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自分史④ ロンドンウォーカーは働くこと山のごとし

廃墟が好きだ。
自分史の方での画像は昔から海外含め撮りためた廃墟ラインナップでお送りする。

廃墟にはパンクなガリガリが似合うのに腹だけが出てくる。
歳は取りたくないものです。

さて20代半ば、山浦青年はロンドンに行くのです。

ハードルが寄り道を作り、寄り道が経験値を上げる

ロンドンについた。
空港に迎えに来てくれた友達、グリムとにーやんは昔のバンド仲間。
(※めんどくさいので許可を得ずに名前を出す)

とりあえず、家を探す間は彼らが住んでいる部屋に泊めてもらう予定だった。いや、実際に泊めてもらったけど、狭いし、ベッド一つだしどう考えても長居は無理だ。

そのころ主流SNSの「mixi」ですぐに部屋を探した。
名前忘れたけど、カムデンの隣の町だったと思う。

今でいうシェアハウス。

ロンドンでは当時からごく普通だった。
金がもったいないから4畳くらいの部屋。寝るだけだから十分だ。

そう、当時イギリスポンドは覚えている限り260円。
たばこ一箱1500円を超えるレベルだったのでみんな手巻きたばこ吸っていて私もすぐに手巻きに変えた。


たしか日本から100万以上持っていったが、このポンド高は2秒で私の財布に危機感をもたらした。

ヤバイ、働かねば。

当たり前だが、物価が高いので賃金もそれなりにある。
ただ、まだ英語もおぼつかないので取り急ぎすぐに入れるローカルの日本食屋にアルバイトで入った。

基本的には揚げ物担当。

料理経験はないが、仕事にはすぐ馴染むタイプなので教わったことをそつなくこなしていった。

「天ぷらの人変わった?」

入って一か月もたたないのに常連からそんな声が上がり始めた。

言われたとおりにやってるだけなのに職人曰く、
「エビの伸ばし方が一味違う!」らしい。。。

よくわからんが喜ばれているならありがたい。
と思っていたら数か月でピカデリーサーカス、つまりロンドンど真ん中にある三越レストランに天ぷらの腕でスカウトされ、引き抜かれることになった。

時給も上がり、天ぷら揚げ物以外に何もしなくてよいことに。。
同じ留学生アルバイトからも仲良くなるまで日本から来た天ぷら職人としか思われてなかった。


このあたりで財政は落ち着いていたが日本食屋に喜ばれてる場合じゃない。

私は世界平和のために英語を学びに来たのだ!

夢を叶えるためのハードル② 臆病

もちろん語学学校にも通っていた。

最初に試験を受けて、クラスを振り分けられる。
スタートは下から2番目のクラスから。

もし、今後留学で英語を勉強したいというのならロンドンはお勧めしない。
別にロンドンのせいではないが、語学を学ぶのに日本人や日本語が多い環境はプラスにはならない。

恥をかくのが苦手でかっこつけの私はとにかく学校が嫌いだった。
もともと英語は得意ではなかったが、けして頭の悪い方ではなかったので 語学学校でもクラスの中では上位だった。

