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週間レビュー(2022-2-20)_評価のベクトル

唐突に感じて、考えて、次の日には忘れて、希釈した記憶で蘇るみたいな事が嫌で毎週わざわざ文字に起こしているのに、少し慌ただしいと習慣を崩してしまうのは悪い癖だと思う。3週間越しに書く。空白化した3週間はまた違う形でまとめようと思う。色々あった。

週の雑感と感想

1.評価のベクトル

価値はあるのかもしれないけど、正直自分にとっては嬉しくない評価が増えているような気がしている。(もちろんその事実は感謝するべきことであるのは前提だけれども)そこを見てほしい訳ではなくて、未開拓な可能性やを見てほしいと願うのだけど、嬉しくない評価というのはどうにも毛嫌いするほどのものでは無い。だから、その評価のぬるま湯に浸かる事に慣れ始めている様で怖い。
ぬるま湯を出て行く勇気が欲しいと思うこともある。そして、本気でやりたい事なのであれば折り合いをつけてる場合ではないはずなのはわかっている。だからまだ折り合いを探してしまっているのだと思う。やはり自分のバックグラウンド的にも生存本能を優先してしまう今の自分のマインドが今更になって憎い。必要なのは経験値ではない何かなのだと思う。だからお金なんてできるだけない方がいいのかもしれない。どうにかしたい。

2.自分は構築される物を理解していないと不安だから建築をやるのかもしれないこと

前述のことに関連するけれど、なぜ自分は建築をやろうとするのだろうと自分を再確認した時に、極めて保身的な態度から来ているのかもしれないということに気がつく。
もちろん野心的な態度としての建築があり、能動的に愛しているものとしての建築がある。しかしその根本には保身的な個人の態度がある。

恐怖みたいなものとして「わからない環境」に浮遊するように存在し続けることがある。なぜ自分はこの場所にいるのかという問いに対してアンサーできない状況が怖い。だからその場所を自分で作りたいと願うのだろうし理解したいと感じる。多くの場合その場所の構築のされ方というのは自分の頭で理解できるものとできないものがある。理解できるものに興味は薄れて、できないものに対しては尋常ではないほどの好奇心が働き、それは自分の活動としての原動力になっている。

ガンディーの「世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」という言葉があるが、まさにこの感覚であり、混沌としたものや自分にはよく解らないものの中で自分がただ浮かぶことや流され続けることが気に食わないし、それによって自分が変えられた瞬間というのを毛嫌いしている。

ノーベル物理学賞を受賞したリチャード・P・ファインマンの「What I cannot create, I do not understand.」という言葉もそうだ。理解できないもの、構築手法を知らないものを単純に使用価値として用いることに忌避感を持っている。

その面では建築は非常に構築することに対して、包括的であるという点でとても保身的な存在だ。そもそも個人を保身する、生存するために建築は生まれてきた。純粋な表現が先行しているわけではない。過酷な環境で人が生きるための場所を構築しようとした知性の結果である。

つまり、自分にとっての建築は形を生み出したいという表現的な意志というよりかは、自身が存在したいと思える環境を構築すること、同時に空間自体の成り立ちを理解していることが建築に対しての意志なのかもしれない。
だからあくまで不安や違和感の上に自分の表現があるのが自分なのだろうと思う。

3.若者のアイデアを盗む人たち

多くの大人は自由で破壊的な発想を若者に求めるけれど、意外と若者は安直でトレースしたような発想を是としてる。この差分の理由が気になっている。だいたいイノベーションとか、クリエイティブにとか最新のテックとかを突然歌い出した企業は業界的にも硬直しているし、内側の人間の頭も硬直しきっている。まずもって若者にアイデアを求めることが間違っている。自分たちの頭を硬いと決めつけ、アイデアを盗み触発を受けようとする姿勢が気に食わない。

だから、そういう大人には安直で想定内のトレースを提示し続ければいい。徹底的に困らせたらいい。どんなに大金を積まれたり、偉い人からの評価をもらおうと本当のアイデアを渡してはいけない。アイデアを彼らに手渡すことは企業価値につながるかもしれないが、その分アイデアやクリエイティブの価値は薄まり続けた社会になってしまう。若者のアイデアを使いたいのであれば、アイデアに対して対等に向き合う姿勢が必要である。

それまで我々は、信頼できる人間を除いて、それっぽい安直でトレース可能なものを提示し続けて正解だ。

読んだ本・観たもの

東京都現代美術館、''ユージーン・スタジオ 新しい海''

酷評されてる?ようだけど、個人的にはとても良かった。
「少し想像することができれば、もう少しだけ前に進むかもしれない」は間違いないと思うと同時に、来ている観客の多くは写真に収めることにマインドが先行していて、それは想像することへの諦めではと感じる。作品に力が足りないのか、見る方の問題なのか、難しい。
わからないから写真に撮るという行為は最も安価で安直な記憶装置だ。クラウドに保存しても、死んだ時に思い出す記憶や裸の力にはならない。

