食堂酒場で祝杯を

一昨年の2021年10月12日、
在宅勤務で朝は仕事をしていたが、
夕方?に、
家でヨダレを垂らしながら倒れているところを救急車で幸いにも運ばれ、命拾いした。
(ヘルペス脳炎という病気だった。)

※家で倒れている自分を、
普段はその時間に帰ってこない、
たまたま早く帰ってきた妻が
大丈夫?救急車呼ぶ?と聞かれ
自分が大丈夫だから呼ばなくていいと言っているのに、
それを無視して救急車を呼んでくれた事で、
九死に一生を得たのはまぁ今回は置いておいて。

で、その意識不明になったその日から急遽
『急性期』の病院へ入院し、
命を繋ぐ為の点滴、アシクロビルなるものを打ち続けること丁度1ヶ月後、11月に
もう命に別状は無いっすね、次の段階行きましょう、となり、

『回復期』の病院へ転院し3ヶ月間リハビリテーションをした。
合計ピッタリ4ヶ月入院したのだが、

※一般的?にか、長期入院関係者、医療関係者以外?
あまり聞き慣れないこの、
「〜期」だが、
ググったりヤフッたりすれば一発だが、
入院して1ヶ月頃、
どこかで誰かの医療従事者の方が、
すれ違いざまや、病室のベッドに問診に来た際とかに、
「あ、急性期からの転院、11月なんですね〜」
「ここは回復期なんで、そういった治療はできないんですよね〜」とか、
なんか毎日院内のどこかのだれかが、
キュウセイキ、カイフクキ、と囁いたりしてるなーと、
日々横耳で聞いているうちに、
勝手にこの単語を耳で音から覚えて
この単語の意味をやっとあとから
知ろうとして、
看護婦さんや、療法士さんに聞いて、知った。

〜   〜   〜   〜   〜   〜   〜   〜   〜 
【解説】

「急性期(きゅうせいき)」
とは、症状が急に現れる時期、病気になり始めの時期をいう。
症状に応じて、
検査や処置が必要となり、手術を行うこともある。
これらの対応を24時間体制で行う病院が「急性期病院」と呼ばれ、急患や重症な病気に対する治療や手術を行っている。


「回復期(かいふくき)」
とは、容体が危機的な状態である急性期を乗り越えてからのことをいう。
回復期は身体の機能の回復を図る時期だが、
合併症のリスクはまだ残っているため、
しっかりとしたケアを受ける必要がある。
また、以前の生活に戻るための期間でもある。

〜   〜   〜   〜   〜   〜   〜   〜   〜  〜

その、自分の身体の状態が
「回復期」の時の

リハビリテーション病院

での入院3ヶ月の間で起きたことを今日はここで話します。(実際今は電車の中にいます。)

で、自分のヘルペス脳炎ように、
脳のなんらかの病気になった人は、
必然的にどのくらい脳がダメージを受けているか今後の人生でどのように生活をやっていけるかを、外から見て分からないため、
綿密に調べなければならない。
元々のように使えていた言葉等が使えるか、使えないか、
脳損傷によって、医者にもわからない、身体のどこの何かが悪くなっているかを調べる為にも、
様々な「リハビリ」をしなければならない為、

※その為に入院していると分かったのは
転院後1月半頃。

自分の意志「 0  ーゼロー」で
川の水の流れの如く
急性期から回復期の病院へ転院し、
そのまま気づいたら、

6:00 起床
7:00 朝食
9:00  1時間目:作業療法
10:30  2時間目:理学療法
12:00 (昼食)
13:30 3時間目:心理療法
15:00 4時間目:言語療法

18:00 夕食
※週2で風呂

21:00 消灯

というような、
高校生的生活様式が当たり前になっていた。
(回復期入院期間:2021/11/09〜2022/02/10 の3ヶ月間)

※(例)各患者にこういう時間割が毎日夕方に配られ、翌日このタイムテーブル通り動く。これは患者それぞれの身体に合わせたコマ割りなので、数百人?全員毎日違う。

その、18:00夕食を済ませ、
諸々おわったあと、
21:00消灯まで少し時間がある。

その少し空いた数時間に皆、

各々が思い思いの時間を過ごす事のできる、
院内の唯一のフリースペース、

「食堂」での出来事の話。

昼飯、夜飯はここで患者3〜40人?はコロナ禍でもラスト共に食べていた。

※食べる時に飲み込めずむせる、箸を持つ手が上げられない等、
食べる為に何かしらのお手伝い、見守りが必要な方が多い為、
それを看護の方々がすぐ対応出来るようにするための一斉に集まってする食事。

