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流れ着いた場所

梅雨らしい細かい雨の降る日。
何ということもない一日。
天気予報も見ずに自転車で図書館に行ったら、雨が当たりだして、あぁ、そっか梅雨だもんなとぼんやり思いながら、紫陽花や名前を知らない白い花を眺める。家の前まで帰ってきたら、山で草を食む鹿と目が合う。
今住んでいる場所が嫌いではない。細い路地もいいし、神社も好きだし、紅茶とスコーンの美味しい店もある。
紅葉も木漏れ日も、すごく綺麗だ。
でも、ずっと住みたいかというと、答えはノーになる。
流れ着いた場所がそこだった、というような感じでわたしはここに住んでいる。別にそれが悪いこととも思わないし、それはそれでアリである。
でも、15年ここに住んで、まだ馴染んでいないよなぁという気持ちは消えない。でもそれはたぶん、わたしの側の問題で、どこに住んだってわたしはそう思い続けるのかもしれない。
この前、ある人に「山に住みたいなぁ」と打ち明けてみた。
「山ねぇ、冬がねぇ」
とその人は言った。
「そうなんですよ、冬。雪」
妹の住む山はかなりの積雪量である。わたしだって雪に慣れていないわけじゃないけれど、あの量は経験がない。
体力もお金も必要である、たぶん。
「でも、住んでみたいんですよ。ずっとじゃなくてもいいんで」
「週末だけとか、そんなんならいけるんじゃないの」
どうやったら住めるかを話しているだけでなんだか楽しかった。
ナチュラルクリーニングをしているから、川は汚さずに済むなぁと思いながら、そんな日が来るだろうかと考えてみる。
妹の山、また遊びに行きたいなぁ、栃餅を作るのが上手な人がいて教えてもらいたいなと思ったりしている。植物のことももっと知りたい。
自分がいつパンクするだろう、パンクしたらどうなるだろうなとふと考えたりする。
いいことではないと思うけれど、パンクする自分はちょっと愉快でもある。
もちろん愉快なことにはならないのはわかっているけども。

時間差で目が痛くなってきた。玉ねぎ、4つ切ったから。

#エッセイ #山 #場所 #住む  


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