そういえば小2の時点で社会に馴染めてなかった

僕は小2の夏に転校をするまで、
クラスメイトは5人、全校生徒35人くらいの小さな学校に通っていた。

僕は、子どもながらに、
子どもの社会へと上手く馴染めなかった感覚があった。

覚えていることがいくつかある。

小2のころ。
クラスメイトは5人のうち女子は一人だけだった。
その女子が、忘れたけど何かの賞をもらったかなんかで、
授業中に、先生から褒められたことがあった。

それに対し、クラスが盛り上がり、
女の子に対して口々に声をかけていった。

「さすが◯◯ちゃん!」
「よっ、大統領!」

すかさず僕も次のように囃し立てた。
「〇〇小の悪魔!」

その瞬間、盛り上がりはぴたりと止み、
女の子は泣き出していた。
僕は先生から何故あのようなことを言ったのかと怒られた。

僕は、悪口を言うつもりはなかった。
その女の子は男まさりな性格で腕っぷしも強く、その苛烈さに男子からは恐れられることも多かった。
だから僕は、そういう強さと言うか畏怖を込めて、ヒール役のレスラーへ叫ぶかのように、「悪魔」と言ってしまったのだ。

周囲の盛り上がりでテンションが上がったのか、言葉のチョイスをミスってしまった。
僕は悪口を言うつもりはなかった。
だけど結果的に僕は、クラスメイトの栄光をいきなり大声で罵倒するヤバいやつになっていた。

まだ覚えていることがある。
小2の終業式の日、明日からは休みだとみんなテンションが上がって盛り上がっていた。

はしゃいだクラスメイトたちとじゃれあい、
なんの流れか、クラスメイトが僕にふざけて一本背負いを仕掛けてきた。
当然、小2の筋力では投げられないから、しかけてきた相手の背中で僕の腕が伸ばされる程度のことだ。
こういうじゃれあいは学校で流行っていたし、いじめというレベルではなかった。

なのに、僕は痛くもないのに何故か号泣してしまった。

しかけてきた相手も、周りで盛り上がっていたクラスメイトも、「え…?」みたいな感じになっていた。
当然だ。さっきまであんなにみんなで盛り上がっていて、一本背負いのノリもありふれていたことで、別に痛いことはしていないのに、なんで急に泣きだした??と困惑していた。

僕の泣き声を聞きつけた先生が教室にやってきて、
僕以外のクラスメイトは何をしたんだと怒られていた。

泣いている僕を庇って怒り続ける先生、
納得のいかない様子のクラスメイト。
僕は違うんです、なんかよくわからないのに泣いちゃったんです、と言えず、
そのまま泣き続けてしまった。

あの時のクラスメイトは僕のことを、
絡みづらい地雷のような奴だなと思っただろう。
僕はそれになんの弁解もできない。

またある時は、僕が被害者になることもあった。
当時学校では、ジェスチャーというかハンドサインというか、そういうイジリが流行っていた。
例えば、
肩をトントンと叩いて、相手が振り向いたらほっぺたを指で突くとか、
頭に何かついてるよ、と相手に言って、
相手が頭を触ったら、「照れるなあ〜」と相手の行動にアフレコするとか、
「ねえあれ!」といきなり指をさして、
相手がその方向を向いたら、「馬鹿が見〜る〜豚のけ〜つ〜」と言ったりとか。
まあそういう類いのからかいが流行っていた。

そういうのはだいたい、上級生が発信源で、
年上が年下にからかいをしていき、
どんどん学年が上から下へと流行していった。
だから大抵、上級生に可愛がられていて流行に敏感なタイプのクラスメイトから、
初見殺しのようにからかいを受けていた。

それが僕はかなり嫌だった。相手をからかって有利になるだけのこれが面白いんだ?
と腹が立っていた。
だからこそ、僕は次の出来事が納得いかなかったんだと思う。

授業中に、僕は机の足にかけてある袋の中から何かを取ろうとして腕を伸ばした。

その時に、手の形が👎みたいな感じに、
親指だけ伸ばす感じになった。

それをたまたま見ていた隣の席のクラスメイトが急に、「(僕の名前)が死ねってやってきた!!」と叫び出した。

急にクラスが騒然となった。
僕は慌てて、死ねってやってないよ、と弁明した。
たまたまそういう手の形になったのかもしれないけど、別にそんな意図は無かったと。
結局僕は、事態を収める為なのか先生に謝りなさいと言われ、納得いかないままクラスメイトに謝った。

