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人生経験は顔に出るのか1

人生経験は顔に出るのか、について思うところを述べます。

正直に言えば出る

正直に言えば出ます。

けれども、それがルッキズムにならないように、偏見にならないように、差別にならないように、心懸けています。

幼い顔と若い顔の区別は、つきにくいものですが、一方で、つきやすくもある。
何を言っているのか私にもよくわかっていませんが、率直な表現としてそうなります。

幼い顔の人間にはテイカーが多いので、疲弊してしまうことが多く、要注意人物です。
いつの間にか皺寄せが来てしまう。本当に。

老いた少年みたいなやつは、本当にクソジジイの典型みたいな人災が多いので、早めの避難が賢明であると思います。

一方でいつまでも若い顔もある。
若い顔の人間は、常に元気で、病気知らずで健康という傾向があり、人災でない傾向もあります。

ただ、老いた少年みたいな人災も無駄に元気なんですよね。

幼い顔と若い顔を見分ける、私なりの方法を少しだけ述べていきます。

諺や格言が多い

まず思い浮かぶのは、諺や格言を濫用してくるか否か。

下手の考え休むに似たり、あたりを多用してくる人災は、まず幼い顔であると思います。
自分の考えをごり押しするために諺に頼るのは、老害の責任回避や、パワハラの正当化でしかないからです。

俺は言っていない、昔の人が言ったことだ、などとほざくために、諺や格言を引っ張り出してきたと見るべきでしょうね。

往復がない

次に思い浮かぶのは、往復がない。
主張Aがあり、反応Bがあって、主張Aダッシュがある。これが通常です。

幼い顔の人間に最も典型的に見られた言葉は、「それはそうなんだけど、でもA。」です。

それはそうなんだ、と思うならば、Aという主張に何らかのプラスアルファを加えたAダッシュを主張するはずです。
にもかかわらず、Aという主張を繰り返すのは、その主張が練り上げられていないものであるからだと言わざるを得ません。

「それはこういう理由で違うからA」を言えないから、「それはそうなんだけど、でもA」となるのです。

虎の威を借る狐である

論理が練り上げられていない稚拙な主張Aである場合とは別に、主張Aを繰り返す人災もいます。
虎の威を借る狐の場合です。

虎の威を借る狐の場合には、虎が言ったことから応用して述べることができません。
虎がAを言った、言ったのだ、のみです。

わかった。どけ。虎と話す。

こう返すと「お忙しい方だから、どかない。」としか返ってきません。本当に。
嘘だったらどれだけいいかと思います。お近くの狐に試してみてはどうでしょうか。

まとめ

どうやら私が心の底から嫌うアイヒマンみたいな中間管理職に幼い顔が多いようですね。

令和は、元会社員の老人たちが、好き勝手に想像で「普通の企業の普通の社長」とやらを虎の威とするので、本当にシンドイ時代だと思います。

経営者は、過労自殺をつくりだす死神扱いされていて、陰口を叩かれていることにもっと怒るべきだと思います。
例え話でなく本当に、死神が鎌を振るうように、被雇用者を過労自殺させている経営者は一秒でも早く廃業するべきだとも思いますね。

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