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浦シマかぐや花咲かⅢ 決戦 番外 プロレス編




第1話 移民の歌


 左の肩肘をドアに置き、昼の鋭い陽を浴び銀色に輝くハンドルを握りけだるそうに運転する女。
「海亀の印が入った塗り薬の件、覚えているか?」女は黒いサングラスを額に上げた。
「見つけたら絶対手に入れてくれということでしょう。忘れるわけありませんよ」隣に座る男は少し高い声で言ってさらに続けた。
「あなたがアメリカで興行の修行中のわたしの前に突如現れてもうかれこれ10カ月ぐらいになりますね」
「……いろいろあったな」女はポツリと呟いた。
砂漠の真ん中を黒いサングラスをかけた男と女が車で疾走する、その男・海野和彦(35歳)は女・シマの憂え気な横顔を見るの好きだ。淡いベージュのショールを頭からかぶり端を首に巻いていた。染めた銀髪を隠すためだ。
「昨日、その薬の有力な手がかりが入って来たのですよ」
「なに、本当か?」
「その印が入っているかどうか分かりませんが。その薬は不老不死の薬……若返り薬ともいわれてましてね、そんな薬ある訳ないと思いますが」
「なに……若返り薬?」
「それより前から聞こうと思っていたのですが、いつから海亀キャラのコレクターになったのですか?」
「まあ、そんなもんだ」
……やはり、ここにかとシマは想った。
「ここ、ベガスにあるという噂です」
ラスベガスの白く細かい砂が容赦なくオープンカーに入る。
不思議な人だ芸能事務所のマネージャーからの付き合い。アイドル・グループの代役もやった、そして……



海野は後方に手を伸ばし蛇腹になったオープンカーの黒い幌を締める。
海野和彦(35歳)はシマと旅を続けるのが夢のよう感じた。
日本でしがないヤクザの幹部をやっていた頃、音楽プロデューサー・ゼブラとして自分の目の前に突如現れたシマさん。正式の名前は、安浦 HERО 志摩……日独のハーフ。芸能興行を任された俺は売れないカールズアイドルグループ、カラーズ・ジェッツフェラルドのマネージャーをやらされた。ゼブラ……シマウマ……志摩、シマさんがプロデュースに関わってから急激に売れ始めた。カラーズの1人が家庭の事情で脱退した時もすぐに代役をこなした。人気がピークに達した時突如いなくなった。わたしはその後、組を離れエンターテイメントの本場アメリカに派遣された。興業の修行のためだ。これからの日本の暴力団は組織を変え合法化、近代化していかなければならないためだ。そして再びわたしの前に現れた。シマさんは女子プロレスラーになりたいといったのはかなり驚いたが、猛烈な訓練と類まれな才能ですぐにファンの心を掴み人気レスラーになった。すごい女(ひと)だ。

「シマさん朝刊観ましたか。アルティメット・ゾーン、大番狂わせですよ!東京オリンピック女子柔道とボクシング金メダリストのサン・オンドーフが開始僅か30秒でノックアウトです!」
この世界では1964年の東京オリンピックから、女子の柔道、ボクシング、レスリング、テコンドー、空手の格闘技種目が行われていた。
「そうか……」
シマはあまり興味なさそうに呟いた。
明日行われる試合の勝者がアルティメット・ゾーンの勝者と戦う。こんな相手と戦うとは ……殺されるかもしれない。死ぬのは怖くないのか、シマさんは死に場所を探しているようにも思えた。
「この写真見て下さい、顔にペイントして舌を出して。まるでヘビーメタルの歌手だ。名前がガトー・グワジ……長い名前ですね」
運転中のシマに新聞の一面を無理に見せた。
「まだまだ、未知の強豪って本当にいるものですね……」
海野は興奮気味に一方的にまくしたてた。
シマはかまわず直線が続くハイウェーのアクセルを踏む。
「見えてきましたね。またここですよ」
前方の地平線を越えると砂漠の上にいくつもの巨大な建物群が見えて来た。
ウイザード・ハンナ対ズィルバー・ヴォルフの仰々しい電飾が施された看板がいやがおうにも何枚も眼に飛び込んでくる。
その中でも、最も巨大な看板の前に車を止める。
「戻って来たんだな」シマはオープンカーの幌を開け銀色に輝く巨大なドームを見上げる。
ファイナルファイト!
ファンタスティク・ゾーン決勝戦
ウイザード・ハンナ対ズィルバー・ヴォルフ
その中でも高さ30メートルはあろうかという2人の写真がひときわ目を引く。
ウイザード・ハンナはブロンドヘアーを後ろで束ねた健康的美人で生粋のヤンキー娘。
ワンピースの水着は星条旗をあしらっていた。
ズィルバー・ヴォルフは銀狼の仮面、銀色のビキニタイプのコスチューム。

シマは車から降り、黒いサングラスを外してそれを見上げた。
痛い! カメラで看板を撮ろうと夢中の少年がシマにぶつかったのだ。
少年は何か硬い金属のようなものに当たったような気がした。
「ねえ、ねえ、お姉さん。明日の試合どっちが勝つと思う」子供が無邪気に尋ねた。
「さあな……」シマはそっけなく答えると、その子供はじっとシマの顔を見入る。
「眼が似ている……」その言葉にシマは再びサングラスをかけ直す。
硬いけど熱かった……まさか……まさか……

「早く、駐車場に行きましょう!」車から海野の声が聞こえた。
何事もなかったように振り向き車に乗ろうとすると、少年が右足を引きずって歩いていた。
「いよいよは大一番ですね」海野はシマの肩を叩く。かまわずエンジンをかけ銀色のオープンカーは再び発進した。
ベガスの煌びやかなビル群に真っ赤な夕陽が沈む。

シマの背中を見た少年は、「僕の好きな……ズィルバー・ヴォルフ!」と呟いた。

1966年(昭和41年)8月5日



第2話 炎のファイター


 その仮面は、黒い眼の縁取り、高い鼻、尖った耳、大きく裂けた口、まさしく銀色の精悍な女狼であった。ヴォルフのマスクを被ったシマはハンナと対峙していた。腕組みしたヴォルフのコスチュームも同じ銀色に輝くセパレートのビキニタイプである。部屋の照明は落とされ薄暗く感じた。表向きは今日行われる大一番のルールミーティング、関係者以外立ち入り禁止である。
「ヴォルフ、今まで本当にご苦労だったな。ありがとう」
プロモーターのイエリッチはシマに手をさしのべ強く握った。
これまでの試合は緊張感を出すため、二人はいつも必要以外には会わなかったし、会話もしなかった。
セール……相手の技を受ける、パンチやキックも当たっていないのに当たったようにみせかける。プロレスは2人で協力しないとできない技もある。打ち合わせをしなくても肌を合わせれば二人は戦う者同士相通じるものがあった、手が合うとはこのことである。
「第二次世界大戦の戦勝国・ドイツ。10年あまりアメリカはそのドイツ軍に統治されていた。ドイツ駐留軍が撤退し、第三次世界大戦でナチスの残党ネオ・ナチスを倒した。アメリカは大国として威信を復権した。生粋のアメリカ娘のハンナと謎のドイツの女狼シルバー・ヴォルフの闘いは全米各地で大当たりだ。憎っきドイツを倒す興奮、観客は大いに喜んだ。今日が最後の大一番……」
イエリッチ(56歳)はシマの瞳をじっと見つめ。
「殺気のあるいい眼だ。眼だけでも稼げる。これからは大型テレビ時代だからな、アップも映える」
ハンナとともにシルバー・ヴォルフは急速に普及し始めた液晶テレビ時代の申し子。
この世界は第二次世界大戦でドイツと日本が敗戦した元の世界より何事も10年から20年進んでいた。パソコンでインターネットも出来るし、スマートフォンはまだないが携帯電話はある時代。広大で自由な国アメリカはいろんな分野で活況を呈していた。
表情……ヴォルフはマスクを被っていても眼と口となにより体全体が語っている。そしてパワー、スピード、俊敏性、跳躍力、柔軟性、テレビはありのまま全てを映してくれる。わたしはハンナだけでなくシルバー・ヴォルフの虜になった。
「半年間ぐらい経つのかな。お前たちの戦いはどこも大盛況、大入り満員だ。大袈裟ではなく全米が熱狂している。女子プロレスリング始まって以来の出来事だ。
負けた方が引退の大一番。最後ぐらいは自由に戦ってもらおうと思ったが……」
イエリッチは言葉に少し詰まった。いくらフェイクの多いプロレスと言っても今回は二人にとって本当に最後の試合になるかもしれないからだ。
そして、ヴォルフと対話するときには常に敬意を払っていた。
その佇まい、雰囲気、オーラからか人を従わせる何かを持っていた。イエリッチはなぜヴォルフが女子プロレスラーになったのか不思議でもあった。
買いかぶり過ぎかも知れないが他の職業でもトップでいられるのではないかと、女性ではあるが経済界、政界、軍隊いずれも頂点を取れるのではないかとさえ思った。人としてそこまで彼女を見込んでいた。そしてイエリッチは意を決して重い言葉を発した。。

「すまないが、ハンナに勝ちを譲ってもらおうか」

プロモーターの権限は絶大であった。この時代、ファンはプロレスをあらかじめ勝ち負けの決まったシヨーだとは完全に認識されていなかった。たまに真剣勝負や試合中のアクシデントもあってファンもグレーだけど把握しきれずにいた。
イエリッチはカジノの本場ここベガスではこの試合が大きな賭けの対象になっている事も知っていたが、プロレスを賭け事にするのに反対で、賭け事が大嫌いなイエリッチにはどうでもいい事だった。
「今日こそは思う存分戦わせてもらうつもりだったのに、何故わたしに勝ちを」
ハンナ・マーガレット(23歳)が間に入った。これまでのタッグマッチを含む2人の対戦はマッチメーカーが決末を決めることが多かったが、ハンナとヴォルフの試合に関してはマネージャーを交えた2人で話し合いマッチメーカーに相談することもあった。

 そして試合の流れによってはアドリブで臨機応変に試合を行う事もあった。プロレスの結末は正当な勝ち負けの他、両者リングアウト、反則による勝ち負け、ノーコンテスト、時間切れ引き分けと多種多様であったが、今回は負けた方が引退、さらに女子世界王者のチャンピオンベルトがかかった選手権試合ということもあってコミッショナーが入った厳正な結末が求められた。
 この場には、なぜかヴォルフのマネージャーの海野はいなかったが、ハンナから少し離れたところに赤いポンチョを全身で覆ったハンナのマネージャーのサッカが不気味な感じを醸し出して立っていた。
ポンチョと同じ赤色のマスクは2つの丸い眼だけを空け、耳、鼻、口は布で覆われていた。中にはハンナの双子の妹のサッカ・マーガレット(23歳)が入っているという。
 第二次世界大戦、ドイツ軍がアメリカ本土に攻め入ってきたとき。不運にも民間人であるハンナとサッカの両親が殺害された。その時、サッカは顔にひどい火傷を負った。ショックのあまりそれ以降あまり言葉も喋れないという噂であった。
ハンナもサッカも両親の顔を知らない、その後、全米各地から戦争孤児を集められたマーガレット孤児院に二人は引き取られた。


 イエリッチはそっと新聞を机に置いき、ハンナとヴォルフを睨んだ。
勝者はスポンサーより賞金100万ドル(現在の日本のレートで約5億円)と大見出しになっていた。
スポンサーは医薬品大手のナサカー社。
「いいな」察しろとばかり念押しした。
「イエリッチさん、これまであなたにはかなりお世話になったが……」シマは新聞を手に取りしばらく眺めた。
「負けた方が引退と煽っているが……あんたはマスクマンだ。暫く休んだら別のマスクでも、素顔でも戦うことが出来るだろう」
ハンナとヴォルフはイエリッチの洞察力と興行センスには一目置いていた。
常に二手、三手先を読んでいる。ショーと思わせない工夫、観客に真剣勝負も入っているかもしれないという仕掛けもしている。
「分かった。マッチメーカーの権限は絶大だからな」ヴォルフは重い口を開いた。
「ヴォルフ!本当にいいのか」即座にハンナの問いかけに「プロだからな」ズィルバー・ヴォルフことシマは応えた。
「ファイナルファイト・最期の戦いだ。早い決着はダメだ。盛り上げるために2人で時間をかけてもかまわんが、結末は絶対だ」
イエリッチはヴォルフの手を再び固く握り、ポンと肩を叩いた。
「ヴォルフ、お前の体もそろそろ限界だろう。それとハンナの重大な秘密もお前なら気が付いているな……」イエリッチはヴォルフの耳元で呟いた。ヴォルフは無言を貫いた。
イエリッチはこのマッチが今がピークだと感じていた。マンネリが来ないうちに2人の栄誉のためにも、これからのためにも終わらせたいと思った。
「ところでこんな重要なミーティングをほっぽり出して、ミスター海野はどこへ行った」
イエリッチはあたりを見回す。
「急に、ドン・マッチに呼び出されて」ヴォルフは応えた。
ヴォルフは感づいていた、海野が単独で例の薬を探ってくれていることを。
「マッチに?」イエリッチは嫌な予感がした、いつもの癖で口元を指でなぞった。
ドイツ出身というふれ込みの女狼・ズィルバー・ヴォルフ、それを支える同盟国日本軍出身のマネージャー海野、日の丸の鉢巻をして鶯色の軍服を着て観客の憎悪を背負う海野の存在も忘れてはいない。ヴォルフにかかってくる観客の常に盾にもなっていた。腕っぷしは日本の軍隊、暴力団仕込み巨漢のアメリカ人にも負けていなかった。コンプライアンス(法令順守)がまだ曖昧な時代、観客と喧嘩になり殴っても蹴飛ばしても警察からもあまり文句も言われなかった。時にはピストルもちらつかせた。なんにせよ、ここは銃の所持が合法に許可されているアメリカだった。
「この部屋を出たら、試合が終わるまで言葉を交わせないが。いいのか」
ヴォルフは「……」無言のままゆっくりとドアのノブを捻った。

時は1966年(昭和41年)8月6日


第3話 レインメイカー


 シマは銀色のビキニの胸の谷間から鍵を差し込み自身の控室のドアを開けた。
部屋の中は真っ暗であった。「今日の大一番、ルール説明は終わったかな」どこからともなく声が聞こえた。明かりがつくと、すぐさま黒服の屈強な男2人が前になりドアをいきなり塞いだ。
シマはただならぬ光景に息を飲み込んだ。
海野が鉄の椅子に座らされて手を後ろに縛らされていた。そして口を硬い布でふさがれていた。
海野はモグモグと口を動かそうとするがと言葉にならない、重い椅子を体を左右に大きく揺さぶりもがいている。
「ドン・マッチ、これはどういうことだ!」叫ぶヴォルフ、車椅子のマッチは銀色のマスクを被ったシマの顔を見つめゆっくりとした口調で語り始めた。
「この間のハンナとのテレビマッチ、全米で視聴率50%を取ったそうだ。大した人気だな、人気は男のボクシング、レスリング、総合格闘技を遥かに越える。まあ、少し事情が変わってな」
ドン・マッチ(56歳)の後ろには二人の幹部、ガイゲル(36歳)とヤシン(32歳)が寄り添っていた。ヴォルフことシマは3人とも、プロレスの興行で度々会う旧知の仲であった。この時代、興業にはマフィアがかかせなかった。興業に関わる縄張り内のいろんな面倒な事は大抵処理してくれる。大量にチケットを捌いてくれたし、試合会場やテレビ局との折衝もしてくれた。彼らにとっても興行は大きな収入源でもあった。