ただ、とにかく幼稚で馬鹿にされたような授業が気に食わない。
めんどくさいから誰にも話しかけてほしくない。

音楽をやっているグリムたちの影響も相まって革ジャン貴族。
破れたジーパンに革ジャンを着て、グラサンをかけて髪型は松田優作を意識したパーマ。

俺に関わるな と言わんばかりだった。
当然 学校には行かなくなっていった。


ただやっぱり私には夢がある。

何か資格を求めてロンドンに行ったわけじゃないが、少なくとも最低限の英語を学んで帰らないと価値がない。


どうしようかと悩んだが、学校に行くことより仕事で実践的に学んだ方が強制力と責任感が絡んで学べるはず。

ということで、勇気を出して電話した。
街角に張ってあった洗車場の洗いて募集。

アメリカ映画でよくあるようなローカルの若者がタンクトップで雑な仕事をしてビールを飲む みたいなのも悪くない。飲めないけど。

ただ、ローカル過ぎて英語の癖が強くて聞き取れない。。。
ビビッて電話を切ってしまった。。。


昔からそうだったが、とにかく臆病だった。
今も違う次元で臆病さは変わってないが、昔は守るものは何もないのにビビッてばっかりだった。

そうなるとまた始まるんだ。
臆病で努力できない自分が悪いのに考えてしまう。
「夢に向かって前進してないのではないか。。」


「いや、やれよ!」 である。


そんなときに素敵なおばちゃんから声がかかった。

願っても狙っても出会えない・パンクスやすこさん

グリムの友達で同志のやすこさんを紹介してもらった。

パンクスと言ってるのは、モヒカンより入れ墨よりはるかに生き方がパンクだからだ。詳細は割愛するが、異次元の経験をお持ちの方で勝手にカムデンパンクの母と思っている。

やすこさんは多幸堂というケータリングの仕事をしていて、イギリスで初めてオリエンタルフードをフェスで売り始めた人だ。

そう、野外フェスで食べ物を売る仕事、いわゆる「テキ屋」に誘ってもらったのだ。

一緒に仕事をするのはタイ人、オーストラリア人、イギリス人、キルギス人で日本人もちょっといたが接客もするからほとんどが英語なので都合もいい。

なにより、音楽好きなのでイギリス南西部を中心にアイルランドなど、ありとあらゆる野外フェスに無料でスタッフとして参加できるのは最高だった。

世界最大規模のグラストンベリーなどは狙ってもチケット買えないフェス。もちろん仕事はしてるのでずっとではないがライブが盛り上がれば客も減るので エプロンを放り投げてライブを見に行った。

覚えてるのはビョーク、ミューズ、イギーポップ、アークティックモンキーズ、なぜかストーンズのミックジャガー先輩も10mくらいの距離で見れた。

とにかくに楽しかった。

でも、ライブより明確に覚えていることが二つある。

客が少ない時に一緒に働いていたもんちゃんと調理器具を打楽器にしてリズムだけで盛り上がってたら、フェスの客が踊りだして盛りあがり過ぎて注意をうけたこと。

アイルオブワイト というフェスだったか。もんちゃんと前日準備をしている客の入っていないバカでかいステージの前に座って、こんなステージでライブしたいなー なんていいながらビール瓶で乾杯したこと。(もんちゃんは本当にそっち側にいってしまったけどね。)


仕事自体はハード極まりなかった。
一度出発したら1か月以上帰らないのはザラだった。学校行かずに夏は仕事しかしていなかったので現場のリーダーだったキルギス人のタランとはとにかく一緒に走り回った。

寝るのは 車か、テントで風呂やシャワーはもちろんない。

移動、設営、販売、片付け、移動を繰り返し、疲れすぎて1週間下血が止まらなかった時もある。

この仕事には2年間メインメンバーとしてかかわり、アイルランド遠征の時は車ごと海を渡り、運営や設営もすべてやりきった。

酔っ払いの相手から、クレーム処理まで今となっては英語全然覚えてないけど よくやってたもんだ。

ゲイフェスでは、おかま君にやたら色目で見られたり、筋肉もりもりのハードゲイカップルが抱き合ってたりとナイスパニックの連続だった。

ロンドン楽しかったなー。今も楽しいけど。


全然終わらん。

つづく

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登場人物(写真にはにーやん不在。。)
グリム→ 「Grimm Grimm」
https://youtu.be/LN90PyBs2aU

ニーやん→「umez」※最近もこの名前かわからない。。。
https://www.youtube.com/watch?v=4R7NcXRA__4 

もんちゃん→「bo ningen」Dr
https://www.youtube.com/watch?v=kD9oSbcNW-c


変態ばっかだ。


ありがとうございます。何かしら社会の役に立ったり、誰かの人生に影響するような記事を心がけていきます。 根が照れ屋なので 若干の不真面目は照れ隠しです。 ご承知おきを。