個人であろうとする差異化の力が同時に働く点は重要である。相反する二つの欲求を同時に満たすというファッションの弁証法的弁証法的(二元論的、相互作用的)特性を論じたジンメルの議論は、両価説とも呼ばれる。
ファッションスタディーズ 私と社会と衣服の関係 第1部「1、流行」

そしてその流行の振り子は世の中のトレンドの振り子よりも早い。
それは制服やユニフォームという壊すべく制約があること。そして思春期にかけて確立していくアイデンティティ。他の奴らと一緒にされたくないという差異化の欲求と、そんな同志達への同調化だろう。

そしてさらに上記で引用した通り、流行は上流階級によって創られた。

それは野球ユニフォームにも当てはまる。流行は強者が創るのだ。

なぜなら、弱いチームと同じ格好はしたくないからだ。

ぼんたんのような太く大きいズボンを履く東北高校の選手
個人的に好きだった東北高校の帽子。ツバが短く綿のような質感。私が入学するタイミングでモデルチェンジされた。
現在の東北高校のユニフォーム。ズボンはタイトめ。帽子は丸型。丸首のアンダーシャツ。
肌にピタッとフィットするタイプのアンダーシャツ
夏にも関わらずタートルネックを着用する現ホークスの今宮健太選手
現在の明豊高校 帽子の形は対照的に
夏の甲子園でタートルネックの長袖アンダーシャツを着用する現楽天の浅村選手。バックは紐を極限まで短くしてキーホルダーやお守りを付けるのがトレンドだった。

ダサい格好の弊害

逆に、弱者のユニフォームの着こなしはいつの時代も変わらない。
中途半端なアンダーシャツの襟に、中途半端な帽子の形、中途半端なユニフォームのサイジング。おもしろいくらいに共通している。

ドラマ 弱くても勝てます
ドラマ 弱くても勝てます 山崎賢人さん
ドラマ ルーズベルト・ゲーム 和田正人さん
ドラマ チア☆ダン 清水尋也 さん
映画 野球部に花束を

その時僕らはテレビに出られるような格好していませんでした。着ている服が安いとかそういうことでは無いのです。僕は芸人になったといっても、所詮、いつかテレビに出たいなぁ位の感覚でした。舞台でもプライベートでもそういう格好をしていました。でもキングコングは既にTVスターになるんだと言う覚悟が感じられました。それが髪型や服装からにじみ出ていました。総じて関西芸人は、舞台上にものすごくこだわっているコンビが多いように思います。スーツにネクタイと言うコンビが多い汚れは売れないと言う上方の教えがあるからだと思います。そこへ行くと関東芸人の舞台衣装はラフです。私服のまま舞台に上がってしまうコンビも珍しくありません。
言い訳 塙宣之


ダサいから弱い -模倣対象-


今年の春の選抜甲子園の出場校(36校)のうち公立校は21世紀枠の3校(3分の3)を合わせて8校である。はっきり言うが、夏の選手権になれば公立高校の出場校は更に減るだろうし、今後も増えていくことはないだろう。もちろん単発的に夏の甲子園で勝ち進む公立校は数年に1度は出てくるだろうが、その強さが続くことはないだろう。

様々な理由はある。経済的理由、指導者の定期的な異動人事、選手のリクルート。これらの理由を挙げればきりがないが、私がここまで言う最大の理由は”模倣対象が無い”もしくは”模倣対象が弱い”からだ。

上記で例として並べた野球ドラマや映画の設定で共通しているのは”弱い”ことである。衣裳さんなどのスタッフが”弱く見せる”ために努力をしている。

つまり、現に存在する弱くて、下手な野球チームや選手を模倣している。


「ファッションに、こだわりがない」という事を、ファッションで表現することにこだわっている人たち


こうした選手やチームを見て「見た目に対するこだわりが無いのだろう」と解釈するのは浅はかである。

よく「ファッションとかオシャレに、こだわりは無い。なんでもいい。」と言う人がいる。私の父もその一人だ。

数年前の誕生日に少し柄の入った明るい色のセーターをプレゼントしたが1度も着ているところを見た者はいない。

そう。それと同じように、なんらこだわりが無いような選手であっても”本当に何でもいい”訳ではない。私の言うとおりのアンダーシャツを着て、帽子の形や、ストッキングの高さまで着付けされれば、気持ち悪くて仕方がないはずだ。

つまり、ファッションに何のこだわりが無いような人であっても、人が選んだ服を着させられるのには抵抗があるの。どんな人であっても何かしらを表現しているし、模倣している。

「ファッションにこだわりがない」という事を、ファッションで表現することにこだわっているのだ。

ダサい格好をする弊害は、弱さの模倣から抜け出せない事である。
だから、ダサいから弱いし、弱いからダサい。

まとめ


冒頭で述べたように「スターバックスのグリーンのエプロンを身に着けて、スターバックスの店頭に立てば、たくさんの研修を受けていなくともスターバックスの店員っぽい立ち振る舞いをすることは可能である。」

この模倣対象こそがブランドであり、ユニフォームの力である。

このブランドを創っていくことは長期的なことでああり、2年3年でできることではない。

模倣と早さだ。それ故に適当なユニフォームは許されない。ブランディングが必要なのだ。




菅野雅之



※参考文献


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