 そこへ、ひと際大きな女がシマの目の前に現れた。広い控室のどこかに隠れていたのであろうか、黒いスーツに黒髪。そしてその女には大きな特徴があった、高い鼻に黒いマスクを付けていた。このドーム内の控室はアメリカンフットボールの選手の控室もできるように作られており、いたる所にロッカーがある。
その女は胸も厚くグラマラスな体型をしていた。長身のシマよりさらに一回りも二回りも大きい。

「鼻はまだ痛むか」
「いや……これぐらい、大丈夫です」かすり傷とでも言わんとばかり背筋を伸ばした。
海野は眼を見開いた。東京オリンピック・女子ボクシング、柔道両競技の金メダリスト、世界最強の女がそこに立っていた。一昨日、もはやの大波乱の当事者、サン・スプリットーフ(26歳)。
車椅子のひざ掛けの膨らみはドン・マッチが明らかにピストルを持っているのが伺えた。
シマは眼だけを動かし、何とか6人を倒せないものかと思案した。マッチは足を失っているとはいえ軍人上がりで銃の扱いに離れている。最強の女格闘家と切れ者のヤシン……特に、ガイゲルは「早打ちのガイゲル」と呼ばれマフィアの中でも一目置かれていた。

ーーシマは諦めざる負えなかった。

 ラスベガスを根城にするドン・マッチ一家を支える二人の幹部、ガイゲルは組織のナンバー2・アンダーボスであり組織一の武闘派として知られていた。前髪を垂らし髭ずらの顔、怒りだすと手が付けられないという触れ込みだ。顔と体には無数の傷があり、圧倒的な威圧感を醸し出している。
ドン・マッチと同じく5年前までアメリカ軍にいて第三次世界大戦に従軍し、ハワイ島上陸作戦に参加していた。対照的にカポ(幹部)のヤシンは知性派、銀縁の眼鏡をかけ頭をオールバックで固めている。
 一方、ドン・マッチはシマの眼を見つめ想った。この眼……この女、生死を賭けた戦場を潜り抜けた者のような眼をしている、第三次世界大戦かそれとも……第二次世界大戦か……フッ、まさかな。
「今日だけは、こいつ(海野)の代わりのマネージャーだ。ヴォルフお前に妙なマネは一切させない。これからはトイレ、更衣室すべて一緒だ。サンは女だからな、情けだな」ガイゲルは座っている海野の頭を鷲掴みにし揺らしながら言った。
「あんたは油断のならない女だ」とつとつと自分にも確認するように喋り始め、ドン・マッチは続けた。
「変な武器は持ってないだろうな。まずこの場で、マスクを取ってもらおう」
ヴォルフはゆっくりと後ろの紐をほどきマスクを外した。
マスクの後ろから出ていた銀色に染め上げられた髪の束をはじくと緩やかに靡いた。
銀色の髪、白い肌、長身のヴォルフ、瞳は黒でもドイツ人の女だと誰もが思っていた。
……東洋人?
そして男たちはシマのあまりの美しさに息をのんだ。
「やはり、日本人か。それもとびっきりのタマ(美女)だ」
ガイゲルはヴォルフを日本人だと薄々感じていた。ネオナチス軍と戦ったハワイ島上陸作戦で日本軍と共同作戦を取った。ガイゲルも日本人のある女に似ていると感じていた……そしてもう一人同じように感じている男がいた。

歳は想ったより若いな20歳台か、いっても30歳前半か
どこかで、見たような……錯覚か……似ているが……わたしが最初に思った女とは違う……若すぎる……そうドン・マッチも想った。

戦争孤児のハンナとドイツの女狼・ズィルバー・ヴォルフ。

 1945年(昭和20年)第二次世界大戦における戦争でアメリカはドイツに敗北、降伏した。
1年前の1944年にナチス総統ヒトラーが殺害されたあと、何故かドイツの科学力は何故か飛躍的に向上し、アメリカ軍を圧倒した。ドイツ軍は大陸間弾道弾をヨーロッパに全土配備しアメリカを狙ったところで第二次世界大戦はアメリカの降伏で終わった。日本には停戦を申し出た。それからの10年余りのドイツ駐留軍による米国本土の統治。屈辱であった。停戦国日本の仲介によってやっとドイツ駐留軍の撤退。全世界の核兵器廃止条約の締結。そして不思議なことに全世界で多くの戦争で亡くなった人々が蘇えった。世界中に平和が訪れたが、それも束の間であった。再びドイツの軍部強硬派によるネオナチス国が日本軍強硬派と組んでハワイに建国された。第三次世界大戦の勃発、ヨーロッパ全土も紛争に巻き込まれた。
わしも第二次世界大戦に続き退役軍人として召集され第三次世界大戦にも参加した。ネオナチスの拠点、ハワイ島攻略戦。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦のような血で血を洗う激戦だった。ほぼ1日で大勢は決着したが、わしは両足を失った。
核兵器を搭載された大陸間弾道弾が何発も発射されたにもかかわらず未然に防ぎ、短期間で終結されたため、今じゃ第三次世界大戦はなかったこととされ単なるハワイ諸島での攻防戦、ハワイ戦役と呼ぶ者もいる。何よりアメリカが日本と手を組んだ共同作戦、日本の連合艦隊の活躍によるところが大きい闘いでもあった。大国アメリカの威信は大きく傷ついた。
米国のドイツ駐留軍を撤退させ、核兵器廃止条約の締結に尽力した日本国首相、第三次世界大戦を身をもって防いだ連合艦隊司令長官は同じ女だ……浦シマ、確かに似ているが若すぎる。そしてなによりもその連合艦隊司令長官は旗艦大和と伴に海に沈んだ。
わしはアメリカに忠誠を誓う生粋の愛国者、ドイツ人と日本人は今でも嫌いだ。

それから4年後、広い全米各地を巡回し、アメリカ娘対ドイツの仮面女の対決は全米が熱狂した。正義のアメリカが悪のドイツと戦い、倒す。これ以上ないカードだ。
ハンナは時のヒロイン、しかしその後、意外なことにズィルバー・ヴォルフの強さとクールさに熱狂するファンも出始めた。この二人の戦いは凄まじいばかりの観客動員力、爆発的な人気を生み出した。
現在の人気は五分と五分といったところか、ドイツとの友好、新しい世界平和の証でもあった。

「服も脱ぐのか……」
突然の言葉に、男たちは固唾をのんだ。
「……いや、サン、お前がボディ・チェックをしてやれ」とマッチは冷静に言い放った。
サンは言われた通り、覆面、銀色のビキニ、布で隠れたところをくまなく触り。
「ボス、何も持ってないようです」
「お前らもさがれ、これからは秘密の話だからな」マッチは腕を上げ、ドアを守っていた黒服のボディガード2人に退出を促す。広い控室はヴォルフ、サン、ドン・マッチ、幹部のヤシンとガイゲルの5人だけとなった。
盗聴器がないのを確認するためかヤシンはただっ広い控室を探知機を持って念入りにチェックする。
シマは眼だけを動かし、何とか倒せないものか様子を伺うが、気づかれたか「むだだよ」と言ってサンはシマの両腕をがっしりと握る。
「本題に入らせてもらおうか。あんたにはかなり儲けさせてもらった……感謝もしている。ただ少し事情が変わってな」ドン・マッチはゆっくりと語り始めた。
「フッ、ルール説明会という名目だったな。その打ち合わせ会でイエリッチさんは何て言ってたんだ」ガイゲルがほくそ笑みながら呟いた。
ヴォルフは暫く沈黙した。ドスッとヤシンが海野の懐に拳を入れた。「ウグッ」たまらず海野の口から胃液が出る。
「ハンナに勝ちを譲れと……」ヴォルフは重い口を開いた。ドン・マッチは続けた。
「やはりな、裏の世界ではベガス中、いや全米中、その噂で持ち切りだ。ハンナは戦争孤児だ。マネージャーのでのサッカは幼い頃、戦争で顔に大火傷を負って全身を赤い覆面と布で被っている。ハンナたちはファイトマネーのほとんどを全米各地から集まるマーガレット孤児院に寄付をしている。孤児院の園長は現在、重度の病で療養中、今回の決着戦はスポンサーより高額の賞金が付く、その金が入ると莫大な資金のかかる孤児院の運営も楽になり、そして重病の園長の病気も治るかもしれない。なぜなら製薬大手のナサカー社よりかなり高価な薬も手に入るからな。それにマーガレット孤児院の現園長はイエリッチの別れた元妻だ。イエリッチはまだ元妻を愛している。そして戦争と賭け事を心から憎んでいる。奴は、戦争から復興中の観客を喜ばせたいだけのプロレスバカだからな」
高価なな薬……シマは小声で呟いた。
ヴォルフことシマは気づかれないようにパソコンにそっと目を落とした。
机に置かれたパソコンの画面にはハンナとズィルバー・ヴォルフの賭け率が表示されていた。ハンナ71%、シルバー・ヴォルフ28%。
「堅物なイエリッチは賭け事が大嫌いだ。特にショーの噂が絶えないプロレスを賭けの対象にするのはな。管轄のテネシー州政府にも喰ってかかっていた。グレーゾーンのプロレスとしての賭け事は今回が最後だ。しかし、人気が人気を呼び最後になるであろうプロレスの賭けを楽しみにする多くの民もこのベガスに集まって来ている」
ドン・マッチはマフィアで主に歌や格闘技の興業と賭博を生業としていた。

「今回の賭けはベガスでしかできない。ホテルもカジノも空前の大繁盛だ。今日の試合には5万人以上の観客が詰めかける。溢れた客はパブリックビューイングだ。賭けの締め切りは試合が始まる直前、つまりあと1時間後」
ドン・マッチは沈黙した後、眼を瞑って言った。
「……あんたにこの試合勝ってもらう」
「ブック(台本)を破れば、この業界で生きてはいけないのはドン・マッチあなたも知っているだろう」ヴォルフは応えた。
「ヴォルフ、あんたは、もう用済みなんだよ」ヤシンが間に入り冷たく言い放った。

「一昨日、サンが少しヘマしてな。この話は今はよそう……」
サンを横目にドン・マッチは首を横に振った。サンは俯き申し訳なさそうな顔をする。

海野は想い出した。そうか……アルティメット・ゾーン決勝戦でガトー・グワジ・ヤシンとかいう謎の女格闘家が大番狂わせでサンに勝ったな。胴元のマッチの組織が賭けの胴元で大損をしたという訳か。
ガトー・グワジ・ヤシン、突如現れた謎の女格闘家。一回戦で東京オリンピック・テコンドーの金メダリストを簡単に破り、決勝戦で世界最強の女と呼ばれるサンを秒殺した。
もう一方のファンタスティク・ゾーンのプロレスで行われる、ハンナ対ズィルバー・ヴォルフつまりシマさんとの決戦で大損した分を回収しようという訳か。プロレスの試合はなりグレーだ、今回だけの特例措置、しかもベガスに来ないと賭けられない。賭け率はストーリーが決まっているハンナが圧倒的に有利。両者の本当の実力はともかくヴォルフは勝つ必然性がない。
その後の、アルティメット・ゾーン優勝者とファンタスティク・ゾーン優勝者による真の女格闘技決勝戦、リアル・チャンピオンシップはガチの真剣勝負になりそうだ、息のかからないガトーが進んだからな。
第三次世界大戦で両足を失ったアメリカの英雄でマフィアのボス・ドン・マッチ、ラスベガスのあるネバダ州政府も配慮してきたが、とかくグレーで、八百長の噂が絶えないプロレス。州政府もやっとファンタスティク・ゾーン決勝戦とリアル・チャンピオンシップの2試合が終われば合法的な賭けの対象から外そうとしている。


今、全米では女子格闘技が空前のブーム。男だと複雑な利害関係が絡み、こうはいかないからな。
「こいつがどうなってもいいのかい」ガイゲルが海野の頭を掴み上下させる。
「やってみれば」とシマは冷たく言い放つ。

……シマさん、どうして? 海野が考える間もなく間髪入れずガイゲルが海野の顔を容赦なく殴る。バシン、ドシンと部屋に鈍い音が響く。
海野の顔はみるみる歪んで腫れあがっていた。眉間からは血がしたたり落ちた。さすがマフィアだ、これまで懸命に付き合ってきたのに自分のファミリーのためなら情け容赦ない。

暫く沈黙が続いた。
そしてシャリンと金属音をたててヤシンは折り畳みのナイフを取り出した。
観念したのか顎を上げて海野は眼を瞑っている。
……シマさん、あなたのためなら死ねる。
ヤシンを制止してガイゲルが胸からピストルを出し。
「銃を口に突っ込んで脳みそを吹き飛ばそうか!」ドスの効いた声が部屋中に響いた。

「……やめろ、分かった」シマは声を上げた。

ヤシンもまだまだだな、ガイゲルの本気でやっと降りたか、やはり、この女かなり肝が据わってやがる。若いのにどこで経験した。

「しかし、わたしが勝つ保証がない」
「それがあるんだよ。あんたの隣にいる最強の女、あんたが勝たないと今度はその最強の女、サンの命がない。最強の女マネージャーが勝たしてくれる」ヤシンは冷徹に言い放った。
シマも、サンがその言葉を訊き震えているのが分かった。シマもサンもマフィアの恐ろしさを知っていた。しくじったら情け容赦なく殺されてベガス周辺のトウモロコシ畑に埋められる。

「ゴ、ゴホ」
その時、突然、マッチは顔をしかめながらハンカチで口元を押さえる。
「ボ、ボス大丈夫ですか」
ガイゲルは手を止め、内ポケットからすかさず小瓶を取り出す。
「ボス、これを胸に塗りましょう」
「兄貴気、その薬は……」ヤシンは小声で言う。
「ヤシン、大丈夫さ。俺が試した」
「賭博で大損したナサカー社の研究所所長から借金のかたに貰ったとんだもなく高価な薬ですが、効能は分かりませんぜ」ヤシンは耳打ちして銀縁メガネを指先で抑えた。
「これは神秘の国、日本に古代から伝わる不老不死の薬だ。間違いない」
違う、太平洋戦争時、日本軍が開発した筋力増強の薬が改良されたもの……不老不死の薬、これはイレイメノツキ……しかし、海亀のマーク(印)がない。シマは眉間に皺を寄せて眼を見開いた。
TENCHIから伝えられた情報だと、海野と行動を共にすれば必ず手に入ると。地球の平和を願い、未来予知ができる月の知的生命体「月の竹」の命令だろうが。

