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ジェコが語るW杯初出場、祖国ボスニア、イヴィツァ・オシム③(原題:「初めてのW杯を我が祖国に捧ぐ」)

 (前編より続く
  他方、戦争の暗い影と根深い民族対立は、ピッチ上にも実害を及ぼし続けてきた。

 ボスニアのサッカー界は、ムスリム教徒のボスニア人、正教徒のセルビア系、そしてカトリック教徒のクロアチア系が混在する国内情勢を反映している。しかも各派がそれぞれ代表を擁立し、サッカー協会の会長を交代制で務める状況が続いていたために、健全な運営がなされずにいた。その窮状に輪をかけたのが、深刻な腐敗や財政難の問題である。

 事態を重く見た UEFA や FIFA は、2011年3月に「正常化(協会会長の一元化」を勧告する。にもかかわらずボスニア協会は自らの手で状況を改善できなかったために、UEFA や FIFA から加盟資格を剥奪され、各年代の代表チームが国際試合に出場できなくなる事態にまで追い込まれた。

 未曾有の危機を乗り越えるべく、ここで立ち上がったのがイヴィツァ・オシムだった。麻痺の残る身体を引きずりながら、オシムは各派の調整に奔走。「正常化委員会」の座長として協会の規約を改定させ、やがては会長の一元化を実現させていく。献身的などという言葉では表現しきれない。まさにオシムの命がけの活動があればこそ、ジェコたちはW杯出場の悲願を達成できたのである。

FIFA・UEFAの使節団との交渉を終え、取材に応じるオシム。頭上のパネルには WE CARE ABOUT FOOTBALL(私たちはサッカーを大切にしています)というスローガンがある

 問題を抱えているのは、サッカー界だけじゃない。ボスニアの人たちは毎日、様々な面で苦しい生活を余儀なくされているんだ。

 とはいえ資格を剥奪された時には、不安に苛まれたよ。処分は比較的早く取り消されたけど、いかに大変な状況だったかは、オシムの行動が象徴していると思う。彼は各派閥の橋渡しをしただけでなく、FIFA や UEFA との交渉も成功に導いた。あんな真似はオシムにしかできない。彼はボスニアに住むあらゆる人々から尊敬されていればこそ、協会をまとめ上げることができたんだ。

 オシムのことは、誰もが実の父親のように慕っている。他の国に住んでいる人達は、僕達がオシムにどれだけ深い愛情と尊敬を抱いているか、本当の意味では理解できないと思う。オシムは僕達を救ってくれただけじゃない。ボスニアサッカーの根幹そのものに、とてつもなく大きな影響を及ぼしているんだ。

オシムを良く知るベテランジャーナリストが見せてくれた、サラエボのサッカー史に関する古い資料。中央にオシムの名前 (Osim Ivan) がある

 実際、僕達が予選通過を決めた時にも、オシムはものすごく喜んでいたよ。わざわざスタジアムに来てくれて、試合が終わった後には「君達はこの国に誇りを与えた。ボスニアの人々は、君達のことを絶対に忘れないだろう」と讃えてくれたんだ。

 オシムは、僕を昔からいつも褒めてきてくれたし、かけてもらった言葉も沢山ある。でも多分、僕の印象に一番残っているのは、1990 年のW杯で彼が率いた、偉大な旧ユーゴスラビア代表に関する会話だったと思う。オシムは会話の中で「もしあの大会で自分達が優勝していれば、戦争は避けられたかもしれない」と言ったんだよ…。

ジェコを軸とするボスニア代表は、W杯ブラジル大会において、国際大会の本大会に出場するという悲願をついに実現。ボスニアと同国のサッカー史に新たなページを刻んでいる

 W杯に出場できるのは、様々な人々を身近に結びつけていく上で本当に役立つと思う。僕は自分のキャリアを政治的な見地からは捉えていないけど、これまで(人種や民族問題が理由で)代表のことを毛嫌いしていた人達も、来年の夏は是非肩入れして欲しい。

様々な人々が同居するボスニア。オシムの献身、そしてジェコをはじめとする選手たちの情熱によって国際大会本大会出場を果たした代表チームは、サッカーを通して民族の垣根や過去の歴史を乗り越えていくという、大きな使命を担っている

 サッカーの試合では、正教徒がムスリム教徒にパスを出しても、問題になったりはしない。大事なのは、選手が着ているユニフォームの色だけだろう? 応援すべき代表チームなんて、ボスニアには他にないんだから。

 たしかにこれは、たかがサッカーの出来事かもしれない。でもボスニアにおけるサッカーは、スポーツの枠をはるかに超えた役割を担っている。僕達のチームが予選を突破できた意義は、限りなく大きいんだよ。  (了)

(文中敬称略。初出:Sports Graphic Number 842号)

ジェコが語るW杯初出場、祖国ボスニア、イヴィツァ・オシム②
ジェコが語るW杯初出場、祖国ボスニア、イヴィツァ・オシム①


 私は基本的に、過去に雑誌やウェブサイトに寄稿した原稿を再掲することは行っていない。だが今回はユーゴ事情、とりわけオシムの功績を理解していただくために、あえて共有させていただいた。関係各位には、私の真意をご理解いただければ幸いだ。 

                           田邊雅之


『ウルトラス 世界最凶のゴール裏ジャーニー』

                                                   

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