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くやしい&めんどくさい❤️

かんたさんが、毎日note書くという驚異の所業を成し遂げている。しかもどの投稿も面白く、ウィットに富んでいる。しかし彼のワークロードを知る身としては、どう考えても命を削って書いているとしか思えない。それを横目でみつつ「まぁ自分は文章の人じゃないから」と言い訳をし続けているわけだが、かんたさんの紡ぐ素晴らしい文字たちが日に日にエコーズのように僕の筆をさらに重く遅くさせてゆく。

くやしい。普通に奴の文章に嫉妬している。ということは僕もやはり本心では文章を書きたいのだなということに気づく。そして自分の人生の一番根っこには「くやしいとかめんどくさいと思ったらやる」というめんどくさい行動指針がある。これまでの人生、仕事も私生活もともかくそれでやってきた。ロクなものではないがロクになることもある。(宮崎駿さんも似たようなことをおっしゃっていたっぽいが、こっちも小学校くらいからそうやって生きてきているので断じてパクったわけではない。)

「くやしい」というのは「本当は自分がやりたかったけどできていない」から感じる感情なので、それを感じたら自分がそういったことをしたい人間なんだというわかりやすい気づきになる。例えば僕はスターウォーズを子供の頃に見て、「面白い!」じゃなくて「くやしい!」と思った。映像監督とかそんな職種の存在さえしらない頃である。こんな世界を作り上げられるって凄いし、めちゃくやしい、と思った。それが映像とか作れたらいいなと思った原初の体験で、もちろんそれ以降すっかりそんなこと忘れて、ボート漕いだりして十数年が過ぎるわけだけど、ともかく「くやしい」は良いシグナルなのだ。流行り(?)のFactfulnessにもあるように、人間ネガティブな感情の方が発現・認識しやすくできている。

そして「めんどくさい」という感情は、「本当はやらなくてはいけないけれど大変そうで嫌だなぁ」という状態で感じるものだと思っている。すなわちそれは「やった方がいい」ことなのだ。だから一つのバロメーターとして「めんどくさい」と思ったら条件反射的にすぐに取り掛かるようにしている。(できない時もあるし、結果が出るまで時間のかかることも当然あると言い訳をすることも忘れない)

そんな性格だから、作る(映像)作品も、結果めんどくさそうなもんばっかやってる人だよねと言われることとなる。アイデアを思いついて、それがめんどくさいと感じたら、結局それをつくらないと気が済まないのだ。思い返してもなんか確かにめんどくさそうな作品が多い。スカイプで世界中のファンを撮影して組み合わせてビデオを作ったり(画像はその時のコンテの一部)、カメラのストロボだけでリアルに光のアニメーションを作ったり、一年くらいかけてお弁当とか団扇とか湯のみとかをコマ撮りしたり。しかしこの「めんどくさい」作りというものは確実に作品をよくしてくれるので困る。やった分だけ血と汗と涙等いろんな体液のみならず魂が宿るので、結局今日も今日とてめんどくさい作品ばかりを作り続けることになる。もっと楽な制作スタイルというのもあるはずなのだが、もはやしょうがないと諦めている。

こう書くと、根底がネガティブ野郎のように聞こえるし実際そうなのですが、何が言いたいかというと、結局「くやしい&めんどくさい」と感じてしまったからにはいよいよもって文章を書くべきなんだなということである。(noteのエントリー投稿を入れなければ、三度めの正直。3という数字は面白くて、三日天下、三日見ぬ間の桜、石の上にも三年、仏の顔も三度まで、などなど日本では色々3なんですよね。なんでだろう。3 is a magic numberもいい曲だよね。)僕が文章を書くことが何かの糧になると信じて、ちゃんと自分が考えていることを文章に残すことにしようといよいよ思ったのでした。

あー、めんどくさい。

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