ドン、ドンとドアを叩き。ドア越しに「時間です」との声がする。

サンはすかさずシマの首に手をかける。サンはシマと眼を合わせ合図をし、ドアに向かって「……分かった」と声をかけた。
「早くはないか」とサンが言うと「今日は特別な試合だからな、入念な準備をしなければならない、そして演出にも工夫をしている」
ドンを始めサン以外の皆は理解しているようだが、サンはその言葉の意味を飲み込めないでいた。

その時、シマはじっと海野の眼をみつめていた。
……薬の噂の出どころは、やはりドン・マッチファミリーだったのだな。
薬の件で海野はこれまでの興業で旧知のファミリーに近づいた。そして事情が変わった。相手はマフィアだ、自分の都合で誰でも容赦なく殺す。仲間でも友人でもだ。

「別れに少しいいか……」
シマは前に歩き出す。
すぐさま近寄り、ガイゲルとヤシンは胸から拳銃を取り出さそうとする。ドン・マッチは鋭い眼光で右手で制止した。
シマが歩き出すとホットパンツについた銀色の尻尾がまるで生き物のように左右に動く。
部屋にいる3人の男はシマの艶めかしい歩き姿と淡麗な匂いに虜になる。
シマは眼を瞑りそっと海野に口づけをする
「ほほ-……、夫婦にも恋人にも見えないがな」マッチは呟いた。
「サン、分かっていると思うが。絶対目を離すなよ」
「こんなモデルみたいな女、片手で大丈夫です」
サンは男を虜にするその様子を苦々して観ていたが、女のサンでもホットパンツに付いている銀色の尻尾が気になった。
ふざけている……サンは想った、一昨日、アルティメット・ゾーンの決勝戦で不覚を取らなければ、このファンタスティク・ゾーンの決勝戦勝者と真の世界一強い女の称号をかけリアル・チャンピオンシップで戦って、簡単に勝っていたいたはずだと。
何が世界一決定戦だ! ファンタスティク・ゾーンはしょせん魅せるだけのプロレス。興行的に盛り上げる事は必要だが、わたしはこんな女達には確実に勝てると。


第4話 J(これまでのあらすじ)


 昭和20年(1945年)8月、大日本帝国海軍の女性通信兵・浦シマは突然空から落ちてきた海亀ロボットのTENCHIを拾った。
 大日本帝国の極秘軍事研究員でもあるシマは得意の工学技術を使って傷ついたTENCHIを助けた。助けた御礼からか、TENCHIはもうすぐここ広島に原子爆弾が投下される事を知らせる。シマは間一髪、原爆投下から逃れ、TENCHIに連れられ戦後にタイムリープする。未来から来たと思われるTENCHIは何かの目的を持って時空を彷徨っていたのであった。
 時は経ち昭和47年(1972年)、シマは反戦反核を訴え日本初の女性総理大臣まで登りつめたが、ニセの汚職の嫌疑をかけられ窮地に陥っていた。そこにTENCHIが現れた。ある目的を持ったTENCHIに促され、再び戦前にタイムリープする。今度は史実より1年早くナチスドイツのヒトラーが殺害されドイツ軍がアメリカに勝利し、日本がアメリカに停戦した世界になってしまった。TENCHIも手違いから日本の軍部に破壊され粉々になってしまい、シマたちは元の時代に戻れなくなってしまう。
 それから時は経ち昭和30年代前半。その世界でもシマは総理大臣になっていた。この世界では唯一の被爆国である日本がイニシアティブを取り、世界は核兵器廃止条約が締結されようとしていた。しかしいい事ばかりではない、戦勝国ドイツはアメリカ本土に駐留軍を置き全米を実効支配していた。世界平和を願うシマは、ドイツ軍の蛮行を諫めるため連合艦隊と伴にニューヨークに向かう。しかしドイツ軍部の強硬派による奇襲攻撃に合い、ニューヨーク湾で連合艦隊は壊滅状態に陥る。
 シマは急遽、その原因を探るため日本の同盟国であるドイツに向かう。この世界では、ドイツ首相は傀儡政権で、アルプスの麓の極秘指令所で全てを命令していたのであった。シマは同盟国日本国首相として指令所「兎の巣」に案内される。そこではTENCHIがAIとなって指令を出していたのだ。粉々になったTENCHIはほぼ元の状態に修復されており、シマにあることを伝える。
 シマはこの後、連合艦隊を壊滅させた責任を取って総理大臣を辞職し、月に行くための厳しい宇宙飛行士の訓練を受ける。苦難の末、月に到着したシマは高度な知的生命体「月の竹」を発見する。実は月が母で地球は月の子だったのである。人類蘇生計画……そこで、戦争で亡くなった人の遺骨を撒くと地球では戦争で亡くなった人々が次々と蘇えった。シマは力尽き、月の裏で倒れてしった。
 秘書の家具屋とTENCHIの尽力により元の世界に戻ったシマは総理になって1年半が経った。金権汚職政治の打破、クリーンで平和な世界の実現を目指すシマ、それを快く思わない与野党から浦総理降ろしがいよいよ本格化してきた。シマ自身は自分を入れて衆参5人の小規模グループでしかなく与党民自党の有力者・花木幹事長に支えられていた。
 花木とともにシマは政界のフィクサー、日本の政治経済を裏で操る長老・金多の元に政権維持を頼みに行く。実は花木と金多は裏でつながっており、コントロールの利かなくなったシマを首相の座から引き下ろそうとする。そんな時、時空を彷徨う海亀ロボットのTENCHIが現れ、ドイツのミュラー首相とロスリスバーガー米大統領が暗殺されもう一つの世界が大変なことになっていると伝える。「月の竹」の仕業か、2つの世界が存在する世の中になる。ひとつは史実とあまり変わらない世界、もう一つはドイツがアメリカに勝利し日本がアメリカに停戦した第三次世界大戦の危険はあるが核兵器廃止条例が締結された世界。
 花木と金多の筋書き通り与党議員の裏切りがあり内閣不信任案が可決される。総理大臣であるシマは衆議院を解散し総選挙を行うことにする。一方、金多はヤクザを使ってより確実にシマを総理大臣の座から降ろそうとする。
選挙戦最終日、シマをかばって家具屋がヤクザに刺され危篤に陥る。衆議院選挙の結果、花木が首相となり、家具屋の死が告げられる。全てを失ったシマではあるが、日本の明るい未来も見えてきた。後進に全てを託し、もう一つの世界にタイムリープをする。
 もう一つの世界ではドイツ領のハワイが高度の科学力を持つネオナチス国に占領され、アメリカ、日本が核兵器で襲われる危機に瀕していることを知る。人類蘇生計画、ミュラーと家具屋の遺骨を託しケビン船長は月に出発する。また、シマは情報が敵側に漏れていることを知る。核弾頭が搭載されたミサイル基地が完成されるまであと僅か。
 シマは山元首相の命により連合艦隊司令長官に任命される。圧倒的軍事力を持つネオナチス軍に対抗するため、日本経済界の大物になった鈴木アツシに連合艦隊の補強を頼む。その時、月面に行ったケビンの手で蘇えった家具屋が現れた。ついに世界の命運がかかった「天地作戦」が発令される。
 1961年(昭和36年)準備不足のまま連合艦隊旗艦・大和に載るシマ。連合艦隊副司令長官になった家具屋も原子力空母になった武蔵に乗船する。この世界では金多が戦艦大和に参謀兼艦長になっていた。第三次世界大戦が始まり、両軍死力を尽くす一進一退の攻防が続く中、日本に向けついに大陸間弾道弾が発射される。間一髪、宇宙ステーションにいたケビンが放った迎撃ミサイルにより大陸間弾道弾は撃ち落とされ、ハワイの空は赤く包まれる。その後も大陸間弾道弾が発射されるが日米合同軍の活躍と多くの犠牲によってかろうじて防いだ。囮の大和艦隊は真珠湾に突っ込み、家具屋の乗る武蔵艦隊群から上陸作戦が始まる。激しい戦闘の末、上陸作戦は成功するが、大和はシマもろとも轟音を上げて海に沈む。半年後、激戦地のハワイは復興が進められていた。真珠湾沖では連日潜ってシマの亡骸を探す家具屋の姿があった。月が出たハワイの夜空を背にTENCHIが甲羅を浮かべていた。
 昭和40年(1965年)、月に行った家具屋のおかげでシマは蘇える。しかも若返っていた。
第三次世界大戦を短期間で収束たこの世界では、元の世界より科学、軍縮が進み核のない平和な世界を享受していた。
元総理で連合艦隊司令長官のシマは、日本軍復興派、ネオナチスの残党から身を守るため身元を隠し芸能事務所に転がり込む。併せてTENCHIからシマの若返りの原因である不老不死の薬・イレイメノキツ45を探すようにいわれる。地球の未来予知ができる知的生命体「月の竹」からの命令のようだ。
 秘薬を探し求め売れない女性アイドルグループ・カラーズジェッッフェラルドのマネージャーをしながら、芸能事務所の社長になった鈴木アツシと伴に日本全国各地を回る。
 ひょんなことからイレイメノキツ45の手がかりをつかむが、不老不死の薬を巡り、死なない軍隊の創設、軍事利用を目論む秘密結社ジ・ズーとアメリカの巨大コンツェルン・ナサカー社の争奪戦に巻き込まれる。
シマが急遽アイドル・グループの一員となり、奮闘の末、秘薬を手に入れるが、すでにこの薬の一部がアメリカに渡っていることを知る。

「浦シマかぐや花咲か」Ⅲ 決戦 アイドル編
本作は第24話 「青春アミーゴ」 と 第25話 「夜空ノムコウニ」の間の出来事である。

第5話 サンライズ


……なぜ、わたしが、こんな格好に……
サンはヤシンから事前に預かった鞄の中のコスチュームに着替えていた。
「ヤシンもなかなかなのセンスだな。海野の代わりのわたしのマネージャーとして、その派手な恰好は合格だ」ヴォルフもまんざらでもなさそうに言った。
銀色に統一させたピタッとした全身タイツのようコスチューム、鼻マスクも銀色。まるで他の惑星から来た宇宙人の様な格好である。
シマは黒色のサングラスを胸から取り出しサンに渡す。車の運転の時に付けてい者だ。
「その体だ、試合中いずれ正体はばれるだろうが、海野の代役の極悪マネジャーの演出だ。耳元のボタンを押すと色が変わる」
試しにサンはボタンを押してみた、レンズの色が次々と変わる黒から青、赤そして銀色に変わった所で止めた。不思議だった、マジシャンでもないのにこんな物を持っているとは。これはドイツ製、いや日本製かサンは精密な機器に驚いた。


2人は薄暗く長いローカを歩く、場内からはすでに歓声、ざわつく音が洩れ聞こえていた。
「結構、入念なトレーニングをするんだな」
控室を出た後、トレーニングルームでサンのマネージャーの着替え、ヴォルフのウォーミングアップ、そしてプロレスならではの打ち合わせをしていた。
「プロだからな」シマはそっけなく応えた。
アメリカのチアリーダーとドイツのファションモデルの対決……幼い頃から厳しい訓練をしてきた格闘家のサンはこの試合を完全なショーとして見下していた。

 油断していたとはいえガトーはかなりの実力者、あまりの速さに蹴りや拳は見えなかった。どちらが勝ち上がってもガトーには到底敵わない。あの女は野獣、もしかして、リング上で当たり所が悪かったら死んだり重傷を負ったりするのではないかとさえ思った。興業、見世物としては最強のプロレスラーと最強の格闘家との戦いは面白いと思った。しかしリアル・チャンピオンシップは凄惨な決末になるのは見えていた、正直言って勝負にもならないので止めた方がいいとさえ思った。
 格闘家として始めはヴォルフをバカにしていたサンだが、次第に感心することもあった。サンより低いが女として170㎝を越える身長。細い首が弱点だと思っていた、しかしブリッジは鼻が地面に付くような見事に弧を描いた。サンがヴォルフの腹に乗っても耐えるほど首に柔軟性もあった。対面でタオルを使って引き合いをしたがヴォルフの引く力の強さにも驚いた。見た目とは違いヴォルフの強靭な肉体に感嘆した。


 暫く歩くと突き当りの壁に達した。こんなところにエレベーター?サンは何故と思った。
ヴォルフは慣れた手つきでブラッチックのケースを開け赤いボタンを押した。
これはドームの屋根裏まで行く作業用のエレベータ。
サンはこれから試合が始まるのになぜドームの上に行くのか理解できなかった。

「おやっさん久しぶりだな」
ヴォルフは声をかける。高速で昇ったエレベーターの終着には1人の小柄な老人が待っていた。
「あんたと、また仕事が出来て嬉しいぜ」
シマは握手をする。サンはマスクごしにも微笑んでいる姿を想像できた。
「おや、隣のあんた見覚えがあるぞ。そうか、一昨日の試合で……」
自分がトムというんだと、初対面にもかかわらず腕を伸ばし馴れ馴れしくサンの肩をポンポン叩いた。そして一昨日の試合は残念だったな、若いからまた次があると慰めの言葉を続けた。
「おまえら、どこへ行くんだ」サンが叫んだ。

「これから仕事だ」と屋外に出るドアを開けるとベガスの熱風が3人を迎えた。眼下には多くの人が蟻のように見える。気を付けろよ、落ちたら本当に命がないぞとトムはサンに吠えるように言った。
シマを挟みむき出しの鉄梯子を掴み登ってドームの天井に登って行く。ベガスの眩いばかりのビル群が見える。
漆黒の闇に黄色い満月がヴォルフに重なっていた。
狼……
サンは想わず立ち上がり四つん這いになったシルバーウルフのシルエットを見て呟いた
「ぼおっと立っていると危ないぞ」
ラスベガスの強い夜風が突然吹いてくる。
シマはすっと傍により、よろめくサンの手首をつかむ。
「あんた……」
サンは想った、わたしを突き落として殺すことも出来たはずだ、まあ、わたしがいないと宿敵のハンナに勝てないのかも……シマはマスクごしの口がまるで獲物を求める狼のように笑った。
ドアを開けると。すでに耳を劈く歓声。剝き出しの鉄板の上に3人は下りた。遥か下にはリングが見える。細長い鉄板はや大きな家ほどの広さがあり、ドームのどこからでも観客が試合を観れるように四角い巨大なオーロラビジョンをぶら下げていた。
今夜は二人か、トムは言った。何やら仕掛けをしてるようだ。
無敵のサンは高い所が苦手だ。極力下を見ないようにする。ま、まさかここから降りるのではと不安になった。
ヴォルフはさも当然の如くのようにマスクを取り、トムに渡した。
トムは胡坐をかき、頭に付けている懐中電灯を点け、眼鏡をかけた。錆びて使い古された道具箱から針や糸、ハサミを取り出し少し傷んだマスクを直しだす。
手慣れた作業にサンは感心した。小道具係もするのか……道具箱を見る限りかなりの手練れだな。