例えばそこには、車椅子で頭に包帯を巻いてある状態で、
毎日自身の子供達と電話をしながら、
「そんな計算、ママも子供の頃できなかったよ〜涙、すごいね涙」
と、電話の向こうの子供を褒めながら毎日泣く女性がいたり、
※自分もある一時、脳の影響で感情の抑制が利かない時期があり、誰と何を話しても、感動したり、悲しくて号泣する、
という期間(症状)があった。

また他の人の時間の過ごし方で、
ちょっと点滴付けたまま、Wi-Fi環境下なので
パソコンとか広げてバリバリ通常の自身の仕事をする人はしてもOKだったり、

さらに別の人では、
元々ラッパーで、
携帯から音楽を流し、
スキンヘッド頭に包帯を巻きながら毎日ラップの練習をする若者の病人がいたりした。

で、食堂自体の話だが、
そこは大きさで言うと
車椅子の方々も含め、
50〜60人は一度にご飯が食べれるくらいの広さなのだが、
院内の歩行訓練用通路の途中に位置しているのもあり、夕食後18:30頃からひたすら毎日消灯21:00まで、1週500mか1km?だったか、を歩き続ける、という患者もいたりするところなんだが、

そこで自分はというと、
後半2ヶ月半は、
土日祝日、年末年始、年越し、クリスマス、
自身の誕生日も含めた毎日週七で、


    「ヒライさん」

       と

    「リハコダック」

と消灯時間まで、
毎日毎日、
3人で語り明かしていた。

酒が飲めないから
水、炭酸、コーラ、コーヒー
で毎日「乾杯〜、お疲れ〜」
と始まり、
21時消灯なのだが、
5分〜10分くらい消灯時間を少しオーバーしてから病室に戻ったり、
消灯前の20:45くらいに少し年齢不詳の看護婦さんが僕ら3人のところに来て、
人差し指を口に縦にかざしながらヒソヒソと、
「…楽しいところごめんね💦 
もう近くの病室の患者さん寝てるので今日はもうこの辺で、、ヒソヒソ…」
と言われ、
「はーい、戻りまーす」と言い、

1人は歩行(自分)
2人は当時、車椅子(リハコダック、ヒライさん)
で、
それぞれの病室に戻り始め、
お休み〜また明日〜と
手を振って病室へ戻る日々を退院のその日まで、過ごしていた。

自分以外の彼ら(男性)2人は、
自分は脳炎から九死に一生を得たが、
その2人も別の病気で九死に一生を得た。
病名は伏せるが、


「壮絶」

「全員壮絶」 だ。 

一般的には。

※超簡単にざっくり2文字で伝えるバージョンと北野武監督が真っ直ぐにカメラの方を見て映画タイトルを伝える風に表現。

あと、
当時車椅子と書いたが
出会った頃2人は車椅子だったが、
退院する時は2人とも、
車椅子ではなく、自分の足で歩いていた。

自分はその2人の

壮絶 な日々の努力(リハビリ)を見ていた。
(主にただ、めちゃくちゃ、お喋りしていただけ)

それは昔
通っていた芸術系の学校でもない、
高校で出会った仲間や親友でもない、
バイト先や勤務先で知り合う仲間でもない、

たまたまほぼ死にかけたやつらが、
無作為に偶然に、
趣味も趣向も人生も年齢も職業も関係なしにいきなり
寝食をある日突然始めて、  
数ヶ月程寝食を共にし、
時期が来たら、
ぽつりぽつりと卒業(退院)する、
その関係性、出会い方はもう一生無いだろう、
うん、一生絶対無いとする。

僕らの共通項は
「死にかけた」だ。

でまず、ヒライさんは、
同じ病室、隣のベッドに1日だけなり、
マスクの向こうでにっこり挨拶をしてくれてるのがわかるところと、
なんかわからないがその日から急遽仲良くなり、
まず二人でその食堂へ行った。

少しして気付いた事として彼には左足がなく、車椅子だった。
そしてめちゃくちゃ高いブランド物の、
明らかにかっこいい黒のパーカー(20万円)を着て、黒縁眼鏡をして、
黒いニット帽をかぶっていた。
遠目に見ても、どうみてもおしゃれな患者だった。
その足の無いヒライさんの職業が「靴屋」だったと聞いた時ショックは隠せなかったが、
毎日話せば話すほど、
こんなことを言っていいのかわからなく、
申し訳ないが人間は足がなくとも、
心は伝えられるから、
こちらとしては途中から足がないのをほとんど忘れていた、もう入院後半は。
ただ日々会ってその日あった事をお互いにあーでもねーこーでもねーと言い合うのが自分の毎日の癒しだった。
彼の将来の夢の話は、叶ってから
書きたいと思う。
とても素晴らしく素敵な夢で、
個人的に叶えてくれたらめちゃくちゃ楽しい場所になりそうだ。

