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君の名だけ

保育園のとき、入園してすぐに転入してきた男の子がいた。私はその子とよく遊んでいたらしい。しばらくして、その子は引っ越してしまった。
だから、入園式の写真にも、卒園式の写真にも写っていない。一枚くらいありそうなものなのに、遠足、お芋掘り、運動会、どれにもその子は写っていない。
その子が引っ越しするときに、先生がみんなに配ったお別れのタオルを大事にしていたけれど、そのうちボロボロになってしまった。
私がゴミ箱に捨てたタオルをわざわざ母は拾い出した。
「これ、ほんまに捨てていいの?」
「うん、もうボロボロやし」
母はじっとタオルを眺めた。
「そうやな、大事によく使ったもんな、もういいな」
あの子は私が好きで、私もたぶんあの子が好きだった。
あの子の名前をずっと覚えている。漢字はわからない。名前の響きだけ。
名前しか覚えていないような記憶が大切なのかどうかわからないけれど、忘れていないということは何か理由があるのだと思う。
本当にどうでもいいことなら、人は簡単に忘れてしまう。忘れたくても忘れられないこともあるし、人っていうのは、よっぽどちぐはぐに出来てるんだなと思う。
平仮名7つぶんの記憶の理由もわからないまま、私は今日も秋の風に吹かれている。

#エッセイ #記憶 #理由 #君の名

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