早合点したクラスメイトもあれだが、
単なるハンドサインが学校であまりに強い意味を持っていた。ほんとなんだったんだアレ。

そういう一連の出来事もあってか、
そもそもうまくノリが合わなかったからか、
僕はクラスメイトから時々ハブられたりしていた。
みんなで遊んでいるのに、僕一人だけ家から閉め出されて笑われて、
泣きながら一人で帰ったこともあった。
ただ、それも自分では、子どものノリではよくあることで、本気でいじめられてるとかではないだろうな、というのは思っていた。

そういう空気を感じていたからか、
なんとなく一人で過ごすこともあった。
魚が好きだった僕は、
休み時間に粘土でリアルな魚を作り、
自分で図鑑のようなものを作り、
先生や母から褒められていた。
僕は他の人にない世界観があって、だからこそクラスから浮いてるんだ、という見られ方をしていた。

母も集団にうまく溶けこめないタイプの人だったから、
僕は母から、あなたはあなたのままでいい、あなたはすごい、みんな嫉妬しているんだ、みたいなことをよく言われた。
僕はクラスから浮いている部分はあれど、楽しいと思うこともたくさんあったから、
いやそこまで大げさじゃないけどな、と思っていだが、心配してくれている母の言葉に反論はしなかった。

そもそも地域の雰囲気が排他的な側面があり、家族ぐるみでうまく地域に馴染んでいなかった僕の家は、
僕がイジメに遭っているという理由が決定打となり、
引越しと転校が決まった。

僕のために決まったことではあったが、
僕は戸惑いも大きかった。
ただ、母に心配をかけたんだろうなという申し訳なさはあった。

転校について、特に覚えていることがある。

転校前日にクラスメイトと夕方まで遊んでいて、凄く楽しくて、また明日も遊びたい!みたいなことをクラスメイトと話した。

だから、次の日に転校した帰り道、
迎えにきた母の車の中で、後部座席にいた僕は母に向かって、
転校前のクラスメイトと今日も遊んでいい?と聞いた。

運転中の母はしばらく無言の後、
なんで?と聞いてきた。

僕は、昨日遊んで楽しかったから、、と答えた。

母はまたしばらく黙った後、また今度で良いんじゃない?と言った。
僕は母の様子から、気に触ることを言ったんだなと察した。

母は、
息子を心配し、たくさんのお金と労力を払い、やっとのことで転校したのに、
当の本人がその努力を無に帰すようなことを言ったことに、徒労感を持ったのではないか。

僕は、転校したいと思ったことはなかった。
嫌なことはあっても、楽しいこともあるし、全てが嫌になったとかそういうことはなかった。
けど、大人から見れば、転校してもおかしくないような理由が集まっていて、
「学校いやだよね、転校したい?」と心配する親に聞かれたら、そんなに転校したいと思っていなくても、うん、、みたいなことを答えていた。

小2の僕は転校と引っ越しにかかるお金と労力を分かっていなかったし、
クラスから浮いてる感じはあるけど別に大丈夫、ということを正確な語彙を操って大人たちに説明することもできなかった。

心配して行動してくれた親に感謝はある。
だけど、この子はこういう子だから、という思い込みや、あなたのためにしてあげた、みたいな接し方は、違和感として残っている。
大人が思うよりも子どもの世界は広くて、何にどんなことを感じているかは簡単に分からない。
だけど、自分が大人になってくると、
その子どもが見ている世界を正確に推し量るのは難しいことだよな、なんて思う。

僕は小1の時点で小さな社会に馴染めていなくて、
大人たちに心配されて途中離脱した。
あのまま転校しなかったらもっと本格的なイジメに発展したかもしれないし、
もしかしたらズレを修正しつつうまく生き延びていたかもしれない。

先日読んだ、朝井リョウさんの「正欲」では、
不登校の息子がYouTuberの真似事を始め、
正規ルートに戻したい父と、やりたいことをやらせたい母、というように家族の葛藤の場面が出てくる。

僕はこの本を読んで、自分の子どもの頃に思いを馳せていた。
子どもは本当によく分からない。本人も自分のことがよく分かっていないし、うまく伝えることも出来ない。
大人たちは正しい判断を求められて大変だなとため息を吐きたくなる。

僕は繊細で気難しく、親には心配をかけてきた。
もし僕が親になったとして、子どもが社会に馴染めていないことに悩んでいたら、なんて声をかけるだろうか。
お父さんも馴染めてないんだよ、馴染めているフリをしているだけなんだよ、
なんて言うのはまだ早いんだろうな。
僕は今も社会と自分のズレを感じつつ、
ある程度は理解して、ある程度は諦めて生きている。
それを小2の自分に言って理解してもらうにはまだ早い。

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