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読書ノート『壁とともに生きる』ー わたしと「安部公房」 第一章「自由」の壁ー『砂の女』

この本はヤマザキマリが安倍公房の作品に対する思い入れ、解釈を集めたものだ。今回の読書ノートでは先日、僕が読んだ『砂の女』を取り上げる。

この章『「自由の壁」ー砂の女』では、安部公房の長編『砂の女』で語られる自由、アイデンティティをヤマザキマリの視点から語っている。

この『砂の女』には、明確に「壁」という単語は使われていない。

しかし、村の存続の為、無理矢理閉じ込められた男はまさに村の外の社会と壁で隔てられたと考えることができると思う。


話は、変わるがヤマザキマリさんが安部公房に出会ったのは十代のころ、留学先のイタリアで生活が本当に苦しく、先が見えない時に現地の友人から紹介されたのだそうだ。

ヤマザキマリは、『砂の女』という作品から、人が何者であるかを追い求める脆さや、人が社会で生きていく上での壁の存在から、人はなぜ、アイデンティティを追い求め、解放と自由を求めるのか、その問いを表現している、と読み取っている。

この経緯が面白い。僕は、安部公房の作品はどれもわかりやすい救いを描いているようなものではないと感じるからだ。
不条理な世の中をありえない設定ながらもユーモアを持って描く、そんな世界観だと思ってる。
ヤマザキマリさんの書評を読むと『砂の女』に自分の持つ、体験、経験を通じ合わせているのがわかる。
僕は、『砂の女』を読んていて、が見えない状況にあっても生き続けることをやめない、それでもあがき続ける内に自分が本当は何がしたいのか、わからなくなっているのではないかと感じた。 
選択する自由、主体性を考えさせられる内容だった。
一度、安部公房作品を読んでから、書評を読むのは面白い。


この前、長編『砂の女』をテーマにした鳥羽先生と演出家ビーターゲスナーさんが互いにスピーチを語り合う、3月読む安部公房の第4回読書会に参加した。
読書会は楽しく、安部公房を研究する学者さんの視点と演出家で舞台芸術として安部公房を扱う二人の話は、聞いていて飽きなかった。共通点や違いが面白い。

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