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病気になった。ニートになった。そんな1年を振り返ってみようと思う。

こんなことを書こうと思う。
✅7月末にニートになる選択をしたこと
✅コミュニティ(コルクラボ)や友人に支えられたこと
✅初の海外一人旅にでかける聖なる一歩を踏み出したこと
✅これからどうしようかなってことをすこし

年の瀬でございますね。
まさまさです。

さぁ、思いつくままに書いていくよ。
自分のために…さぁ書こう。

一番の出来事は、やっぱり仕事をやめたこと。

職場という環境から逃げ出したこと。
友人の紹介で入った職場から逃げるためには、理由が欲しかった。

気づけば、眠れなくなっていた。
気づけば、本が読めなくなった。
気づけば、笑うことはなくなっていた。
気づけば、電車で急に泣いた。駅のホームで急に吐いた。
気づけば、胃がとっても痛くなっていた。
気づけば、通勤途中は毎日吐いた。
気づけば、血痰がでた。

あぁ…こんなに苦しいと、何か病気かもしれない。
やめるにあたいする理由ができたかもしれない。
それは嬉しかったと表現していいかもしれない。

抑うつ傾向だったんだろう。
「一時期、死んでいたい。」ってよく思ったもんだ。

でも、心療内科に行くのは、気が引けた。
祖母は躁鬱病で長年苦しんでいた。
そんな祖母を見て、母も苦しかったかもしれない。
そんな母は、僕によく言っていた。

『あんたはうつになりそうや。その考え方・捉え方では…』

その言葉が思い出されて、うつという診断をつけられるのは気が引けた。
友人のメンタルヘルスに詳しい医師には、『うつっしょ。適応障害かな?』と、言われていた。

僕は、消化器内科にいった。

診断名は逆流性食道炎グレードC(重症型)食道裂孔ヘルニアだった。

なんか嬉しかったし、ちょっと誇らしかった。

嬉しい…逃げてもいい理由ができたからだと思う。
誇らしい…ここまで我慢したんだぞ!っていうことかなぁ。

そうして、僕は病気を理由に、退職願いを書いた。

やめる寸前の話をしよう。

やめたい…と思い始めてから、僕は停滞していたと思う。
周囲の友人と話すことは決まっていたし、減っていった。

どんな感じかというと、こんなたとえ話をしている。

罰ゲームでバンジージャンプってあるやん?
「怖いって、これ飛べない!」ってやってるやん?
最初はさ、別にいいやろ?面白いし…。
それが、3時間も4時間もされたらどうだろう。
「早く飛べや!」
それか
「もうやめとけ!」
って思うやろ?
そんな感じ。

「早く飛べ!」って言われてた「わかってる!」って答え
「もうやめとけ!」って言われても「いや、飛ぶから!」って答える

そんなウジウジした日々を過ごしていた。
そうすると、小さな心の変化に気づいた。

「あ。一人ぼっちになってしまいそうだ…」

周囲の友人たちは、成長したい・変化したいっていう人が多い気がする。
僕は取り残されているように感じた。
みんなが遠かった。遠い存在のように感じた。
孤独感がすごかった。

さて、ニートになってしまった。

ニートになった。
クソ真面目に生きてきた僕が、ニートになった。

ニート(イギリス英語: Not in Education, Employment or Training, NEET)とは、就学・就労・職業訓練のいずれも行っていないことを意味する用語である。日本では、15〜34歳までの非労働力人口のうち通学・家事を行っていない者を指しており、「若年無業者」と呼称している

この定義で言うと、ひとり暮らしの僕は、家事はやっていたからちょっと違うかもしれない。

ず〜っと寝ていた。
ただ、ひたすらに寝た。
何もすることなく寝ていた。

そんなとき、僕が寝るのをやめて動くことのできる瞬間があった。

人のお役に立っていたい。

そういう欲求が出たときは動ける自分がいた。
誰かに何かを頼まれたとき、仲良しが困っているときは嘘のように早起きをし、嘘のように元気だった。

そういう動機を大切にして行動したnoteを少し紹介しようかな。

コルクラボにはちょうど仕事をやめた人、やめることが決まった人がいたので、その時の心境を語り合った。
仕事をやめたことをお祝いだと言って、ご飯をおごってくれ、話を聞いてくれた。コミュニティにおける互助システムだ。ありがとう。
尊敬する好きな人に付き合ってもらい傷を一緒にみつめる会をした。
そしてレジリエンス探しを始めた。
3ヶ月位続けて、少し傷ついても前向きになる方法を見つけた。
ナイスセラピー。
少し元気が出てきたんだろう…人の役に立つため?に自ら動き出した。苦しみの渦の中にいる友人の話をどっぷり聞いてきた。

心が回復していく中で、急に涙することも、吐くことも減っていった。
傷に向き合えるようになっていった。

職場が悪かったんではない。
そして、僕が悪かったわけでもない。
ただ、合わなかったんだ。
これが今の僕の結論だ。
そして、苦しかった経験から、自分を大切にする、というとても重要なことを学んだ。

エジプトへ聖なる大一歩

多様な生き方があるように多様な死に方がある。良し悪しではなく。
その多様をそのまま、ありのまま受け止める、受け入れることができるようになりたいなぁ。

そう思って、世界70カ国ほど旅した経験をもつコルクラボの友人に相談してみた。

そうしたら、多様を感じる旅にでることになった。

行き先はエジプト。
初の海外一人旅だ。
怖かったなぁ。

エジプトに行った理由・感じたことなどここにすべて書いた。

ひとつだけ、書き出すとしたら、孤独を愛そうってことだと思う。

孤独のときこそ、自分の内なる声を聞くチャンスだ。
自分の心の声を大切に、心地よい状態でいよう。
今の自分が将来・未来の自分をつくる。
自分に潜り込むこと。
自分に浸り切ること。
自分の心の声に耳を傾けること。

孤独は嫌いだったけど、好きになるきっかけになった。


エジプトから帰ってきた僕は、壊れたようだ。
友人が言っていた。これはここに書かれている。

僕の親友の佐々木くんが10月頃にエジプトに行ってから、何かおかしくなった。いい意味で壊れた。なんかむちゃくちゃカッコいいのだ。小さいことは気にしない、大人の男。それが佐々木将人。だが、ニートだ。
最近は毎日楽しそうにしながら、「かずきさん働くって何だろうね?」と深い問いを僕に投げかけてくる。瞬殺で「おまいう(お前が言うな)」と言ってやりたいのだが、その問いがあまりに深くていい答えがでない。

そんな僕はこれからどこに向かっていくんだろうか。
それは、自分が決めることなんだけどね…。

コルクラボのお題「これからの私」で書いたnoteは、一つ未来の自分だろう。

最後に、今回この振り返りnoteを書くにあたって、参考にした資料を貼り付けておく。

一年の振り返り会をやりたいなって思う人は、これを参考にするといいよ。

おしまい。
最後まで読んでくれた人へ。
ありがとう。

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