 サンの隣では素顔のシマが入念にストレッチを行い始めた。
サンはよくも、まあと感心した。

 無駄のない鍛えられた筋肉、ビデオでは何回か見たが、一度だけヴォルフの生の試合を見たことがあつた、確かに全身のバネは凄かった。特に長身から繰り出されるドロップキックの打点は高くまるで無重力のように宙を舞った。技の威力はともかく見せ方は抜群だ。観客を盛り上げるアジテーション、センスもある。かっては踊りや歌手のステージ経験もあるのかとさえ思った。
ただ、格闘家としての実力は細いファッションモデルのような体と相まって大したことがないとも思った。しかし練習中も思ったことだが近くで見るとこの隆起する筋肉、鍛えればトップクラスの格闘家になる可能性がある逸材だと次第に考えを改めていた。

 まだまだ格闘家としては線が細い、急速に経験を積んだようにも見えるがそれはヴォルフの才能からか、実戦経験はまだまだと感じた。特に受け身、プロレスは相手の技を受けなければならない。ヴォルフはハンナの強烈な技をことごとく受けている。プロレスのリング、硬いマットでの受け身の取り方もサンは訓練を受けていた。ヴォルフは攻撃はいいが受け身の方は柔道出身のサンにはまだまだだと感じた。そして度重なる連戦からか体が少しくたびれているようにも感じた。
「ちょっと体を貸してもらうぞ」
サンはシマの背後に回り腕を取った。
「何をする」「体を直しているんだよ、かなり傷んでいる。柔道の整体だ」と言うとサンは強引にシマを座らせ体をほぐしにかかった。
……やはりな、もう限界だな。ヴォルフの体が悲鳴を上げている。ビデオで見たが、これから戦うハンナは無尽蔵のスタミナ、コンディションは抜群、何故だ。これだけの連戦しているのにハンナだけコンディションがいいのには何か理由がある。ドーピングか?特殊な増強剤か?謎だ。この試合で一人の格闘家として確かめてみたい。
「今日は絶対勝ってもらわないとな。わたしの命もかかっている。あんたらの仕事は観客と戦っている、真剣勝負に見せているがショーだ。相手の技を受けて飛んだり跳ねたり賑やかなこったな」
ハンナはシマの背中や腕を伸ばしたり回したりしながら自身に降り注いだここ数カ月の出来事を想った。
総合格闘技は真剣勝負だ。あんたらのように毎日のような戦いはできない。コンディションを整えるために最低でも1か月のインターバルが必要だ。アルティメット・ゾーンのトーナメントに選ばれたのは4名。

 東京オリンピック女子ボクシングと柔道の金メダリストのわたしとテコンドーのサント、金メダリストのレスリングの金メダリストのアイそしてふざけた謎の格闘家のガトー・グワジ・ヤシン。ガトーは初めは無理にトーナメントにするための人数集めと思っていた。なにせ格闘技の金メダリストが3人。命懸けだ、他の女格闘家は尻ごみをした。大方の予想ではわたしがアイを破り、サントと決勝で対戦する。ガトーはサントを数秒で倒し、その1か月後、決勝でわたしを同じく数十秒で報むった。無名の格闘家で相手の出方が全く分からない。殴る蹴る極める、一瞬だった。最後はスリーパーホールド、世界一の柔道家としては恥だった。
会場は騒然の大番狂わせだ。ドン・マッチの組織もテレビの放映権料、興行で莫大の収益を上げているにもかかわらず、大番狂わせで賭けの方が取り返しのつかない負債を背負った。

 サンはまたほんの数時間前の事を思い出していた。
ヴォルフの控室の前に、サンとガイゲルが立っていた。
「サン、あの二人、格闘家としてはどう思う」
「強い事は強いと思うが……それはプロレスの中だけだ」
「あんたの見立てではガチ(真剣勝負)で闘ったらどちらが強いと思うんだ」
サンは少し考えて口を開いた「……ヴォルフが少し強いと思うが、こればかりはやってみないと分からないレベルだ」
「お前がいると勝たせることは可能か?」
「決められた試合でも時としてアクシデントは起こる。絶対はないが」
そこにに鼻歌を歌いながら海野が軽やかに歩いてきた。
ガイゲルは懐のピストルを握った。


「海野はもう殺されているかもな……」サンの軽口にシマは睨み胸ぐらを激しく掴まえた。
「おい、おい、よせよ、冗談だ。あんたが負ければわたしも海野も殺されるが、それにマッチさんは約束を守る男だ」見かけによらずすごい力だとばかりにサンは首を振った。
「組織はそんなに甘いものではないのはお前も知っているだろ」珍しくヴォルフは強い口調で言った。マフィアの本当の恐ろしさを知っているかのように。
「あんた、ハンナとの試合にはわたしが絶対勝たしてやる」
「頼もしいな……」
「しかし、次の戦いは殺されるかもしれないぞ」
「ガトーとの戦いか」
「そう、わたしは鼻を折ったぐらいですんだが、1回戦で闘ったサントは全治2か月の重傷。やつはまさしくビースト・野獣だ。ゴングが鳴ったら歯止めが利かない」
「忠告ありがとう、それとずいぶん体が軽くなった」
そこにトムはやってきて「これでどうだ」と直したヴォルフのマスクを渡した。シマはマスクをしばらく眺め出来を確認し、マスクを被り後ろを紐で締めた頬や目、口を触る。「さすがおやっさんだ。素顔のようにフィットしている」
「新しいマスクも作ってみたんだが、試しに被ってみるか」「いや、今日はいい」トムは子供のような笑顔で言う、シマは丁寧に断った。
トムはマスクも作っているのか……本当の裏方、職人だな。サンは感心した。

サンは震える脚で遥か下のリングを天井から眺めた。
「すでに、ハンナはリングに入っているぞ、チャンピオンを待たせていいのか。今日の試合は全米、いや世界中にテレビ中継されているんだぞ」
「焦らすのもエンターテイメントさ」さも当然とばかり、ヴォルフは応えた。
出来たぞ!トムは二人を手招きした。「今日のは特別だ!かなり危険だがな!」
「さあ、ショーの始まりだ!」鉄で出来た黒く長い紐には片足を載せるためのステップが2つ置いてあった。
観客を興奮させた者が一番優れたプロレスラー……サンがビデオで何回か見た時、ヴォルフの登場シーン集があったのを想い出した。ショーにあまり興味はなかったが、リングの下のエプロンから登場したり、バルコニー席から飛び降りたり、観客を盛り上げるためにいろんな工夫をしているのだなと感心した。リングの下なら試合が始まるまでトムと一緒に潜んでいたのか、
バルコニー席から飛び降りた時は下にクッションを置いたのもトムの仕業か、そういえば相手のハンナも飛び降りるヴォルフを両手で受け止めていたな。手をかけ品をかけいろんなことをするもんだ、フッ、サンは想像すると可笑しくなって来た。
今日は天井からか、しかもかなりの高さがある。
「このステップに足を掛けろ行くぞ!命綱はない!強く握れよ!落ちたら命はないぞ!」ヴォルフは戸惑うサンに大きく声をかけた。
「おやっさん頼む!」「分かったよ」トムは悪戯っぽくウインクをする。

遥か眼下に豆粒のような観衆が見える。黒いロープがゆっくりと降りてくる。


第6話 怒りの獣神


 「えっ?」一斉にどよめきが響いた。ドームの天井の照明が突然消えたためだ。アリーナからの高さは約70メートル程、ドームの天井からするするとロープを垂らし2匹の蜘蛛が降りる。

 ユニコーン・ドーム、普段は格闘技のビッグマッチの他にNFLアメリカンフットボールの本拠地としても使用されている。米粒のような観客、唯一照らすリングもひと際小さく観える。
「ひ、ひ、高いとこ苦手なんだよ」サンの手足は小刻みに震える。「絶対、手を離すなよ!」下段のヴォルフはサンを見上げて言った。
そろそろ気づくころか……ヴォルフが思った。

「あ、あれ!ズィルバー・ヴオルフだっ!」
少年が震える手で天井を見上げる。

ヴォルフも気づいた、昨日、ユニコーン・ドーム前でぶつかった右足の不自由な少年だ。
その時突然、眩いばかりのスポットライトを浴びた。オーロラビジョンも切り替わり、ヴォルフの登場シーンをいろんな角度から映し出す。ヴォルフとサンの銀色のコスチュームがライトに照らされ眩いばかりの光を放つ。ヴォルフの登場を焦らされた観客は興奮のるつぼだ。
……さすが、ユニコーン・ドームの住人のおやっさん、完璧な演出だ。


「3秒後に下に飛び降りるぞ」
エッとサンは絶句した。
3、2、1とシマはカウントを取り出す。「サァッ!」と掛け声をして飛び降りた。
軽やかに空中で回転をしながらヴォルフは華麗にアリーナに着地した。
その後、くそっ、ドスッという鈍い音を立てサンは尻もちをついて落ちた。バシッと椅子は飛び散った。
シマはとっさに少年によって被さる、グッ、シマの背中に飛んだ椅子が当たった。
「付いてこい!」振り向きヴォルフはサンに呼びかける。
ヴォルフは椅子をなぎ倒しながらリングに向かって走って行く。観衆は逃げ惑う。
「クーール」膝まづいた少年は眼を輝かした。
……やはりあの女(ひと)だ。僕が足を不自由なのを知っていて庇ってくれた。

第7話 SAМURAI


「言葉ではいうのは難しいが……」マッチは目を瞑ったまま語り出した。
「サンをマネージャーにしたのはボディガードとエンターテイメントを学ばすためですか」
「サンにも一皮むけてもらわないとな」ヤシンの言葉にマッチは頷きながら応えた。
「ヤシン、確かもうヴォルフは用済みだといったな。女子プロレスの次はどうするんだ……」少しの事も聞き逃さないな……ヤシンはドン・マッチには敵わないなと思った。

「日本で解散したクラウディアのメインボーカル・ルナの興行を手掛けるつもりです。人気もうなぎ上りのようで、これからは音楽を中心とするエンターテイメントの時代ですよ」
「さすがだな……」ヤシンの抜かりない戦略にはいつも感心した。


ルナ!……シマさんと俺がプロデュースした日本のガールズグループ、カラーズ・ジェッツフェラルドと闘った世界的人気のガールズグループ・クラウディア。全世界が注目、日本武道館で行われた負けたらどちらかが解散の対バン戦。激戦の末、カラーズが勝利した。あとで調べて分かった事だが、クラウディアはメンバーをバラ売りにするためワザと負けたのではと噂される。何もかもスケールのでかい、そして陰謀渦巻くアメリカ、いろんな事が複雑に絡み合ってやがる……海野は腫れる顔で想った。
 怒涛のような歓声が控室にも響いてきた。
「始まったようだな! わしもこれから、世紀の大一番を観に行くとするか」
するとドン・マッチはガイゲルに目配せすする。

「女を使った迫真の演技だったが、残念だな……」ドン・マッチは椅子に括られた海野を見つめた。ウガ、ウガ、口を布で塞がれているため声が出ない、括りつけられた椅子を揺り動かす。
「カジノの本場、ベガスで鍛えたわしの眼はごまかせん」
ウグッと鈍い声を上げた。ガイゲルは背後に結んだ海野の握った手を強引に開きカッターを取り出す。
「ベガスの帝王、ドン・マッチさんの眼はごまかせんぞ。ルーレット、トランプさんざんイカサマは見て来たからな」そう言って、ガイゲルは海野の顔を平手で歪むぐらい殴る。
「やつ(ヴォルフ)の腕のテーピングに隠された反則用カッターか。よく出来ている。日本製か?」ヤシンは取り出したカッターを上にあげて珍しそうに見入った。天井からの照明に当てると透かして見えるほどの薄さだ。
そしてドン・マッチは海野の顔をまじまじと見る。
「・・・・・・ずいぶんの顔になっちまったな」
「ヤシン、ボスを連れて行ってくれ。ここは俺一人でいい、もう少し痛い目にあわします」
「ほどほどにしとけよ。海野の始末はお前に任せる。それと終わったらリング下にお前も行け」
「サンがしくじるとでも……」
「万が一という事もあるからな」今回は、失敗は許されないとばかりにドン・マッチは自分に言い聞かせるように言った。
「兄貴、ケントも来ているんだろ」
「ああ、観客席でほっといている」
「セリーヌが亡くなってから何年になる」マッチはガイゲルに尋ねた。
「もうかれこれ3年になりますか……」「そうか、もうそんなになるのか」
「暫く見てないがケントも大きくなったろう、そういや!ズィルバー・ヴォルフの大ファンだったな。勝ったらさぞ喜ぶぞ!」ドン・マッチの言葉にガイゲルはニヤリと笑った。

ドン・マッチの車椅子を突いてヤシンがゆっくりと出て行く。
ガチッ。海野には重い絶望のドアが閉まった。

第8話 パワーホール


ヴォルフことシマはコーナーポストに上がって、朝陽のようなスポットライト目掛けて颯爽と腕を上げる。
大歓声に包まれる。
場内はヴォルフコールに包まれる。
「ヒール(悪役)なのに。すごい人気だな」

銀のヴォルフとは対照的に黄金に輝くガウンを身にまといハンナは既に自軍の赤コーナーに対峙していた。

いつもなら、そのままなだれ込んで試合となる事もあるが、今回はファンタスティクゾーンの決勝戦でプロレスのWWWA世界女子チャンピオンベルトもかかった試合、ヴォルフも大人しくレフリーのボディ・チェックを受ける。大物政治家によるコミッショナー宣言、真剣勝負を醸し出している。

一通りのセレモニーが終わり、開始のゴングが鳴る前、レフリーを挟んで二人は腰に手を当て対峙している。

「サングラスをかけてるがあの女は確か、サン。ヴォルフ、話が違うんじゃないか」

カーーン、ゴングが広いドームに鳴り響いた。
「いろいろ事情があって・」
な!
最期の言葉と同時に至近距離からドロップキックをぶち込んだ。
たまらずハンナは吹っ飛ぶ。立ち上がるとローリングソバットを見舞うがハンナは後ろ足を掴み、ヴォルフを倒すと。グッと首を締め上げる。
「長く戦ったが、あんたとはこれで最期だ!」
ヴォルフは捻ってその場を逃れる。両手を合わせ力比べロックアップをする。
「うっ!」背中を反ると先ほど少年を庇った時の背中が痛んだ。
一瞬のすきにハンナばヴォルフの背後に回って華麗な弧を描きジャーマン・スープレックスに持って行く。
ワン、ツー。
ツーカウントで辛うじてヴォルフは肩を捻り、返した。
ヴォルフがフラッと立ち上がったところをロープからリバウンドしたハンナが右腕を出しラリアットを見舞った。
吹っ飛んだシマはリング外に転落した。
「子供を庇ったからか……非道なヴォルフさんにしては珍しいな……少し休め」サンは少し軽口を叩きながらシマに寄り添う。
「よけろ!」ヴォルフはサンを突き放す。
コーナーポストに登ったハンナは体を広げヴォルフにボディアタックで飛んできた。
ヴォルフはハンナの体を受け止めて、浸り側に体を捻ってキャプチュードで返した。ハンナは全身を薄い場外マットに思いきり打ち付けた。
レフリーは場外カウントを数える、14、15を数えた。
シマはロープを手に取りリングに上がろうとすると、再び後頭部から転落した。
ハンナはヴォルフのしっぽを掴んで引っ張っぱったのだ。
観衆は立ち上がり大喜び。
ヴォルフとハンナは顔を合わせ、リングに飛びあがり。二人は獣のように四つん這いで睨み合う。
「Оh、ビースト‼」
いつものムーブメントか……それにしても、異常なこの盛り上がり。サンは耳を押さえてあたりを見回す、男も女も子供も老人も立ち上がりありったけの力で叫んでる。興奮!テレビやビデオで見る事はよくあったが、実際のプロレスの生のリングは違う。遥か上空の巨大なオーロラビジョンはいろんな角度から顔や体や対峙する二人をアップで試合を映す。観客の興奮のボルテージは最高潮まで上がった。プロレスは観客やテレビを観ている視聴者との闘いでもある、それらを興奮させた者、皆に金を稼がせる者が最高のプロレスラー。
……こいつら格闘家の実力はともかく、観客を興奮させることに関してはプロ中のプロだな。
そこへ、バシッとハンナのマネージャーのサッカがサンにエルボーを見舞う。サングラスが吹っ飛ぶ。
「わたしを誰か知っているのか」
口が少し切れた、ペッと血を吐き出し。サングラスを拾い掛け直した。
サンがサッカに殴りかかろうとすると、リング下に待機しているサブレフリーが間に入った。
サンはリング上を見上げると、2人が空中バトルを繰り広げていてる。

