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ジェコが語るW杯初出場、祖国ボスニア、イヴィツァ・オシム①(原題:「初めてのW杯を我が祖国に捧ぐ」)

 『ウルトラス 世界最凶のゴール裏ジャーニー』は、世界各国のサッカー界の実像を浮き彫りにするノンフィクションとして、大きな反響をいただいている。とりわけ旧ユーゴ諸国に関する章は、多くを考えさせられるという感想をお寄せいただいた。

 私はユーゴ編のサブテキストとして『サッカーが与える絶望と希望』と題したコラムを公開したが、2013年11月、Sports Graphic Number 842号 に寄稿した原稿、イングランドの知人であるサイモン・マロックと共に実現させた、エディン・ジェコ(当時マンチェスター・シティFC所属)の独占インタビューも再掲させていただくことにした。

 ボスニア代表が成し遂げたW杯初出場(ブラジル大会)の意義、ジェコの人柄とサッカーにかける情熱、そしてオシムの功績をさらに理解するための資料として、お読みいただけば幸いだ。
(ヘッダー写真:Shutterstock)


 2013年10月15日、リトアニア第二の都市カウナス。試合終了を告げるホイッスルが鳴った瞬間、スタジアム内は興奮と熱狂に包まれた。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表がリトアニア代表を下し、建国初となるW杯出場を決めたからである。歴史的偉業に沸き立つ場内の一角には、ハンカチを目がしらに当てるイビチャ・オシムの姿も見えた。

 その数日後、エディン・ジェコはマンチェスター・シティのクラブハウスに戻っていた。スカイブルーのソファーに座ったボスニア代表のエースストライカーは、指を組み目を閉じたまま、静かに口を開いた。

 今回のことは絶対に忘れられない。最終戦でリトアニアに勝った試合には、6000人ものファンがやってきてくれたし、サラエボでの祝賀会も本当に特別な思い出になった。  

 僕はボスニア・ヘルツェゴビナで生まれ育った人間だ。あそこが自分の故郷だし、家族や友達もみんなボスニアに住んでいる。だからこそ、祖国のサッカー史に新たな歴史を刻むことができたのは何よりも嬉しいね。 

 僕は以前、ブラジル大会に出場するためなら、自分が取ってきたすべてのトロフィーと交換してもいいとコメントしたことがある。これは本心から出た言葉なんだ。僕たち選手は、W杯でボスニア代表の姿を見せるという夢を実現するために生きてきた。来年のブラジル大会は、サッカー選手としての自分にとってキャリアの頂点になると思う。

 ただしW杯出場には、もう一つ決定的に重要な意義がある。それは予選突破が新しい希望の光を照らす――いろんな問題を抱えてきた僕の祖国に、ある種の平和をもたらすきっかけになるということなんだ。

 ボスニア代表、ブラジル行きのチケットを獲得。この一報は多くのサッカー関係者から驚きをもって迎えられた。グループGに名を連ねていたのは、ボスニア、ギリシャ、スロバキア、リトアニア、ラトビア、そしてリヒテンシュタインの6カ国。過去の実績から考えた場合、首位通過の本命はあくまでもギリシャと目されていたからである。 

 でも僕自身は、本大会に進めるチャンスがかなりあるはずだと信じていたよ。そもそもボスニア代表には、GKのアスミル・ベゴビッチ、MFのミラレム・ピアニッチやズビュズダン・ミシモビッチ、そしてFWのベダド・イビセビッチと優秀なメンバーが揃っているし、予選では若い選手も新たに加わってきた。僕のワンマンチームどころか、得点力が高くて失点の少ない、すごくいいチームに仕上がっていたからね。

 それは記録にもはっきり表れている。2位のギリシャとは得失点の差だけになったけど、公平に見るなら、一番優秀なチームが順当に勝ち抜けたと言えると思う。

 本人は謙遜するものの、チームの中で誰より気を吐いたのはやはりジェコだった。彼は予選で10点を挙げただけでなく、頂上対決ともいえるギリシャ戦では、名実ともにチームの大黒柱であることを強烈に印象付けた。昨年(2012年)10月、アウェーで行なわれた初戦こそ無得点に終わり0-0で引き分けたものの、3月のセカンドレグでは2ゴールを記録。チームを3-1の勝利に導く原動力となっている。

 代表の試合に臨む時の僕は、プレミアリーグのマンチェスター・シティでプレーしているエディン・ジェコじゃない。サラエボ市内で生まれ、代表のために戦うボスニア人としてのエディン・ジェコなんだ。

かつてオシムが指揮を執り、ジェコも所属していたゼレスニチャールのスタジアム。鉄道員のチームを母体としているため、敷地内には機関車が展示してあった
ゼレスニチャールのクラブハウス。小さな応接室にはクラブのエンブレムや、オシムをはじめとする歴代監督がもたらしたトロフィーが誇らしげに飾ってあった

 僕は代表に全身全霊を捧げている。もちろんシティの試合に出た時にも必ずベストは尽くすし、違いは心理的なものにすぎないのかもしれない。でもクラブチームでプレーするのと、ボスニアの国旗を背負って試合に出るのは相当違うんだよ。

 僕は今、マンチェスターで暮らしているけど、やっぱりサラエボは恋しいね。家族や友達にも会いたいし。ただイングランドの環境が、ボスニアとかなり違うのも事実だ。生まれてこの方マンチェスターを出たことがない人が、サラエボで暮らし始めたりしたら、カルチャーショックを受けると思う。 (続編へ)

(文中敬称略。初出:Sports Graphic Number 842号)


ジェコが語るW杯初出場、祖国ボスニア、イヴィツァ・オシム②

『ウルトラス 世界最凶のゴール裏ジャーニー』


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