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虎の威を借る狐3

虎の威を借る狐の話をもう少しします。
今回は、狐が我々をどう見ているかについて。

狐は我々をどう見るか

狐は、徹底的忖度主義に立ち、追従を絶対視しているため、自分で自分を経営する我々とは文化が違います。
異文化コミュニケーションができる狐はいないという意味で、異文化の人間より厄介です。
話が通じない、なんかこう狐、としか言いようのない、訳の分からなさが狐にはあります。
一方で狐の側は我々をどう見るか。
山羊(ヤギ)ですよ。

山羊

我々は山羊として見られている。
狐にとってのスケープゴートとして。
「何々とかが言っていそうなことだね。」
と言い易い山羊として見られています。
狐の側からはね。

忖度、追従、従属を絶対とする組織の構成員からすれば、自分で自分を経営するなんていう発想、概念は、異端です。
狐どもが異端審問のようにごちゃごちゃと抜かすのは、異端審問する側に立たないといけない、という危機感の表れです。
そうしないと正統であること、本流であることを実感できないから、愚行にばかりいくのです。
異端審問という愚行に。
狐どもの自己肯定感の無さがそうさせるのです。
自己肯定感を一定程度は保ち、自分で自分を経営する人間を異端者とするのは、狐どもにとっては楽なのです。

責任を問い、責任から逃れるために、最も効率が良いのが、特定の誰か、スケープゴートが言っていることにすること。
ゆえに、狐は我々をスケープゴートにする。

「何々とかが言っていそう。」
「何々あたりが言っていそう。」
これは二重に三重に卑劣な狐の手口です。
「何々が言っていた。」にすると、本人に確認を取られた瞬間に瓦解するので、誤魔化しを挟む。
スケープゴートが言っていそうという誤魔化し。
「とか」や「あたり」という誤魔化し。
「言っていた」ではなく「言っていそう」という誤魔化し。

「何々が言っていた(ことにしておくか)。」
という直球の極悪人も極稀にはいますが、大体は卑劣な狐です。誤魔化しという変化球を駆使する小悪党です。

これ、狐同士の間では有効なんです。
「何々とかが言っていそう。」という言葉を受け取って、殴り込みならぬ怒鳴り込みに来る、ゴリ押しギツネがいますから。
「何々が言っていたと聞いたぞ。」と変換して。
「どういうことか。」という疑問の体裁で断罪をやりに。

それ、誰から聞きましたか。
そこを明かさないゴリ押しギツネが、たまに出てくるんですよ。
狐のイメージダウンにならないように、明かそうとしません。
けれどもゴリ押しギツネは正義感で来ているんで譲りません。

話すだけマイナスです。
プラスは一切生じ得ません。
ゼロになることも絶対にありません。
マイナス以外の何もかも一切無いのです。

狐とゴリ押しギツネ、両方とも人災です。
人災からは避難一択あるのみです。

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