「前半から、こんなハイスパートなレスリングだとバテるぞ」イエリッチはリングを見上げながら呟いた。まるで歌のロックのような攻守が続く目まぐるしく代わる素早い展開と動き。見ている方はスリリングで面白いが、レスラーは著しくスタミナを消耗する。
再びリングに落ちてきたのはハンナだった。
ハア、ハアと肩で息をしている。
ヴォルフもリング下に飛び降りてきて。
「サン、わたしを抱え上げろ」
サンは両手でヴォルフをリフトアップした。事前の打ち合わせ通り、ヴォルフの体はスマートで軽い、サンにとってわけもない事であったが、リングに戻すために投げるのか?
「ハンナ目がけてわたしを投げろ」
エッと思いながらも。知らないからな・・・・・・とサンは力任せに思い切って投げると。
息を切らしているサンにサッカが庇うように入った。
2人は揉み合うよう重なり合った。
リング上のレフリーがカウントを数える。
ヴォルフは必死の思いでリングに上がろうとするとハンナは尻尾を掴み引きずり落とす。

バシッ!
この野郎!振り向いたヴォルフの顔面めがけてハンナはエルボーを思い切り見舞った。もんどり打ってリング下のエプロンにヴォルフは倒れた。
その隙にハンナが素早くリングに上がった。
セブンティーン、エイティーン。
ヴォルフは、ハンナのパンチで切れて赤くにじんだ口元を押さえながら、「早くリングに上げろ!」とサンに命令した「あらよ」サンはシマの体を軽々とリングに放り投げた。
ハンナはヴォルフの腕を取り畳んでキーロックの態勢に入る。
ハンナはヴォルフの腕を絞る、ヴォルフの口元は歪み体をバタつかせる。正しくはキーロックで腕を絞るフリをして、二人は会話を交わした。
「おい!ハンナ、顔面にパンチを入れるから、マスクを半分ちぎれ!」
「ゆっくりやるが、正体がバレるかもしれないぞ」
「お前に任せる。その間、お互い暫く呼吸を整えよう。早くしろ!」
その言葉も終わらないうちにヴォルフは空いてる左手で反則のパンチをハンナの鼻の頭に入れる。ほとんど当たっていないのだがハンナは大袈裟にのけ反る。たまらず顔を押さえるフリをする、そして目には目をとばかり、ハンナはヴォルフのマスクの左眼の部分に指を入れ破りにかかる。
ウォーッ、会場は地鳴りのような大歓声に包まれた。

バリ、バリとハンナはヴォルフのマスク剥ぎをし始め。眼から額にかけて少しずつ露わになる。
ついに謎のヴォルフの正体が分かる。ドーム内の全てのビジョンはヴォルフの仮面のアップになる。

果たしてヴォルフはどんな顔をしてるのだろうか……
固唾を飲んで見守る者、マスク破りの暴挙に拳を振り上げ歓声をする者、巨大なドーム内が騒然となる。
「おいヴォルフ、早くカッターで自分の額を切れ!素顔がバレるぞ」
「すまんな……カッターを忘れちまった」「なに!この大事な試合に!」
ヴォルフは商売道具のカッターをマネージャーを救うために渡したとはもちろん言えなかった。

「いつも機械のように冷静なあんたにしては珍しいな……、ずっと闘っていたわたしには分かる。少し呼吸も乱れている、レスリングも焦っている。何かあったのか」ハンナはヴォルフのマスクに手をかけながら耳元で呟く。
「いや……」ヴォルフはそっけなく応えた。
「55分でわたしのピンフォール勝ちのブック(台本)だ」
「あと20分ぐらい時間があるな……これからどうするか……」
60分1本勝負、最期の試合。終盤で最高に盛り上げたところでヴォルフが負けるというシナリオだ。
「ハンナすまないが、殴って、額を出血させろ」ヴォルフはハンナに命令する。
……チッ、仕方ないな……とハンナは想いながら、ゴツ、ゴツンとハンナは破れたマスクのめがけ何回も鈍い音を立て拳で殴る
「いッ!」ハンナは顔を歪める。拳を痛めたようだ。
「あんた、顔に似合わず石頭だな。少しは血が出たようだ」

ヴォルフは大きく首を振りながらオーバーアクションで痛さを観客にアピールする。
「イェーーツ」ハンナは叫んで、血の付いた拳を高々と上げる。
このハンナのアジテーションに観衆は皆立ち上がった。

なおも、再び屈みヴォルフのマスクに手をかける。
「呼吸を整えたら。エルボーからいくぞ!」ヴォルフはハンナに耳元で囁いた。
二人は示し合わせたように立ち上がりヴォルフがハンナにエルボーを見舞う。ハンナの顔が歪む。腰を低くしてこらえ、ヴォルフの繰り出した3発目のエルボーにハンナは派手にマットに受け身を取った。ハンナのセールだ。技を受けたレスラーが派手に受け身を取るプロレスならではのやり取りだ。
ハンナは腰のバネを活かしスクッと跳ね上がり。お返しにヴォルフにエルボーを連発で見舞う。ドスッ、ドスッと肉のぶつかり合いの音がリングに心地よく響く。
手を握りながらエプロンからリングを見上げるサン。
興奮……これがプロレスか……大抵の観客もおなじみの定番ムーブメントを分かっているが、真剣勝負とはまた違う興奮だな……しかし、最後の結末だけは真剣勝負と思っている観客もまだ多くいる。

第9話 TIМE BОМB


 役員席を離れ暗い通路にイエリッチはいた。「ドン!」イエリッチは突然の二人の登場に驚いた。
「さすがイエリッチだな。こんなところで観客の様子を見ているのか……年甲斐もなく降りて来たよ」ヤシンに押された車椅子のドン・マッチは静かに呟いた。そして続けた。
「誰も気づかない。観客の誰もがリングを凝視している。熱い闘いだ」
「あんたとの会話は、5年ぶりか……」イエリッチは遠い過去を想い出すように言った。
「あの時は……生死を賭けた、まさにこの世の地獄の闘いだった」
わたしの自由の国アメリカへの忠誠心は本当だった。ちょうど5年前の第三次世界大戦、ハワイ島上陸作戦に退役軍人上がりの士官として参加したマッチは、ネオナチス軍の仕込んだ地雷で両足を失った。第二次世界大戦からの生粋の軍人だったイエリッチは一個大隊を指揮する大佐まで登りつめていた。その代償はアメリカ本土に残した愛する妻のマーガレットとの別れとなった。
退役軍人のマッチはイエリッチの補佐役でハワイ島上陸作戦に参戦していた。
第二次世界大戦中のノルマンディー上陸作戦を思い起こさせる激しい闘いであった。部下の多くの若い兵士が命を落とした。その時、助けたのはガイゲルとイエリッチだったという。わたしは両足を失いもはや意識がなかったが、また、生きて故郷に帰りたい一心であった。


 一方、イエリッチはこの戦いで戦争の虚しさを知った。 家庭を顧みず戦いに明け暮れるわたしに愛想をつかしたマーガレット。別れ話も一因となり、戦争が終わてすぐに軍隊を退役した。
もう人の命を奪い合う仕事はこりごりだ。その後イエリッチは傷ついた心を補うために、以前からしたかったクリエイティブな仕事、つまりスポーツ、エンタメ世界にのめり込んだ。魑魅魍魎、海千山千の興業の世界では珍しく誠実で実直な人柄。今やイエリッチの人格を慕う関係者も多い。ある者はプロレスバカと呼ぶ。そんなことはどうでもよかった、レスラーの手に汗を握るファイト、歓喜で叫ぶ観客、戦後暫く沈んでいたアメリカを再び奮い立たせた。イエリッチは生きている実感がした。
二人は戦争の英雄。共通する愛国心は今も変わらない。政府の復興への援助もあり二人は事業を拡大した。再びマフィアの世界に戻ったマッチは親からマフィアのドンの座を引き継いだ。そして興行と賭博で財を成した。


「太陽のような明るさを放つウィザード・ハンナ、孤児院出身の叩き上げ、アメリカンドリームを具現化するベビーフェイス(善玉)、一方、突如現れた暗黒の夜空に浮かぶ月のようなクールなヒール(悪玉)ズィルバー・ヴォルフ。最初は善対悪の対決。単純な売り方をして全米各地を回った。これが大当たりだ。ハンナはもちろん人気を集めたが、予想外はヴォルフの人気だ。イエリッチ、これをどう思う」ドン・マッチはイエリッチに問う。
「観る者の心を揺り動かしているな。始めは華麗ではあるが機械のようなに徹なファイトであった。戦いを続けていくうちにヒールとしての悲壮感、一人でアメリカにやって来たクールで強いドイツ女というギミックが今の時代に受けたのだろうか」
 アングルは大当たりした。アングルとは試合展開やリング外の抗争などに関して前もってそれが決められていた仕掛け、段取りや筋書きのことである。
二人は同じことを思っていた。ヴォルフはとにかく肝が据わっていた。いつ死んでもかまわない覚悟……女だが何故か軍人の匂いがした。
「わたしも言葉では言うのは難しいが、ヴォルフには悲壮感、殺気、情熱。人の心を大きく揺さぶる何かかあるような気がする。それとさっきヴォルフのマスクを外した正体を見た。やつはドイツ人ではない」ドン・マッチは言い切った。イエリッチは目を伏せて「……フッ、分かっていたよ。アジア人……多分、日本人だろう」
「どうしてそれを……」
「ハワイ上陸作戦は日本軍との合同作戦だったからな……日本人のメンターはよく分かっているつもりだ」
……くだらん、フッ、アジア人、日本人……どちらでもいい。ヤシンはマッチの後ろで冷めた感じで二人の会話を聴いていた。
「それとサンをマネージャーにしたのはボディガードだけではなくエンターテイメントを学ばすためか」「ああ、サンにも一皮むけてもらわないとな」
「ドン、何を企んでいる?」イエリッチは語気を強めた。
「フッ、企んでる? 人聞きの悪い」ドン・マッチは眼を閉じ首を横に振った。
「賭けの事は詳しくは知らないが。あんた、この間のサンとガトーとの試合でしくじったようだな」
「大したことではない」
「そうだといいが……この業界は狭い、悪い噂も聞く。ヤシンさんあんたもかなりのやり手だな」イエリッチはドンの後ろのヤシンに言葉を投げかけた。
「イエリッチさん人聞きの悪い。何を言うんですか……」ヤシンはイエリッチの只ならぬ威圧感に少したじろいだ。
「もうよそう、わたしも席に戻ろう」イエリッチは二人の元を離れリング下の役員席に戻った。
ヴォルフはバシッとハンナの首に回し蹴りを見舞う。
……日本の古武道、やはり日本の軍隊出身か、それも太平洋戦争前に学んだか……ヴォルフ、やつは本当にいくつだ。リングサイドの役員席に戻ったイエリッチは腕組みをして試合を見入った。

 暗い通路すぐ横の障碍者エリアにマッチとイエリッチは移動した。
「熱いな・・・・・・最後の闘い、確かめたい事があったが……やはりな。それにしてもいい試合だ」ドン・マッチの断片的な言葉をヤシンは理解できずにいた。マッチは続けた。
「ヤシン、体もその塗り薬の効果か、かなり楽になったよ。ありがとう」「褒めていただき光栄です」
「博打好きの研究所長を利用してナサカー製薬にかなり取り入ったか?」「ええ……」ヤシンは言葉を濁した。
「さかずだな抜け目ない。ガトーという格闘家もナスカー製薬の推薦だったようだな」
「トーナメントの格闘家4人を揃えるためのただの人数合わせでしたが、まそさか、こんなことになるとは……」
「まあ、済んだことは仕方がない。次のリアル・チャンピオンシップは残念ながら賭けの対象にならない。サンを秒殺したあの格闘家のガトーの力は圧倒的だ、勝負にもならないだろう」
「二人だけになったから言うが」重大な言葉の前にヤシンは固唾を飲んだ。
「この試合を見て決心した。病の事もある、もうわしもそう長くはない、この試合が終わったら、引退しようと思っている。そしてヤシンお前の手でこの組織を合法化にしてくれ」
ヤシンは心の中でほくそ笑んだ。
「子供のいないわたしだ……ガイゲルに組織を譲ろうと思う、どうだ」
「ボス!……」ヤシンの顔から血の気が引いた。そして、落胆した。昔気質のガイゲルの兄貴にこれからの組織運営は無理だ……なぜボスは?
「これからの時代。組織は近代的にしていかないとな。古いワシの時代は終わった。この試合を見てワシも決心したよ。ガイゲルは少し直情的なところもあるが部下達の信頼も厚い。ヤシン、お前もガイゲルを支えてやってくれないか、頼む」
ドン・マッチはヤシンの眼を見つめ、ヤシンの手を両手で固く握った。
「分かりました」ヤシンは頭を下げた。とりあえず……まあ、いいか。いずれにしても組織は俺のものだ。ヤシンは心の中で笑った。