東京工芸大学芸術学部 卒業制作展

グラフィックデザインの作品がダントツに良かった。空間デザインや映像系は微妙だった。(設計系はこれでいいのか…と思うものが多かった)
こう思ったのは自分が普段見ていないものがグラフィックデザインだからもしれないが。やはり個展のような誰かの作家性に焦点を当てたものは受け身にならざるを得ないが、今回のようなどんな人がどんな気持ちで書こうとしたのかを能動的にのめり込める形だと解釈をしようと頭を使うから楽しい。

NTTインターコミュニケーション・センター
多層世界の歩き方

展示はとても良かった。ただし展示におけるARナビゲーションは微妙だった。展覧会のUXを著しく下げていた。

臼井達也《amazon basics 83,799》2021年

臼井達也《amazon basics 83,799》
美しさの基準も、感性的な者への評価も私たちは既に死んでしまった状態で消費活動を続けているのかもしれないと感じた。
近代化以降産業物の多くはデザインされ、できる限りのコストを抑えられ、マテリアルは統一されたものの中で生活を営んでいる。ふとカフェに座る隣の人をみると同じものを使用している。それに対して違和感を感じることのできない狂気な現実。
本作品は彫刻的にも興味を惹かれる形をしている。しかしその多くはデザインされた産物であり、自分の興味を惹かれること自体が感性が歪んだ証拠なのだ。その事実をまじまじと見せつけられた感覚を持った。
原研哉のデザインのデザインでも同じようなことを言っていたような。

ホズニ・アウジ《Airplane Mode》2020年
単なるフライト・シミュレーター・ゲームとみたらそうなのだけど、デジタルレイヤー、フィジカルレイヤーにおける移動とは何かを考えさせられる作品だった。
アドルフ=ロースの「装飾と犯罪」で「イギリス人は馬車を使ったゆったりとした移動を愛し、景色を眺める。そこに豊かさを持つ感性を持っている。」みたいな一説を思い出した。
私たちはより早くより時間を短縮し、可処分時間を短縮するためのテクノロジーを求め、生産性を上げようとしてきたわけだが、そこには忘れ去られた豊かさがあるのかもしれない。
フィジカルレイヤーでは短縮を是としてきたが、逆に物理距離という概念を有しないデジタルレイヤーで私たちは移動するという概念を欲するのかもしれない。果たしてこれから移動とはどんなものになるのだろうか?少なくとも「移動はより早くより時間を短縮すること」では無くなるのではないだろうか?

セマーン・ペトラ「Monomyth: gaiden」2018–2020年
今回の展覧会で最も印象的な作品だった。前編は作家のWebでも公開されていた。まだ解釈しきれていないのでちゃんと全てをもう一度見たいが、物理的な存在としての意志や魂のようなもの崇高性について。例えば「髪を染めたい」「ピアスを開けたい」「こんなことに挑戦したい」という自主的な感覚の重要性である。これを非物理的で編集しなければ変わることのないキャラクターの生活を通して確認した。
分人化とは何かの議論になると思うけれど、分人と生活を共にする社会に近づくことは間違いがない。この作品では問題提起が中心だけれどどうしたら分人とともに豊かに暮らせるのだろうと考える。

最近、Vtuberの炎上を見ていると、リアルでの色恋沙汰が分人化した存在とどうしても紐づかざるをえなくて、「分人化した存在」として独立したアイデンティティと人間側は認識し理解しきれないのかと思って面白いと感じる。
結局、表層的な装いに対して愛を感じてるのではなくて、内側の形のない人格と人間が結びついていて、その人格の形がなんらかの力で歪むと炎上するのか。リアルでの関係とバーチャルでの関係が錯綜するとそうなるのか?
確固とした境界が必要なのか、受け手サイドの理解が変わる必要があるのかもしれないと思っている。

NTTインターコミュニケーション・センター
オープン・スペース 2021 ニュー・フラットランド
(行った。またどこかの時間で編集して記載する)

チェコセンター東京
LOOS AND PILSEN アドルフ・ロース展 プルゼニュ市のインテリア
(行った。またどこかの時間で編集して記載する)

石巻+松島
(出張で訪れた。またどこかの時間で編集して記載する)

ダイバーシティーとサウナ
(書いておきたいことがある。またどこかの時間で編集して記載する)

レムコールハウス
(書いておきたいことがある。またどこかの時間で編集して記載する)

「ポストバブルの建築家展 -かたちが語るとき- アジール・フロッタン復活プロジェクト」
(行った。またどこかの時間で編集して記載する)

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