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【感想】劇場映画『レジェンド&バタフライ』

前提スタンス

自分は本作に限らず時代劇というジャンルを「史実を原作・原案とするフィクション」と捉えており、史実通りであるかどうかにはほとんど興味がありません。
よって「史実と違う」というだけでは批判の根拠にはならないですし、逆に忠実だからといって賞賛する理由にもならないと考えます。
(史実と忠実でゲシュタルト崩壊)

次に、大友啓史監督の作品はほぼ劇場で観てきましたが(1〜2本だけ見逃した作品あり)実写版『るろうに剣心』シリーズはアクション監督を谷垣健治が務めているのが大きく、今作には別にアクションはそこまで求めていませんでした。

大友監督のフィルモグラフィーを見てもエンタメ大作から人間ドラマまで幅広く撮っていて毎回アクション映画を撮ってきたわけではないので。

また、合戦シーンも東宝配給作品で原田眞人監督の『関ヶ原』や佐藤信介監督の『キングダム2』といった大作が既にあります。

わざわざ東映創立70周年記念作品でその真似事をしなくていいと思うので、大迫力の合戦シーンも別に端から求めていませんでした。
つまり本作に大迫力アクションが少なかった件は自分の中では減点材料になりません。

古沢良太による織田信長の再解釈

さて、前置きはこれぐらいにして本題へ。
先日NHK大河ドラマ『どうする家康』の感想の中で「古沢良太は再定義の脚本家だ」と書いた。

自分の思う脚本家・古沢良太の作家性はここで書き尽くしたので今回は省略します。

本作では「散々語られてきた織田信長を語り直す」という形でその作家性が発揮されている。 
大友監督もオファー当初は信長を語り直すというアイデア自体に後ろ向きな気持ちがあったそう。

オファーを受けた当初、大友監督ですら「これほどの座組みなのに、信長かよ」と思ったというが、
https://eiga.com/news/20230128/5/

この問題に対して古沢良太は人間味のある部分にフォーカスして信長を再解釈している。

「時代や状況にあわせて歴史上の人物をエンタメとして描いてきた末端に僕たちがいるのだとしたら、夫婦の物語として織田信長を捉え直すのもまた、その流れのひとつ。改革を断行する姿に憧れる人たちがいる一方、僕は『人間的な幸せを捨てて邁進しなきゃいけなかったんだろうな。でもその中で、これだけは守りたい、と思うものが好きな人だったんじゃないか』と感じました。あくまで、観点が違うだけだと思っています」
(中略)
「地方のベンチャー企業を立ち上げた夫婦が偶発的な成功を収めてしまい、一気に全国的な企業になっていく中で取り巻く環境がどんどん変わっていく。そうして二人三脚でやっていた時代は遥か昔……という物語だと思って書いていました。
https://www.pen-online.jp/article/012301.html

『どうする家康』ならぬ「どうする信長」のごとく前半はコミカル。
逆に後半はグッとシリアス。
史料がほとんど残っていない濃姫を中心に据えて描くアプローチ。

1本の芯が通ったストーリーというよりはエピソードの羅列によって人物像を浮かび上がらる試みはアーロン・ソーキンが脚本を書いた『スティーブ・ジョブズ』を連想した。

もちろんただの羅列では終わっておらず構成の妙もある。
個人的に特に上手いと思ったのは、2人の距離が縮まったようで実は決定的に見えている景色が食い違う原因となった京の町に繰り出した先で盗賊まがいの貧しい村人と戦うことになるシークエンス。
あの場面は

  1. 京の町に繰り出して一緒に楽しい時間を過ごしている時は2人の距離は最も縮まっている。

  2. その後、濃姫は人を殺める恐怖を知ってしまい、また妊娠も重なって一つひとつの命の大切さを考えるようになる。

  3. 一方で信長は濃姫を助けるために多くの村人を殺したが、そこで止まることなく「人の心など捨てて」より一層多くの犠牲者を出しながら天下統一を目指す。

信長が濃姫を守ったにも関わらず、天下統一とそれに伴う犠牲に対する2人の考えが決定的に違ってしまったという皮肉。
中盤はその食い違いが修復不可能な形で露わになっていく。
だからこそ終盤にあの置物と楽器がキーアイテムとして出てくることで信長が魔王から人に戻った(京の町に濃姫と繰り出して楽しく観光していたあの頃に戻った)ことが表現されており、思わず唸ってしまった。

惜しいのは前半のコミカルな要素が

  • 大友監督がほとんどコメディを撮ってきていない。

  • 東映70周年のロゴが大仰に表示されて始まるので観客が硬い。

といった理由から劇場によっては上手くハマらないケースがあるだろうということ。
実際僕が観た上映回は明らかに「大作映画が始まるぞ…」という緊張感が客席に蔓延しており、残念ながら笑いはほとんど起きていなかった。

大友啓史監督の撮る画

先ほど「るろうに剣心シリーズのアクションの功績は谷垣健治によるところが大きい」と書いた。
では大友監督の功績は無いのか?といえばもちろんそんなことはない。
あのシリーズではアクションがスゴすぎて注目されるばかりあまり語られていなかった記憶があるが、美術も素晴らしかった。
このように大友監督作品の魅力は細部までこだわり抜かれた画面だと思う。

本作はファーストシークエンスから大量の桜の花びらが画面上を舞っている。
この「画面上を何かが舞っている」が非常に大友監督っぽくて脚本のコミカル要素とは別に笑いそうになってしまったw
もちろん何の準備もせずに桜吹雪が画面上に舞うわけはないので美術やVFXなどスタッフの仕事の賜物である。
これ以外にも炎や霧が画面上でゆらめくショットなど、レイヤーを重ねた画面設計(メインの俳優と観客の間に何かを挟む)に大友監督のこだわりを感じる。

今作でも美術は健在。
というか邦画トップクラスの予算規模なので「健在」どころかとんでもないスケールになっている。
ああいう劇中世界の広さを感じられる映像があると大きなスクリーンで映画を観て良かったと思わされます。

個人的に最も良かったのは感想ツイートにも書いたように信長がダークサイドに堕ちた中盤の照明と色彩設計。
木村拓哉の顔に正攻法で綺麗に照明が当たることなく、画面全体が暗いトーンで統一されていく。
美術や衣装も明るい色は極力排除。
赤やピンクの衣装が登場した前半からのギャップが凄まじく、キムタクの見事な演技も合わさってグッと引き込まれた。

あとこれは余談だが、本能寺の変の殺陣は「画面の左から右に向かっていく」という映画文法的にはオーソドックスな構図だったけど、敵のなぎ倒し方に『るろうに剣心』で斎藤一が必殺技として使っていた牙突の香りを感じるw

まぁ欠点としては、これも大友監督の悪癖っちゃ悪癖なのだが上映時間は長いw
前述の通り芯の通ったストーリーというよりエピソードの羅列形式なので途中ダレて退屈に感じる人もいるかもしれない。
3時間あるのでトイレ対策は万全に。

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