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Robertのプロセス

2019.9.12 長いことオンラインでRobertの事を学んできたグループのメンバーと共に、Robetのプロセスの一つを体験しました。


トリガーとなった出来事は、ここのところ、心に引っかかっていたこと。

心の中に、受け入れたくない抵抗があることに気づきます。「平気なふりをしたいし、一枚うわてなふりをしたい。」

ぐっと深く内側を見ていくと・・・思考が動いている。

「NVCやってるんだから、これぐらい軽く共感で溶かせるさ」とか。

深くプロセスを進めていくと、不意に浮かんできたのが幼少期の思い出です。


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砂場でひとりぼっちだったこと。

友達とうまく遊べなかったこと。

足が遅く動きが鈍く、子どもの集団から一人置いていかれたこと。

とても大きな、大きな悲しみと絶望がありました。

「お友達と、本当に心から仲良くしたい。でも、私にはできない。それは仕方がない事なんだ。私は一人になる運命なのだから。」

ただただ、その事と、その幼い私の傍にいました。

痛みが大きすぎて、私の命のねがいを聴くスペースはありません。


事実として最近の出来事がトリガーしています。

しかし、「平気なふり」をしたり、悲しかったり痛かったりしたのは別のことから起きていたのです。

ずっと昔に自分に起きていた大きな悲しみ・痛み。

「痛すぎて、どんなエネルギーともつながれないよ!!」

と逡巡することしばし。。。。

「理屈でプロセスは進められるかもしれないけど、体が拒絶している。」

悲しい、苦しい・・・・ 

一方で思考は「セカイハ アイ ダカラ ダイジョウブ ト カンガエナサイ」と強引に促していきます。

「ちょっと待ってくれよ、思考で切り刻んだって意味ないだろ。同じことが繰り返し起きるだけなんだよ!!」

ループにハマり、思考がスタックする。

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「このプロセスをペアのパートナーが、ずっと見守っていてくれる。」

ふと、そんな考えがよぎりました。


すると・・・・

突如として天啓が。

「私は、生まれてからこれまでの間、一度として、一人であったことはない。一瞬たりとも、一人であったことなどない」


この先の体験と、起きたことを、どのように言葉にしていいのか・・・

私にはその術がありません。

それは、理屈でも思考でもないのです。

ただただ、気づきがあるだけでした。

愛と繋がりで満ちている。

このプロセスができたこと、共に過ごす仲間がいること、ペアパートナーが見守ってくれたこと。

慈愛の質感と共に感謝を。

心からの感謝を。


頂いたサポートは、学びを広げていくための活動資金として活用させていただきます。ありがとうございます!