第10話 キャプチュード


 力尽きた2人は白いマットの上に大の字に寝ていた。ヴォルフことシマの眼にはドームの屋根が音もたてずに徐々に開いて、漆黒の夜空が広がり出す。

……そういや、このドーム開閉式だったな……試合も終わり、トムのおやっさんの演出か……眩しい。

ヴォルフは眼を覆った。

……月か……フッ「月の竹」もこの試合を観たいようだな。

「狼……あんた月の化身か」同じ風景を観ていたハンナはヴォルフを横に呟いた。

「……さあな……昔、月に行ったことはあるがな……」「えっ?」突然のヴォルフの言葉にハンナは眼を見開いた。
ヴォルフの右手はハンナの左手首を握っていた、しっかりと。
「月は人を狂わせる、か……それにしても、疲れたな……」半分破れたマスクのヴォルフがハンナの横顔を見ながら呟いた。ライトを浴びて銀色に輝くヴォルフの髪の毛も破れたマスクから飛び出ていた。激戦のあとを物語っている。「……」お互いマットに寝たまま見つめ合うがハンナは言葉を発しない……女性初の月面パイロット、あの人だ……間違いない……
そしてヴォルフは不意にマットに耳を付けた。「!」ヴォルフは眼を見開いた。ヴォルフことシマは観客の大声援が遥か遠くに聞こえた。

「痛い!」ヴォルフがハンナの手を強く握ると悲鳴を上げた。

「あんた見かけによらず石頭だな、拳が骨折したようだ」
「すまないな……長い、長い闘いだったがもう終わりだ」
長い、長い……約半年間のヴォルフとの抗争、今日の大一番……ハンナはどちらとも取れた。
眩いばかりのリングを照らす照明と漆黒の夜空に浮かぶ月が2人の眼に入る。ヴォルフは呼吸を整えながら呟いた。
「あんたとはこれが最後の戦い……時間も頃合いだ」
ハンナは寝そべったままリングの横に目をやる。電光掲示板は55分ちょうどを示していた。
「さあ、行くぞ! サッカ……」ヴォルフはリングに寝そべったまま横のハンナを見てニヤリと笑った。
「?」
・・・・・・ヴォルフは秘密を知っている。
二人は示し合わせたように背中をバネに素早くブリッジをして同時に立ち上がった。
ヴォルフは手首を握ったままハンナに反動をつけ閃光一閃、首の後ろに延髄切りを見舞った。
「ヴォルフの切り札……」
「ヴォルフ・ブラスターだ!」
観客は目を見開き手を握る。

「あっ!」多くの観客が揃えたように声を上げた。
ハンナは身をかがめる。「ウッ!」ヴォルフの伸ばした脚は虚しく空を切った。
ハンナはヴォルフのバックに回り渾身の力で後ろにそり上げる。
……ここか。
サンがリングに上がりろうとする。それを阻止するべくマネージャーのサッカがサンの腰を掴んだ。振り向きざまサッカにパンチを見まい。目にもとまらぬ速さで、バシッとハンナの足を蹴り上げカットする。
ハンナはヴォルフを抱え上げたままマットに背中から倒れ込んだ。
くそっ!サンやつ!邪魔しやがって!ヴォルフは心の中で叫んだ。
バシッ!
素早く立ち上がったヴォルフはサンの頬を目がけ強烈な掌打を見舞う。手の平の部分で打つーー武道における打撃技の一種である。
強烈な一撃に、たまらずサンがリング下に吹っ飛んだ。

「仲間割れ?」観客は呆気にとられた。
「くそっ!見えなかった!」サンは跪き、頬を押さえる、口元からは血が流れる。

この掌打、まさか奴は……
ヴォルフは動きが変わった。獣のようだ。狂ったかのように首を振りロープ上段に飛び乗り、スタッとリング下に降りた。ヴォルフはすかさず観客席になだれ込む。突然の事に逃げ惑う観客。ヴォルフはパイプ椅子を手に取った。
「サッカ!いや入れ替わったハンナ!」ヴォルフは椅子を持ったまま仁王立ちになり。サンと対峙する。
……ヴォルフが変わった……いつも冷静沈着なヴォルフが、理性を失った……この威圧感、恐怖は何だ……
サンは立ち上がり、少し怯えた。今までいろんな相手と闘ったが、全くない経験であった。
「サンを羽交い絞めしろ!」
こんなマネージャーの羽交い絞め、うん、何だこの力強さは。

バシッ! バシッ!
シマはパイプイスを振り上げ何度もサンの頭めがけ落とす。
・・・・・・やはり、やはり、ヴォルフは、イエリッチにも言われた重大な秘密を知っていた。サッカは産まれてまもなく侵略してきたドイツ兵に顔に傷つけられ、ポンチョを被った謎の覆面マネージャーということににしている。それが真っ赤な嘘で、顔に火傷もなく、普通に喋れる。わたしたちが瓜二つの双子の姉妹だということを……
そしてリング下に降りた時にいつも入れ替わってレスリングしていることを。2人で交代で一役をやっている。無尽蔵のスタミナ、いつも予想を上回るキレのある技、ウィザード・ハンナとはこのことだ!

今日の試合は、サンがヴォルフをリフトアップしてハンナに投げ、ぶち当たったときにどさくさに紛れて入れ替わった。さすがウィザード(魔術師)だ!瞬時に入れ替わることが出来る。ウィザードには種明かしがある。瞬時に入れ替わることが出来る。

 サンは別の事を思っていた……いい音はするが、音だけだ。手加減して椅子を振り下ろしているな。ショーマンプロレスだ、見せ方を知っている。
あの眼には見えない速さ、強烈な掌打の感触。ま、まさか・・・・・・あの獣のような瞳。そうか分かった。奴はガトーだ。香水を使って匂いも変えたな。ガトーは全身をすっぽり包む全身タイツ、その筋肉も分からなかったからな。それより、雰囲気、仕草が違いすぎる。大した役者だぜ!
「ブック(台本)破りをするつもりか?奴(海野)は殺されるぞ!」ハンナはとっさに叫んだ。
「フフフ……」ヴォルフは口元から不敵な笑みを浮かべる。
「赤いマスクのハンナあとは頼むぞ」サッカと入れ替わったハンナに言った。赤いマスクのハンナはサンの胴体を羽交い絞めにした。
シマはそう言い終わるとリングにサッと上がった。

リング上、ハンナ役の妹のサッカにバシッ、バシッと張り手を見舞う。
サッカのブロンドヘアを鷲掴みをし、引きずりまわした後、頭を右脇に抱えヘッドロックをかける。
「入れ替わっているのをよく見破ったな」
「これだけ闘って肌を合わせれば、顔と体は全く同じでもイヤでも分かるさ」ヴォルフはサッカの頭を腰を落としグイッと締め上げる。
「賭けは、わたしのギブアップかピンフォール負けが条件だったな」ヴォルフは何回も大袈裟に締め上げる振りをして、サッカと会話を交わした。
「邪魔が入って、予定よりだいぶ時間が過ぎてしまった」なおもヴォルフは腰を落とし締め上げる振りをする。

ヴォルフことシマは掲示板を横目で見た。大きな電光掲示板は59分を示していた。

「時間がない……さっさと後ろに投げろ」ヴォルフはサンに命令した。
「分かった!」
ハンナは返事をすると、ヴォルフの背後に回り、腰に両手を回し手をグリップした。そして、大きく弧を描き反り上げた。
ジャーマン・スープレックス体制だ!
終わった……ヴォルフことシマは眼を瞑った。あとは投げられるだけ……投げられるだけ。
その時、シマの耳にブチッと鈍い音が聴こえた気がした。
ドスンとシマはそのまま後頭部を強く打ちつけたにもかかわらず、どうして!どうしてだ!とヴォルフは心の中で叫んだ。
右足を抱えのたうち回るサッカ。
早く押さえろ!シマは上半身を起こし、サッカがリングのどこにいるか探した。
サッカは右足を九の字に抱えもがき苦しんでいた。
フォールしろ!早くフォールしろ!ヴォルフは心の中で絶叫した!

「ヴォルフ!フォールだ!フォールだ!殺されるぞ!」サッカと入れ替わったハンナに羽交い絞めにされたサンは叫んだ。その叫びも5万人を大声援の前にかき消された。

第11話 吹けよ風、呼べよ嵐


56、57、58、59
秒のカウントが刻々と進んでいく、そして・・・・・・
00
60分
カン、カン、カンと無情のゴングが広いドームに響く。
「タイムアップ、時間切れ引き分け!……」
歓声とも怒号ともとれる観客の声が耳をつんざく。

……殺される!

間に合わなかった!ハンナを殴ってリングにやっと上がったサンは立ちすくんだ。
ヴォルフはバシッ、バシッとマットを叩く。

「ウォ――ッ!」ヴォルフはまるで狼が吠えるが如く観客に向かって叫ぶ。

イエリッチ、サン、妹サッカのフリをしたハンナ、ドクターがリングになだれ込む。
プロモーターのイエリッチが顔を上げしゃがみ込んでいるヴォルフの肩を叩き小声で呟く。
「さすがプロだな、見事な演技だ!勝ちにこだわっているように見える……」

こんな大事な試合なのに……イエリッチはヴォルフの冷静な対応力、臨機応変さに舌を巻いた。

イエリッチはハンナに成りすまし、リングでのた打ち回っているサッカを横目で見ながらヴォルフに言う「しかし、なんてこった……結果的にブック(台本)破りになっちまった!」
ハンナはハンナに成りすましてるレスラーの妹サッカを抱き締め、リングドクターと伴にサッカの足の治療を始める。
「アクシデントだ!サッカ、早く元のハンナと入れ替われ」リングを移動しイエリッチは麻酔を打ってとりあえず痛みが静まったサッカの耳元で呟き指示をする。
しゃがんだままリング中央で茫然とするヴォルフ。
「アクシデントや怪我はよくあることだ。仕方がない、魅せる真剣勝負だからな」ヴォルフと眼を合わし、破れたマスクの頬を両手で触りながら言った。さすが百戦錬磨の敏腕プロモーター・イエリッチだ、現状をすぐさま把握して適切な対応をする。


その頃、居てもたってもいられずドン・マッチはヤシンに車椅子を突いてもらいリングの傍に来ていた。
「どういう事だ!どういう事だ!試合は引き分けだと……」
これまで多くの修羅場を経験したドン・マッチも唖然とするばかりであった。
「大損害だ!」ヤシンは叫び、携帯電話を取り出し情報を収集する。
「どうなった!」
「なに!引き分けのベット(賭け)に大口が入っている!どこからか至急調べろ!」
「出所が調べるのが違法は分かっている!そこをなんとか調べるのがお前たちの仕事だろ!」
普段、冷静なインテリマフィアのヤシンが珍しく捲し立てて喋る。

これで殺される……サンはリングで震えていた。「暫くリング下に降りるんじゃないぞ」イエリッチは横目でドン・マッチやヤシンの動向を眼で追いながら、サンの耳元で伝えた。
……全てを知っているのかこの男。サンは震える足で驚愕した。

 ハンナの勝ちブック(台本)……ヴォルフはわたしの約束を守った。多分、ドン・マッチファミリーに脅迫されてブック破りを命令されたのだろう。サンとマネージャー海野の命と引き換えに。ケリをつけるためリングでハンナと寝て呼吸を整えていた時、確か、ヴォルフは妙な表情をしたな。ここでハンナに勝ちを譲る判断をしたのか……サンは、わたしが暫く保護するのはヴォルフの織り込み済みとして、海野の命がどうなった? この試合わたしが操っていると思ったが、ドン・マッチでもないとんでもない巨大な力で操っている者がいるような気がする。知らない間に操られている……手の平で踊らされている。イエリッチは得体の知れない恐怖を感じた。


混乱するリング上と観客席にアナウンスが入った。
「コミッショナー、ネバダ州政府と協議の結果、只今の試合結果は……引き分け」
再び5万人の観衆から混乱した歓声、怒号が飛び交う。「只今の試合は引き分けです」
試合が賭けの対象となっているためか、アナウンスが連呼された。
「ボス、コミッショナーに好きなようにやらせていいのですか」ヤシンはドン・マッチに問いかける。

「只今、リングコミッショナーから連絡がありました。休憩後に時間無制限の再試合を行います。この試合は延長戦ではありません。ハンナの所持するWWWAチャンピオンシップは防衛。再試合はリアル・チャンピオンシップ進出者を決める戦いです」
再試合のアナウンスにドッと超満員の観衆から大歓声が沸く。大多数の観客はこの勝負の決着を見たかったのだ。マッチは振り向き観客の顔を見渡した。「これ以上の混乱はわたしにとっても不本意だ。仕方がない、これがルールだ」ドン・マッチは自分に言い聞かせるように言った。

第12話 AO CORNER


 サンは重い足取りで、しゃがんだままのシマを自軍の青コーナーポストに引きずって来た。
椅子に座らせ、ペットボトルを開けてヴォルフことシマの口に入れてやる。腕や肩をマッサージするサンは、今日一日ずっと引っかかっていたことの答えがやっとわかっ来た。
頭は混乱していたが一昨日殴られたの掌打の感覚を覚えていた。そしてその感覚は確信に変わった。ヴォルフはガトー・グワジ・ヤシンだ!間違いない。
「あなたが、ガトーだったとは……」
ふっ、やっと、気づいたようだな……ヴォルフことシマは小声で応えた。
ガイゲルもリングに上がって来た。
「俺はこれでも組織の興行担当だからな。無事終わらないとこちらも困る」
ガイゲルは裂けたマスクから覗く割れた額の血をタオルで拭き、止血をし始める。
「海野は殺ってないだろうな」
「さあな……」ガイゲルは惚けた顔をすると、「くーっ、苦しい」シマは有無を言わさずガイゲルの太い首を両手で締めあげ首め上げた。ガブッ、さらに噛みついた。
……自己暗示か、急に野獣に変貌する。普段は機械のように精密な頭脳を持ちヴォルフ、そしして野獣にも変化できるのか。
おいおい……また、仲間割れか。相手のハンナ陣営も手を止めた。
慌ててサンは二人の間に入る。「ハッ、ハッ、あやうく噛み殺されてるところだったぜ、クールなあんたにしては珍しい。あんたほどの女が……うらやましいぜ、よっぽどあの男が大切なんだな」
「ガトー・グワジ・ヤシンがあんただったとはな……」ガイゲルも気づいていた。ヴォルフの手を引き再度椅子に座らせた。
「裏で手を引いているのはヤシンか。あんたがヤシンと結託して、いやあんたが利用してガトー・グワジ・ヤシンに名前を変えてアルティメット・トーナメントにエントリーした。最後のヤシンと言う名前に早く気づくべきだった」ガイゲルは続けた。
「それにしても何故だ。サンを秒殺したお前の腕なら、ハンナも簡単に倒せそうだが」
「それが、プロレスの奥深ささ。サンもそのうち分かるようになる」ヴォルフはつっ立っているサンを見つめた。足が震えている、サンは早打ちのガイゲルに殺されるのではと思っていたようだ。「リングにいるうちは大丈夫だ」ヴォルフはサンに言った。

「……それと控室で素顔を見て気づいていたが、あなたは何故か若返っているが日本軍の連合艦隊司令長官・浦シマ……」

ガイゲルの言葉にヴォルフことシマは眼を見開いた。「司令長官ともあろう方が我々の目の前で、こんなもの渡しちゃいけませんよ。慣れない口づけと、すぐにバレます」ガイゲルは服のポケットから海野に渡したはずのカッターを取り出した。「……」ヴォルフは顔をそむけた。「これは頂いときますが、あなたが海野を想う真意はしっかりと伝わりました……」

