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【感想】劇場映画『落下の解剖学』

2023年のカンヌ国際映画祭で最高賞に当たるパルムドールを受賞した『落下の解剖学』

物語は自宅の3階から転落死した男性の遺体が見つかるところから始まる。
可能性は下記の3つ

  1. 事故

  2. 自殺

  3. 殺人

そんな不審死の謎を追っていく王道のミステリーが大枠。
物語のゴールは真相究明に設定され、そこへの興味で引っ張っていく。
近年のパルムドール受賞作の『万引き家族』『パラサイト 半地下の家族』『逆転のトライアングル』よりは良くも悪くもカンヌらしさは薄いが、その分ハードルは低いと思う。
(『TITANE/チタン』はちょっと例外w)

いわゆるヨーロッパ知識層の問題意識にハマりそうな社会的イシュー、特に格差社会を描いてきた作品に比べると本作は純度高めのミステリー。

しかし、本作が一筋縄で行かないのは最終的に真相を明らかにすることを敢えて放棄しているから。
映画の大半は裁判を舞台にした法廷劇に割かれ、主人公が犯人の殺人説を主張する検察と自殺説を主張する弁護側という構図。
決定的な物的証拠や目撃証言が無い中で仮説の提示とそれに対する反論が繰り返される。
怒涛の台詞量。

その中で浮かび上がってくるテーマが「事実と想像を分ける」
ヴァンサン弁護士(スワン・アルロー)は検察の提示する仮説を流行り言葉風に言うなら「それってあなたの想像ですよね?」的に反駁していく。
人間には状況証拠から自分が信じたい、自分に都合のいいストーリーを組み立ててしまう性質がある。
「ハンロンの剃刀」というビジネスシーンでたまに聞く諺もそういう本能への戒めだ。

昨今世界を覆う数々の陰謀論も「きっとこういう事に違いない」と自ら物語を創り出してしまう点で類似品である。
インターネットにより情報の流通経路が複雑になった現代では断片的な情報から物語が勝手に作り上げられて拡散されていく。
劇中では「供述だけでは証拠にならない」や「今の証言はただの主観だ」といった反駁の応酬。

被告人である主人公の職業が小説家というのも示唆的。
劇中では証拠として主人公の書いた小説内の文章が引用され、弁護側が「作品と作者の人格は別だ!」と主張する場面も。
挙げ句の果てにテレビ番組(架空のワイドショー?)では「真実はどうでもいい。妻が夫を殺したと考える方が面白い」という無茶苦茶な理屈まで。

さらに観客をその渦中に引きずり込むのがドキュメンタリー風のカメラワーク。
突然のズームやわざとらしくパンを繰り返すカメラ。
HBOの歴史的名作ドラマ『サクセッション』や日本ではつい先日配信開始したSHOWTIMEのドラマ『THE CURSE/ザ・カース』といったテレビシリーズを彷彿とさせる手法。
(もちろんズームの第一人者といえば巨匠ホン・サンスになるわけだがw)

本当に陪審員として裁判を見ているような感覚に陥り、有罪・無罪を自分でも考えるようになる。
推定無罪の原則も忘れてはならない。
2024年に入ってからも週刊誌報道や当事者のSNSでの主観発言(もちろん人は主観でしか発言できないのでこれ自体は問題ない。外野がその主観を客観的事実と同等に受け止めてしまうのが問題)から第三者が想像で作り上げた有象無象の“物語”がネット上には数多拡散。
本作は裁判という舞台を通じ、そして最後まで真実を明らかにしないことによってそこへの批評を試みている。

そういう意味では羅生門スタイルによって一定の真実を作り手から観客に提示した是枝裕和監督・坂元裕二脚本の『怪物』よりも一歩先を行った脚本だと思う。
坂元裕二ファンとしてはちょっと悔しいけど。

同じく羅生門スタイルを採用したリドリー・スコットの『最後の決闘裁判』は思いっきり"The Truth"って表記していたし。

もちろんこの作品の場合は真実を明確に提示する意義があるのだけど。

あと他にも演出面ではファーストカットから落下のモチーフが登場しているように、とにかく階段の撮り方が良い。
物語の核と強く結び付くモチーフであると同時に、高低差や奥行きを持った画面設計・空間演出に繋がりやすく極めて映画的な場所である階段。
階段の撮り方が上手い映画は良いですね、やっぱり。

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