で、もう1人のリハコダックとは病室で同室になり、
勇気出して話しかけて、
食堂へ誘った。
別に誰かれ構わず誘って食堂に行くわけではないが、なんか詳細はよく覚えてはいないが
すれ違いざまに聞こえた彼の話方で笑うツボ的なのが同じに感じた事があったのと、
すれ違いざまによく挨拶をしてくれていた。
それが理由で声をかけたのかもしれないが、
彼の話も日々面白かった。

元々テレビ業界でバリバリ仕事を
「し過ぎて」いて、
若くしてそのせいかわからないが難病になったと聞いた。
で、その過去の話はとても興味深いものが多く、自分が死ぬまで憧れているであろう、
現時点で芸人会の王者とも同じ舞台で仕事をしていたり、
大好きなテレビ番組「〜ついていっていいですか。」的なの一般の出演者を探す為に街角に立っていたりとか。

芸能裏話的なのを
とても楽しく伝えてくれていた。
彼は3人の中で1番年下だったが、
なんか1番、話し方に長けていた。
そういう界隈にいたのもあるだろうが、
なんかセンス?があった、
年上の人間に強く物を言えるタイプで、
激しく静かに強い言葉で的確なツッコミを入れることの出来るタイプ、と勝手に解釈している。
(※リハコダックのあだ名由来は、別で既にコダックという同じ名前の友達がいるので、混同しないように
リハビリ-コダック→ リハコダック。)

その2人と毎日毎日その
「食堂酒場」で
週7で3人でゲラゲラ、
ときにヒソヒソ、真面目な話をする日もあったり、毎日「飲み会」をした。
お茶やコーヒー、炭酸水で。
その時間が楽しみになっていることに気づくのは時間の問題で、
また、出会いのきっかけがもう普通ではなかなか聞けない大病の治療話だったからだと思うが
途中から気づいたが、
お互い何でも話せる状態がベースにあった。

今後の人生、どういう仕事に復帰するか、
病前の仕事出来るのかとか、
好きな女性のタイプの話、家族の話、
俺は実際まじで興味無いから行かない風俗の話
将来の夢の話。

もっかい言うけど、
毎日飲み会をした。

だが本来喜ばしい事なのだが、
寂しいかな
それはやってくる。

「退院」という名の

別れ の日だ。

仲間の退院日が決まると
複雑な気持ちだった。
本当に我が事のように嬉しい気持ちの反面、
この辛酸をめちゃくちゃベロベロに舐め合った仲間との別れは、
寂しさもあるが、
半年離れた日常への不安や恐怖や期待、
それらが一気に自分に近づいてる感じはあった。

まずリハコダックが、
2021/12/24に退院した。
彼は病院側との話し合いで、
少し退院を早めて現実社会へ。

ヒライさんと2人、
おめでとう!
退院してから頑張ってな!と
見送った。

ヒライさんは今日から終わりの見えない退院まで、3人だったのが俺と2人きりかと思っていたかもしれないが
その日からもやはり、
食堂飲みは楽しかった。
※退院日はリハビリ病院ではわからない、知らされない。
永遠にここにいるのかもしれないと思うほど。
突然その日が来るわけではないが、
自分は主治医との話で12月末時点で、
2月の辺で退院に上手い事持って行こうねっていう感じだった。

そしてヒライさんとの別れは見送る側ではなく、
見送られる側だった。
ただ6日間違い。
退院の日まで、不安を払拭するだけではなく
結果毎日ゲラゲラ、あーでもないこーでもないと、
経験したことの無い大学のサークル仲間みたいだった、
俺の退院日が決まり、
寂しい寂しいと言うヒライさん。

2022年2月10日
退院して別れる時、
2人とも泣いた。(脳の影響ではなく)

そしてあれから1年半、
今は3人とも、
見事、通常の社会復帰をしている。
映像制作と靴屋と事務職。

その3人で今度また赤羽で飲むんだよ。
だから食堂酒場を思い出したって話でした。

会える来月が楽しみだ。

2023/09/18


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