リング上が混乱する中。ガイゲルが不意に横を振り向くと一人の少年が立っていた。
「ケント、なんでこんなところに!」リングからガイゲルは声をかけた。
座っているヴォルフは憂えの眼で少年を見つめる。ドーム前であった少年、天井から登場時助けた少年が……ガイゲルの息子だったとは。
戻れとばかり制止する警備員。
「すまん、俺の息子だ」警備員が腕を離すとコーナーに駆け寄って来た。
「ヴォルフさん、ヴォルフさん!絶対勝ってくださいね!」ケントの眼は涙であふれ、両こぶしを握り締め力の限り叫んだ。
ガイゲルはリングから降りそっとケントの肩を抱いた。

 その時、数人の黒いスーツを着た男がバッジを見せながらリングサイドに入って来たのをガイゲルは気に留めた。
なに、レイトン刑事……ガイゲルは旧知のレイトンに目配せした。そして不安がよぎった。なぜ試合の真っ最中に警察が。

第13話 風になれ

 もう1人、シルバー・ヴォルフがガトー・グワジ・ヤシンという事に気づいた男がいた。
それは恐るべき慧眼の持ち主、プロモーターのイエリッチ。
……まさかな、やつかがガトーだったとは。そして、連戦の疲れからか、それ以外のメンタルの問題かかなりコンディションが悪そうだ。リングのイエリッチはヴォルフのいる青コーナーに近づいた。

「試合は終わった。あんたとまた喋れるようになったな……試合は引き分けだ」ぼろほろになったヴォルフのマスクを見つめながら極めて冷徹に言った。「あんたにとってもわたしにとっても残念な結果だが、判定は確定だ。アクシデントはレスリングにはあることだ、仕方がない」その言葉にヴォルフは珍しく肩を落していた。

 イエリッチはヴォルフの肩を叩き「この後の戦いは、ケジメとしてしなければならないようだ……出来るか」中止にすれば観衆の暴動が起きかねない……長年の経験からイエリッチは直感した。イエリッチにとってすでに賭けも勝敗も関係のないことだった。この興業を無事終わらせる、出来れば興奮と笑顔でお客を帰らせる、それしか頭になかった。
「プロだからな……しかし、このマスクが」ヴォルフはゆっくりと頭のマスクを指した。
「ルールミーティングで二人とももう限界だろうと言ったなのは覚えているか」イエリッチの問いに見上げて「ああ……」とヴォルフは力なく応えた。
「ヴォルフ、独り言として聴いてくれ。ハンナは病気を抱えている。いずれにせよこの試合で引退させようと思っていた。女子プロレスラーの寿命は短い。それに2人で1役をやっていた事もいずれバレるだろう。あんたもかなり体が傷んでるな。そんなに長くレスリングをやるつもりではないようだ、自ら身を削っている。刹那的な戦い方を毎日見ていれば分かる。何よりあんたは何か別の目的を持ってリングに上がっているような気がする……それにあんたは、本当のプロレスラーではない」

 そして、プロモーターでありこの興業の責任者であるイエリッチはヴォルフのいる青コーナーからハンナのいる赤コーナーに向かった。
「出来るか、ハンナ」サッカと入れ替わったハンナに声をかける。長年付き合い秘密を知っているイエリッチでさえ見分けのつかない双子だ。
「短い時間なら何とか……」
イエリッチは知っていた、ハンナが心臓の病気を持ち長い時間戦えないことを。そして一人で闘っているヴォルフも長く戦えないことも。
サッカは取り敢えず痛み止めの注射を何本か打ったようだ。松場杖をついてポンチョを被り赤いマスクでリング下にいた。なぜ、サッカが急に松場杖をつくようになったのか気に留める者は誰もいなかった。
「全力でやってくれ、もう次のリアル・チャンピオンシップは無くなった」
「えっ、なぜ」ハンナはイエリッチに問う。
「詳しくはマネージャーのサッカに聞くことだな、プロモーターの俺からはこれ以上の事はいえない。ただ、これだけは言える再試合は、リアル・チャンピオンシップ進出者決定戦ではない。この試合がリアル・チャンピオンシップだ」二人は青コーナーを振り向いた。


第14話 GRAND SWОRD


 シルバー・ヴォルフ、得体の知れないレスラーだ、いや格闘家とでもいうべきか。真の格闘家の実力ではサンより弱いと思うが、相手を徹底的に研究し、勝利を収めた。理系出身、元科学者だろうか。長期戦なら絶対勝てない、勝てるとすれば一瞬それに賭けた。サンの油断があったかもしれない、強さとは何だろう……そもそもなぜヴォルフが格闘家になったのだろうか、なにか別の目的を持っているような気がする。底の見えない女だ。まだ若いようなのに戦時中の兵士のような生死を賭けた経験を積んでいるようにも見える。まてよ、赤コーナーにいたイエリッチは再びヴォルフに近づく。
「かなりダメージのようだな。もうすぐゴングが鳴るがいいか?」
そう言いながらイエリッチはヴォルフの破けたマスクから顔を覗いた。
そして震える手でマスクに手をかけ。
「あんた、日本の浦シマ元総理!いや連合艦隊司令長官!」小声で呟く
ヴォルフは殺気の眼でイエリッチを睨む。
「いや……なんでもない」
そう言い終わるとイエリッチは振り向き再びハンナの赤コーナーに向かう。

 間違いない、何故か若返っているが……わたしの憧れの女(ひと)。

 第三次世界大戦、わたしはアメリカ軍の作戦参謀として洋上の連合艦隊旗艦戦艦大和に乗り込んだ。その時、連合艦隊司令長官の彼女は白い軍服を着て微笑んで迎えてくれた。何故、今まで気が付かなかったんだろう。
ヴォルフは日本の元総理で最期の連合艦隊司令長官、浦シマ。なんでだ、しかも若返っている……シルバー・ヴォルフとガトー・グワン・ヤシンそして浦シマが同一人物。

 わたしが伺い知れないことがベガスで行われている。これだけマスクが破れると……試合中に正体がバレる、元日本国総理、連合艦隊司令長官の浦シマが女子プロレスラーになって戦っていることが知れ渡ったら世界中が大変だ。彼女の命を狙う組織も出てくるだろう、このままでは戦えないな。テレビの視聴者も観客も今は休憩中だ。どうする……中止にすべきか……再度、プロモーターのイエリッチは逡巡した。

「これからはわたし一人でする。相手もマネージャーの妹サッカが重傷だ。本当のハンナとの一対一の勝負だ」ヴォルフは血の滲む唾をバケツに吐きながら口をゆすぎ、セコンドについているサンに言い切った。

「狼女!苦戦しているようだな!」男の呼びかける声がする。

「屋根裏から降りて来たのか……」ヴォルフが振り向く。
トムがマスクを手にコーナーサイドに来ていた。
「こういうこともあろうかと、新しいマスクを作っておいたよ」
持って来た新しい銀狼のマスクをヴォルフに渡した。
そしてトムはリングのエプロン下を指さした。

また潜るのか……ヴォルフの口は笑っていた。
察したかのように、すぐさまリングを飛び降りてエプロン中に入った。


 対面の赤コーナーでその様子を見ていたイエリッチとハンナ。
「さすがユニコーン・ドームの主。再試合が無事、出来そうだな……」「ええ……」ハンナは応えた。

ヴォルフはエプロンに隠れてマスクを入れ替えるとすぐさま青コーナーに戻った。
……なんという早業、マスクも前より精悍に、まるで本当の狼だ……
ガトー・グワジ・ヤシン、野獣で闘う!か
そのマスクはヴォルフの眼が吊りあがり口が大きく裂けているようにみえた……サンはシマことヴォルフの雰囲気が一変した事に気が付いた。


 試合の責任者であるイエリッチはゴング係に指示をしようと、リング下に目を落とす。その時、イエリッチの顔は見る見る青ざめた。。

ドン・マッチとヤシンの周りを数人の男が取り囲んでいた。静かにそして観客に分からないよう薄暗い通路に連れて行く。
「ドン・マッチ、逮捕令状だ」
主任と思われるレイトン刑事が重い口で伝えた。
ドンは振り返りヤシンの顔を見る。
「そうか……」といって眼を瞑った。
カーーン。
その時、再試合のゴングがドーム内に鳴り響いた。観客は皆立ち上がり力の限りの歓声を上げ、歴史的な一戦を見逃してはならぬと注目している。
「一生に一回見えるかどうか……素晴らしい試合だ……あんたも邪魔をしたくないだろう」
レイトンがドン・マッチに呟く。
世紀の一戦、警察も逮捕の様子が周りの観客に悟られないようにそしてテレビに映らないようにタイミングを見計らったようだ。


第15話 爆勝宣言


 騒然とした5万人を超える観客が入った巨大ドーム。
ヴォルフは左腕を伸ばし間合いを取る。背中を丸め両手を猫のように構えたままハンナはヴォルフの周りをゆっくりと回る。
普段なら、わたしと手と手を合わせロックアップの態勢になるのに……違う、いつものヴォルフではない、格闘家のヴォルフ。
シマはヴォルフの破れた覆面の口から長い舌を出していた。
ハンナの見えない角度から拳が来た!バシッと鈍い音を立てるとハンナはかなり効いているのかボクシングの試合でダウンするかのようによろけた。
「反則だ!プロレスでナックルパートは反則だ!」
サッカはリング下から叫ぶ。5秒までは反則は許されるプロレスの曖昧なルールはサッカも知っていたが叫ばずにいられなかった。
さらにコーナーにつめハンナに膝蹴りを容赦なく見舞う。ハンナは口の中を切ったのか血が噴き出た。
殴る、蹴る。総合格闘技……ヴォルフがガトーのような格闘をするなんて。
……自己暗示、御苦労なこった。ヴォルフは本当の狼になったんだな。
リングから静かに戦況を見守るサン。
すぐさまハンナのこめかみめがけて目にも見えないハイキック、回し蹴りをする。
リング下に吹っ飛ぶハンナ。圧倒的な強さだ。
……勝負あったな。サンは想った。
「サッカ、早くタオルだ。姉貴が殺されるぞ!」役員席のイエリッチが叫んだ。
マネージャーのサッカはリングに負けを認める白いタオルを握った。
すると追い打ちをかけるようにヴォルフも四つん這いの態勢でリング下に飛び降りた。ハンナに飛びかかり肩に噛みつく。
「汚ねえぞ」
松葉杖をつきながらサッカがもつれ合っている二人に寄ると誰かが敗戦の白いタオルを持った手を掴んだ。
サンだ!
「もう、二人だけの世界だ。見守ってやろう」
リングに上がろうとロープに手をかけるヴォルフ。傷ついたハンナはたまらずヴォルフの銀色の尻尾を掴んだ。
ドスンとヴォルフは力なく後頭部から転落した。
……自己暗示、狼になり過ぎたのか。尻尾まで感覚があるとは。
サンは唖然とした。
……抜群の運動神経を持つヴォルフが……何故。
あっけにとられたハンナは、すぐにリングに飛びあがった。
セブティーン、エイティーン。
後頭部を押さえながら頭を振りリングに上がって来るヴォルフ。
待ち構えたハンナはすぐさま渾身の力を込め無重力のようなドロップキックをヴォルフに見舞った。
コーナーポストまで吹っ飛び再び後頭部を打つヴォルフ。

その時、ヤシンの胸ポケットからベルが鳴る。
「うるせーな。今、取り込み中だ!」と怒鳴った。携帯電話の相手はそれにかまわず喋り続ける。
「ヤ、ヤシンさん分かりましたよ。偽名を使ってますが引き分けの大口賭け主は大会スポンサーのナサカー社の口座からです」
「な、なに! ナサカー社」
「間違いないです、それにしても何故スポンサーが、それもナサカー社ほどの巨大コンツェルンが」


刑事たちがヤシンをどかし車椅子を押しマッチを連行して行く。

イエリッチがヤシンに寄って来る。
「計画通りと言うべきかな、最後は少しシナリオとは違ったか」
「……フッ」
「ドン・マッチは当分刑務所から出て来れない、そして大病を患っている。これから組織はあんたのものだ……」
「……何を言うのかな、イエリッチさん」ヤシンは口の周りに手を当て惚けた。
「ガトーの正体がヴォルフとはあんたも気づかなかったようだが、ガトーにサンのビデオを渡したのはあんただったとはな。アルティメット・ゾーン決勝戦で動きを見切ったガトーはサンを秒殺した。あんたもまさかガトーが勝つとは思わなかっただろうが……ドン・マッチはその件で大損をした。頭のいいあんたは千歳一隅のチャンスが到来したのを見逃さなかった。法を犯し無理な大博打をしなくてはならなくなったマッチを警察に売った。しかし、この試合の引き分けは予想外といったところか」
そして、イエリッチはもうひとつ疑問に思った。なぜ、ガトーに変身したヴォルフつまり浦シマがドン・マッチ一家に近づいたのか、何か目的があったのではないかと。
 1年前、ヴォルグはマネージャーの海野を従えて突然わたしの前に現れた。
最初は粗削りだったが、どんどん成長していった。ヴォルフはとにかく呑み込みが早かった。
わたしの教えを守った。今から思うと戦艦大和の数時間でわたしの素性、わたしの性格を知っていたのだ。恐るべしは浦シマ。
ドイツの女狼、日本軍出身のマネージャー、憎き独日連合を叩きのめすこのアングルは大当たりした。手の合うアメリカ娘ハンナとの抗争はドル箱になった。

興奮気味のヤシンの肩を叩く男。
「ヤシンお前も逮捕令状が出ている」主任刑事のレイトンが逮捕令状を見せる。
「話が違う。なぜ……俺も。署長を呼び出してくれ」
「署長も捕まったのだよ」
「違法賭博罪だ……」
戸惑うヤシン。ドン・マッチ一家はネバダ州警察と親密な関係、一体全体何事だ……イエリッチは茫然とした。

やはり見えない大きな力が動いたようだな。ヤシンも叩けばかなりの埃が出るが……
それにしても疑問だ。元日本国総理大臣で最期の連合艦隊司令長官……シルバー・ヴォルフとガトー・グワジ・ヤシンに変身した浦シマともあろう女が何故、マフィアのドン・マッチ一家に接近したんだ。


第16話 SKY HIGH


 数人の私服刑事に囲まれて退場していくドン・マッチとヤシン。声を上げ拳を突き上げ総立ちで熱狂する観客は気にも留めない。
ドン・マッチとヤシン。二人はプロレスを愛さなかったし、愛されなかった……イエリッチは想った。
「な……ぜ」茫然と立ち尽くガイゲル。
レイトン刑事の顔を見る二人。ガイゲルとそしてもう一人は息子のケント。
「レイトンおじさん……」
レイトンはガイゲルが仕事でいないとき、密かによく会っていた。カフェで公園で父のガイゲルには秘密であった。

