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エッセイ/Coffee Broken

早起きして、声の多様性について、長ったらしい論考を書いたけど、下書きに寝かせる。文体が気に食わない。
仕事のメールを整理しながら、昨日書いた短篇について考えていた。どう転んでも死ぬという先行き、身も蓋もないのだ。身も蓋もないものは清潔だが、認識と叙述における清潔とは、観念 notion にすぎない。Memento mori などは実に下らないことで、これは言ったら怒られるんだろうな、それでも言うが、入院先の神経内科、という名の養老院で、意識も記憶も彼方に翔んだ人たちが、リハビリに「励んで」いるのを見るのが、とにかくあまりに厭で、私は在宅治療を選択したわけだ。もちろん、それだけじゃないけど。Non memento mori.
しかし、ことばは嘘をつく。私が嘘つきだと罵られるのは甘受するが、どうも私ではない気がする。つまり、ことばにはかたる本性があるので、騙ることばをめるのに、世の人は、かくも疲れきっているのではないか。実際、からまでの文章は、嘘なのだ。嘘、いや正確には、書きたいし書かなければならないことではない、たとえば幼稚園の玄関前でのご挨拶のような、そういうもの、それを、放っておけば無限に産生する、そして、それがなぜなのかは分からない。制御する、整える、こらっ、よしよし、まて、と、園児たちのドリブルのような、まったくことばに翻弄されている。やってられない、珈琲を飲む。

だばだー☕

冒頭、声の話に戻る。文字で綴られたことばは、「声質」quality と「声色」tone と「声量」volume を骨抜きにされた。それは単に、乳幼児期に習得する音声言語と、学童期以降に学習する文字言語との差である、という以上の意味を持つ。この差は、書く上での極めて重要な特性を含んでいる。だが仮に、無骨で無粋な文字言語が、流麗で端正な音声言語の後追いをしたところで、それは所詮、無残な後追い、本家の劣化版にすぎない。たとえば、ここでは無理だが Word か何かで、「声質」はフォントの種類で、「声色」はフォントの色で、「声量」はフォントのサイズで表現しましょう、など、そのような見るに堪えないものを書くならば、いっそヴォイス・メッセージで構わないのだ。かつて、英語というものを教えていたことがあり、あの拭い去れない後ろめたさ、卑屈さ、いかに語彙と文法と受験技術の指導に秀でても、『私たちのものではない』異物を偉そうに教える、お弁当を掌の壁で隠しながら食べるような心情は、ちょうど、物を書く者が本質的に・・・・抱えて、容易に拭えないあの気持ちに、よく似ている。だからこそ、書く者は、憑かれたように書きつづけるのだろうが、それはひょっとしたら、1年生の計算ドリルを何百回も解き直して、東大受験に臨むような、いやそもそも、よい書き物への壁は、東大の比ではないのだ。傾向、と、対策。

だばだー だばだー だー☕☕

榊の坊ちゃんが大学生のみぎり、いくつかの劇団に誘われた。坊ちゃん(以下「私」)は私生活に多忙を極めており、ラグビー部や剣道部の勧誘を断る流れで、断りを入れた。進学塾の講師は、劇団員のようなものだと、そして私はとにかく、金が欲しかった。世田谷やら自由が丘やらのご実家からお通いの同級生は、生きているだけで、垢抜けていた。調布の線路沿いのきったないくせに月6万のアパートから通う私は、生きているだけで、垢染みていた。時給だけは、だれにでも平等に開かれていた。引越しもたけなわになれば、要る物も要らない物もどうでもよくなり(荷造りハイと呼んでいる)、実に気前よく、物を捨てはじめる。ちょうどそのように、Tokyo! に困憊した私は、バファリンの常習的なODに乗じ、単位と、学籍と、ついでに劇団なるものへの心のこりを、気前よく棄てた。コンマリも、やました某も、なあに大したことはないのだ。

だば☕☕☕

私の知るかぎり、とびぬけて vocal な文章を書く現代の文章家は、井上ひさしと筒井康隆である。Vocal というこなれ・・・ない形容は、『上ので記した、声から文字への過程で骨抜きにされた要素について、おそらく極めて意識的であった』くらいの意図である。この二人が、もし、放送作家と俳優としてのそれぞれの実体験から、あの独自の vocal な文体を獲得したとすれば、たとえ単位と学籍はゴミ箱にくれてやろうとも、やはり劇だン……という後悔が湧いてくるのだ。だが、同時に、教だンのうえで声を研究し、実験しつづけたあの二十年間が、私自身の vocalization のために与えてくれる示唆は、けっして少なくないのかもしれない、とも思うことにする。

だばだばだー☕☕☕☕

☆本日のまとめ☆⟵板書

  1. ことばは、それ自体が嘘つきかもしれないです

  2. 書きことばが骨抜きにされたものは、一考の余地があります

  3. バファリンのODは、けっこう危険なのでやめましょう

  4. Vocal である書きことばの意識と追求は、人間性の復権、創造に寄与しうるかもしれません

  5. コーヒーは1日3杯まで!

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