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サッカーが与える絶望と希望。ティトー、ユーゴ内戦、そしてオシム 4/9

#4:サッカーという名の「劇薬」

■サッカーという名の「劇薬」

ただし、ユーゴにおけるサッカーは、社会の統合装置としてのみ機能したわけではない。実際には、モザイク国家を解体に向かわせるような危険と背中合わせの「諸刃の剣」であり、一種の「劇薬」だった。

その事実はクラブチームに目を向けると、より明らかになる。象徴的なのは、クロアチアのハイドゥク・スプリットのウルトラス、トルツィーダだろう。

トルツィーダは1950年に結成。ヨーロッパで最初に登場したサポーターグループとして、他国のサッカー界にも大きな影響を与えていく。ところが彼らはクロアチアの民族主義を前面に打ち出していたため、ユーゴ共産党によって解散を命じられる。さらにハイドゥクは、エンブレムに赤と白のクロアチア国旗を使用することも禁じられた。

右はハイドゥクが現在使用しているエンブレム。左は1960年から90年まで用いられていたもの。ユーゴ共産党の指示によって、赤と白のカラーリングが禁じられていたことがわかる。言葉を換えれば、サッカーが諸刃の剣、劇薬であることは為政者にも認識されていた

■ユーゴリーグの二重構造

関連して指摘できるのは、国内リーグが抱えていた「二重構造」である。たしかにユーゴでは、各共和国のクラブチームが一堂に会してリーグ戦を繰り広げ、国内王者を決めていた。だが各共和国にはそれぞれのサッカー協会が存在し、独自に活動を行っていたため、各クラブを自分たちの民族や地域、共和国の代表として捉えるような傾向は、色濃く残り続けていた。

ティトーはサッカーを通じて団結心と連帯の醸成、「ユーゴ」としての愛国心の高揚を試みた。しかし実際には、サッカーが盛んになればなるほど、民族意識も自ずと高まる仕組みになっていたのである。

ユーゴの国内リーグは、当初から根本的な構造矛盾を抱えていた

■建国の父、ティトーの死

その事実があまり表面化しなかったのは、ティトーという絶大なカリスマが「重石(おもし)」として鎮座していたからに他ならない。案の定、彼が1980年に逝去すると様々な問題、ひいてはユーゴという国家が抱えていた火種が噴出してくる。

ティトー亡き後、ユーゴでは少しずつ進行していた経済危機が急激に悪化し、労働者によるデモも頻発。高まる不満を背景に、くすぶっていた各国の民族主義に再び火がついていった。導火線の役割を果たしたのは、やはりサッカーである。理由は簡単。サッカーはユーゴで最も普及し、最も広く親しまれ、最も人気が高い国民的なスポーツだったからだ。

■サッカーが持つ恐ろしい力

そもそもサッカーは、最も多くの観衆を同じ場所(スタジアム)に動員し、非日常的な雰囲気を作り出しながら、数千人、数万人単位で人々の感情を揺り動かせるという、恐るべき力を持っている。しかも政治経済、歴史、文化、地域問題、市民感情など、僕たちの社会を構成するありとあらゆる要素を結びつける機能も備えてきた。

むろん、このような特徴はマイナスの方向にだけ作用するわけではない。近年、日本においても、サッカークラブやスタジアムが、いかに社会的なハブ機能を果たすべきかという議論がさかんなのは、皆さんもご承知の通りだ。

■ついに開き始めたパンドラの箱

だが歯車が逆の方向に回り始めると、サッカーは社会が抱える問題を増幅させ、飛び火させていく装置に様変わりする。たとえば本来はクラブやサポーター同士のライバル意識に過ぎなかったものが、政治的な文脈と結びついて強調される、あるいは政治的な対立関係が試合に投射され、さらに憎しみを掻き立てていくようなパターンだ。

これこそティトーの死を境に、ユーゴで一気に増加した現象だった。うがった見方をするなら、ティトーがサッカーに肩入れしたからこそ、もたらされる弊害も大きくなったと捉えることも可能だろう。いずれにしてもサッカーという名の不吉な「パンドラの箱」は、ついに開き始めたのだった。

「建国の父」と慕われたティトーは1980年に他界。これを境にユーゴでは様々な問題や矛盾、民族主義が表面化し、国家そのものが解体へと向かっていく (写真提供:Shutterstock)

■僕のクラブは戦場だった

その象徴的な出来事となったのが、1990年5月、クロアチアの首都、サブレブにあるスタディオン・マクシミールで行われた試合、ディナモ・ザグレブ対レッドスター・ベオグラード戦だ。

詳しくは、私がnoteで全文公開している『Ultras」の第8章を是非お読みいただきたいが、この試合は翌年に勃発する「クロアチア独立紛争」の前哨戦になったと位置づけられることになる。

『ウルトラス 世界最凶のゴール裏ジャーニー』

しかも実際にユーゴ崩壊が始まると、サッカーはさらに忌まわしい役割を担う。他国と戦争を行う際には、頑健で血気盛ん、相手に強い憎しみや反感を抱きながらも、上官の命令通りに動ける若者を動員することが不可欠だ。これを手っ取り早く実現すべく、ユーゴに点在する各クラブのウルトラス組織は、新兵をかきあつめる草刈り場となったのである。

『ウルトラス』の該当箇所は、戦場に送り込まれたとある若者の衝撃的な証言で締めくくられている。彼はハイドゥクのウルトラス、トルツィーダのメンバーだった。

「銃を渡されたという違いがあるだけで、まるでスタジアムにいるみたいだったよ。この戦争は 何にも増して、サッカーのサポーター同士による戦争だったんだ」

 (文中敬称略)
 (写真撮影/スライド作成:著者)

前編:#3:建国の父がサッカーを選んだ理由

続編:#5:そして「東欧のブラジル」は消滅した 


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