……あれは、アメリカではよくある強盗事件だった。わたしともう一人の同僚とで銃撃戦になった。幼いケントと買い物に出でいた妻セリーヌ。不運にも流れ弾に当たり、同僚とセリーヌは死んだ。ケントも右足に深い傷を負った。犯人は退役軍人。ガイゲルは銃と戦争を憎んだ、その日以降、ガイゲルが銃を持つが決して弾かないのをレイトンは知っていた。早打ちガイゲルは過去のものだという事を、見せかけだという事を。

 ガイゲルはレイトン刑事の肩を叩いた。レイトンが振り向くとは、バシッと突然顔を殴ぐった。
「すまんな」ガイゲルはレイトンに頭を下げた。
吹っ飛んで倒れたレイトンはハンカチで口元を拭いながら「ドン・マッチのお供か……馬鹿なやつだな」
……不器用な男だ。強面の顔、ヤクザな仕事。気を使ってセリーヌとケントと一緒に街を決して歩かない。あの時、一緒ら歩いていたら、もしかして……過ぎ去った時はもう戻らないか、レイトンはガイゲルの手にしぶしぶ手錠をかけた。
「慌てることはない。最後まで観てから署に行こうか。俺もハンナとヴォルフのファンでな。この試合は絶対最後まで観たい」
レイトンはガイゲルとケントの肩に両手を置いた。


何度も奇跡を起こした太陽のマジシャン・ウィザード・ハンナ、月の銀狼・ズィルバー・ヴォルフ。
一方リング上ではコーナーポスト最上段に登ったハンナ。深い深呼吸をし眩ゆいばかりのライトを見上げる、そして胸を押さえた。

リングで一番高い所にいるハンナ、相手のヴォルフは息も絶え絶えにリングの中央で大の字になっている。ヴォルフのマスクが汗と疲労で歪んで見えた。ハンナは左胸を押さえ。
……持ってくれよ、私の心臓。
「あっ!スワンプレスだ!」
太陽目掛け飛び立つように、リングを照らすライトに向かって高く高く白鳥のようにハンナは飛び上がっった。空中で捻りを加え錐もみをするダイビングボディプレスだ!
マットにダウンしているヴォルフは強い衝撃にたまらず上体を起こす。
観客は腕を振り上げレフリーと伴にカウントをする。
ワン!
ツー!
誰しもが決まったと思ったが、ヴォルフはすんでのところでハンナの体を返した。
すかさず、ハンナめがけてヘッドバットをする。
止血したヴォルフのマスク越しの額から再び血が滲む。
やるなとばかり、ハンナはニヤリと笑ってヴォルフの顎を目掛けてエルボーをくらわした。
ヴォルフは首をフラフラさせながらも張り手チョップで返す。
二人の応酬にドームは大歓声だ。
叫ぶ者、涙を流す者、拳を上げる者。
「美しい……プロレスがこんなに美しいとは」サンはリングを見つめて零した。

ワン、ツー、スリー!
決まり手はハンナの繰り出した飛び蹴りのマジック・ウィザード。
事これに及んでは決まり手などどうでもよかった。緊張感、華麗、興奮、熱気。今まで観た最高の試合……観客の誰もが思った。
ビシューツとロケットが噴射するような音がすると、リングの四方から金色と銀色の紙吹雪が飛び出た。
天井に届かんとばかり高く舞い上がり、紙吹雪はアリーナ全体を覆った。
ハンナは赤のコーナーポストに駆けあがり勝者の拳を高々と上げた。
そして、敗者で片膝をついて蹲るヴォルフに近寄る。
「なぜ、避けなかった」
ハンナは不思議だった。華麗でダイナミック、文句のつけようがない大技のスワンプレスだが、隙があり避けよう思えばすぐに避けられるプロレスならではの魅せる大技。
「プロレスが好きだからかな……そしてあんたも」

ハンナはリングに上がって来たサッカ、イエリッチ、関係者にもみくちゃにされる。

「イエリッチ!」ガイゲルは叫んだ。リングの上にいるイエリッチに叫ぶと、目を合わせ、分かったよとばかり少し頷いた。
全てが終わった、混乱の中手錠を服で隠されたガイゲルはレイトン刑事に連れられ会場を後にする。

「最期の願いだ……もう少しリングにいてもいいか?」
「何かあるようだな……分かった」
マントの真ん中で、ハンナは両手でヴォルフの手をしっかり握った。……あんたとは、もう最期だな……ハンナは二度と会えないような気がした。

ドーム内に拍手と大歓声が起こる。2人は立ち上がり握った両手を上げ四方の観客に向かい挨拶する。

プロレスの神様に世界中で最も愛された女。
ファンに肩車をされたハンナは足を引きずるサッカと伴にハンナのサポーターを引き連れてドームの外に出て行く。
……ほとんどの観客は人生最高の試合を観た。家族で、カップルで、仲間と友人と一人で、あの笑顔、興奮した様子、涙を流している者もいる。最高の気分で家路につくんだな。

サンに抱えられ自軍青コーナーに引っ張られたヴォルフは精魂尽き果ててぐったりしている。
残った観客から拍手が起こる。イエリッチは一人残ったケントにリングに上がって来いと合図した。サンはリング下に降り足の不自由なケントを抱え上げる。
ロープを広げイエリッチはケントを招き入れる。

そしてイエリッチは言った「みんな逮捕された。お前の命は大丈夫だよ」サンは頷いた。

「興奮が収まらない奴らには、ハンナが外でカーニバルをやってくれるよ。エンターテイメントのアジテーションは世界でハンナの右に出る者はいない。これはあのヴォルフもガトーも、そしてサンあなたも敵わない」イエリッチは笑った。
ケントはコーナーで蹲ってるヴォルフに近づき。
涙目でただ一言「ありがとう……」と言った。

第17話 インテグラル・ハート


 会場から退場を促すアナウンスが何回かされた後。リングを照らす照明も落とされた。

静寂のリング、中央に座るヴォルフをイエリッチとサン、そしてケントの三人が囲んでいた。
「もう会場には誰もいない、なにか特別な事情があるようだな……わたしたちもお望み通り去るがいいかな……」
「……イエリッチさん、サンを頼む」
シマはイエリッチとサンに向かって親指を突き出す。
「大丈夫だ……それにサンは最強の女だからな」

「ケントとか言ったな、強く生きろ……」ヴォルフはケントの肩を強く握った。ケントは静かにうなずいた。
三人はヴォルフの手を熱く握り交互に頬を寄せた。
眼を合わせ、三人とももう二度と会えないかもしれないと感じていた。


5万人もの観客が入る巨大ドームに静寂が訪れた。
大の字になったズィルバー・ヴォルフことシマはリングにたった一人、大の字に寝ていた。興奮と周りの巧みな誘導でシマ一人が残っているのに気づく者は誰もいなかった。

リング上の照明も落とされ、広い会場内は最小限の明かりだけが灯された。
「もう、出てもいいぞ」
「プアッ! それにしても、リング下は蒸し暑い」
リング下から布を捲り、ゆっくりとロープを掴み海野が顔を上げた。
氷嚢を手に顔の腫れは、少しは引いていたが顔はまだまだ無惨な状態であった。
「すまんな……ずいぶんひどい目に併せて」
「あんたの口づけの代わりなら安いものですよ」海野は笑った。
「それより……シマさん、教えてください。あなたはこの試合である時、わたしがリング下エプロンに隠れているのに気がついていた。そして台本通りハンナに勝ちを譲ろうとしたが、ハンナと入れ替わったサッカの突然のアクシデントで引き分けになった」
「……」
ヴォルフは大の字のまま横を向いて海野の話を聞く。
「その後、わたしを心配して暴れたのはドン・マッチ一家を欺く演技なんですか?」
「さあな……頭を強く打って忘れた……」シマは後頭部を押さえ、ふらつきながら立ち上がった。そして新しい銀狼のマスクを外しリングの中央にそっと置いた。シマは長い今日一日の事を回顧した。
「とても疲れた……さあ、帰ろうか」
リングを降りようとすると、一足早く降りた海野はエスコートするように手を出しそして背中を見せた。
微笑んだ海野は疲れ果てたシマを優しくおぶった。ドーム内の長い通路、足元だけを照らす照明、二人でゆっくり話すのには程よい道のりであった。そしてなにより海野はシマの胸や体の温かみを感じ至福の時を迎えていた。シマも海野の温かい背中に目をつむり身を寄せた。
シマは背後から顔を寄せあい、海野の腫れあがった顔をさすりながら言った。「ずいぶん、やられたな」
「俺の顔の心配より、あなたの額の傷も、こんなになって」海野も瘡蓋になったシマの額を優しくさすった。
「そして、これ」
海野は尻ポケットから小さな小瓶を出す。
「シマさん、あなたが欲しがったモノですね」
小瓶の底を見せると海亀のイラストが入っていた。
……フッ、こんなところに印が。間違いない、探し求めたイレイメノツキだ。
「ガイゲルは第三次世界大戦に俺が助けた戦友でね」
海野はあまり思い出したくない苦い記憶をたどりながら話し始めた。
「連合艦隊旗艦大和を囮にしたハワイ上陸作戦。連合艦隊副司令長官の家具屋真司が指揮する原子力空母武蔵から上陸部隊の一員としてわたしはハワイ島に上陸した。ハワイ島を占拠しているネオナチス軍の攻撃はすさまじく、そこかしこに地雷が埋められていた。やっとの思いで俺が陸に上がったときには、多くの若い兵士の死体が横たわり、千切れた兵士の頭や腕や胴体が四散ていた。そこはまさしく地獄だった。一足先に駆逐艦から上陸したアメリカ海兵隊のものだった。両足を吹っ飛ばされたドン・マッチはほとんど死にかけていた。記憶のないマッチを抱き上げガイゲルは一人でネオナチスの兵士を相手にマシンガンをぶっ放していた。ネオナチス軍兵士に囲まれ、弾が底をつき、これまでだとガイゲルは想っただろう。そこに我々日本軍が到着し二人を救った。
 ガイゲルも深い傷を負っていたが、マッチを先にヘリコプターで救助した。その後、イエリッチ率いる増援隊も到着し、日米合同軍が圧倒し始め第三次世界大戦は数日で終了した。今では第三次世界大戦はなかったものとされハワイ戦役と呼ばれている。しかし、わたしは見た核爆弾を搭載された大陸間弾道弾が発射された事実を、そして装備で上回っているネオナチス軍と血で血を洗う戦いがあったことを。傷を負っているのにもかかわらずガイゲルとはその後、共に戦った。両軍で数十万の兵士が命を落とした」

 海野はまだ知らない。大和ともに沈んだ最期の連合艦隊司令長官・浦シマを今おぶっている事を。海野にとってはシマは、音楽プロデューサーで、女子プロレスラーの日独ハーフの安浦 HERО 志摩であった。

「ガイゲルが裏切るとは考えなかったのか。マフィアの血の掟、裏切り者には死が待っている」さらにシマは海野に問う。
「奴はそんな男ではない……」海野は話を続けた。

「ガイゲルもマーガレット孤児院出身なのでね。それと、シマさんあなたと同じで奴は死を恐れていない」
「それよりシマさん、一昨日、マネージャーであるわたしを騙しましたね」
海野は振り向きシマを睨んだ。
「昼の試合が終わったヒューストンで夜、友人と食事をすると言って出て行った。実はプライベートジェットでここユニコーン・ドームでサンと試合をしに来ていた」
「それで」シマは合いの手を入れた。
「あなたはガトーになった。女格闘技世界一決定戦アルティメット・ゾーンの決勝戦で謎の格闘家カトー・グワジ・ヤシンとして東京オリンピック二冠のサンと戦い、秒殺した。その後またプライベートジェットでヒューストンに戻ってホテルにチェックインした。ドライブが好きだと言って車の運転は常にシマさん。車のキーも常に持っている。それは、出て行くため。一回戦でも同じことをしましたね。あなたは化け物のように凄いが、このスケジュールを可能にする影の協力者がいる。それはあなたにとってとても大切な人」


ドームの道のりも終わりを告げようとする時。
「わたしはいろんな組織に狙われている。一緒にドームから出たら身の危険があるかもしれないぞ」シマは海野の耳元で呟いた。
「……地獄の底までお供しますよ」海野は前を向きキッパリと言った。

第18話 HОLY WAR


 薄暗い会場からドアを開けると、眩いばかりの光に包まれた。
シマと海野は腕で眼を押さえた。そこに一人の男のシルエット。
「おまえは、やはり家具屋!」
「ご苦労様でした」執事のように家具屋(34歳)は右手横にして頭を下げお得意のポーズを取る。
その横にはナサカー薬品の広告が施されれた丸い甲羅のような物体。
頭と四つのヒレを出した海亀ロボットのTENCHIがいた。
ナサカー薬品の宣伝用ロボットとしてこの会場に来ていたようだ。
海野は誰もいないホールに驚いた。人払いをしたのか。ガラス越しには人だかりが眼下に見える。ハンナが群衆に肩車されて騒いでいた。
シマは海野の背中から降りた。
家具屋に促らされて、3人とTENCHIは少し歩いた後、ドアを開け外に出た。
そこはテラスになっていた。夜空に黄色の満月が出ていた。試合が始まる前より月が丸くなり遥か上空に上がっていた。シマは束ねた後ろ髪を解いた。銀髪が夜風に靡き、月の光で銀色の細い糸が煌めいた。「海野、家具屋と少し話をさせてくれ」と言って海野の傍を離れて家具屋の方に行った。
家具屋はシマの額を触りながら「額の傷、痛そうですね」
「こんなもの、大した傷ではない」シマは即答した。
「シマさん悪いけど、少し稼がせてもらいましたよ」
「マーガレット孤児院への寄付のためかな……さすが家具屋だ。相変わらず抜け目がないな」シマは微笑んで親指で家具屋の頭をついた。ハンナ対ヴォルフ、試合の賭けの大口引き分けの投資は家具屋の企みだったのであった。
「シマさん例の物は手に入れれましたが」TENCHIが赤い眼を点滅させて口を開いた。
「そんなにこれが大切なのか」シマはコスチュームの胸からイレイメノツキの瓶を出す。
「月の竹の命令ですよ……」
シマは海亀のシールが底に入った瓶を上空の月に向け高々と上げた。

シマは分かっていた……軍事利用されれば世界を滅ぼしかねない、平和利用されれば多くの病の人を助ける薬……しかし、地球の本当の平和を願う「月の竹」はこの時代にはまだいらないと判断したんだな。


「TENCHIがいるという事は、もう帰らないといけないか」シマの問いに頷く家具屋とTENCHI。
タイムリープするエネルギーはそんなに残っていないはず……
「武道館に帰りましょう」家具屋は云うと、シマは踵を返して少し離れている海野のほうに歩いて行く。
二人は見つめ合ったまま何も語らなかった。
「……お別れのようですね」
シマは海野の頬を両手で触り。
そっと口づけを交わした。
「……」家具屋は優しい眼でその様子を見ていた。TENCHIは高速で赤い眼を点滅させていた。
全てを察したのか、海野は一人ドアを開けその場を離れた。
……わたしの理想の人。
暫くして海野が再びドアを開けた時は、二人とTENCHIは消えていた。
夜空の真上に黄色の満月が上がって、一人残った海野を照らし続けた。


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