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今話題の映画『オッペンハイマー』を同じく敗戦国のドイツで鑑賞してみたけどやっぱ日本人必見だと思う。

こんにちは、ドイツに住む移民 ちぎらです。

先日、日本でも話題になっている映画『オッペンハイマー』を鑑賞してきました。今回はその感想を”ネタバレなし”で書いてみたいと思います。

世界初の原子爆弾を開発した「原爆の父」として知られる理論物理学者ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた本作品。

日本では、『オッペンハイマー』が同じくアメリカで制作された映画『バービー』と共同で”不適切な宣伝”をしたことで物議をかもし、各ニュースサイトやSNSで話題になっていました。
※日本ではまだ公開日は未発表

正直ここ最近はテーマが重めの映画をみる気分ではなかったのですが、以下の理由から鑑賞することに決めました。

1.日本人として観ておくべき作品だと思ったから
2.インテグレーションコースの先生に「この映画に関するあなたの意見を聞きたい」と言われたから

理由1は、まあ大体どういうことか分かると思います。ちょっとよく分からないのが理由2だと思うので、少し説明したいと思います。(早く本題に行けよ、と思う方、すみません。ちょっと説明させてください。)

私のインテグレーションコースの先生はセンシティブな話題に対して結構オープンな性格なんです。

ちなみに、インテグレーションコースとは、ドイツで滞在許可を得た(ビザを取得した)人が受ける権利を与えられる、ドイツ生活で必要な最低限の知識(ドイツ語、文化、歴史、法律など)を学ぶことができる制度のことを指します。

私は今年の8月末からインテグレーションコースに通い始めたので、まだ開始1か月目。クラスメートは大体20人ほどで、そのうちの半数がウクライナ人です。

初めての登校日早々に驚きだったのが、同じくそのクラスに初めて来たウクライナ人のクラスメートに自己紹介をさせたあと、先生が聞いたこの質問。

「あなたはウクライナに帰国するつもりなの?それともドイツにそのまま滞在するつもりなの?」

身の危険からやむを得ずドイツに来て、少なくとも現地点では帰りたくても帰れないウクライナ人に対して、この質問するのって結構すごくないですか…(笑)正直このときは心の中で、「ひょえー!大丈夫なんかいそんな質問して!」と仰天しました。

そんな先生が、登校3日目の私に聞いたのは「ちぎら、オッペンハイマーもう観た?」です。

話が少しずれますが、高校時代にアメリカ留学をしていたとき
歴史の授業の一環で原爆に関するビデオを視聴する機会がありました。
印象に残っているのが、先生がそのビデオを視聴する前に私に個人的にかけてくれた言葉。

「衝撃的なシーンもあるから、必要な際は無理せず、教室を出て行っても構わないからね。」

被爆国の日本から来た私に対しての配慮の言葉でした。

アメリカの高校の授業で観たものはドキュメンタリー映画だったのもあり、被爆された方の実際にただれた肌や痛々しいシーンなども躊躇なく盛り込まれていました。こうした描写が得意でない人は、日本人でなくても心にくるものがあるでしょう。ひょっとしたら、グロテスクな描写を見慣れている人でもショックを受けるかもしれません。
たしかに、今回のオッペンハイマー映画はそうした”リアルな”シーンがほとんどないので、観るものの心構えもたしかに全く違います。

とはいえ同じく原爆をテーマにした映画なのに、アメリカでは見なくてもいいよ、と気遣われ、ドイツでは逆に観ることをおすすめされるって…

原爆を落としたのはドイツではなくアメリカなので、自分の国がしたわけでないからおすすめできるというのも分かりますが、対応が正反対であることが面白いと感じました(笑)

というわけで、その日の夕方に特に予定があるわけでもなかったので、近くの映画館で『オッペンハイマー』を鑑賞することにしました。

結論からいうと、私は”いい映画”だと思います。

”いい映画”の定義は映画のジャンルや個々の映画、そして人によると思うので、ここでは
・中立的(一つのイデオロギーまたは国に偏りがない)
・主人公の感情や体験を疑似体験しているように感じる
・強いメッセージ性がある
とさせてもらうことにします。

まず、”中立性”に関して。
この映画は、一般的に映画評論家と視聴者の双方から高い評価を得ているらしいですが、もちろん批判の声もあります。
冒頭でも話したように、一つは宣伝方法に関してですが
問題となっているのが「被爆の様子」と「投下するまでの経緯について」の描写に関してです。

上述したように、本作品にはいわゆる「被爆した人々」の様子は描かれていません。被爆に関する描写は、オッペンハイマーが投下後の日本の景色や人々の状況を”実験結果”としてスクリーン上で説明を受けている場面で、ひどくショックを受けているような表情を浮かべているというシーンにとどまっています。

また当時、日本のどこに原爆を投下するか、どの範囲まで影響を与えられるかを推定するために実際には日本や広島/長崎周辺の地図を用いたようですが、その描写も本作品にはありません。

原爆をひとつの大きなテーマとしている映画にもかかわらず、被爆の様子がほとんど描かれていないこと、地図を用いながらどのように被害を与えるかという話し合いの描写がないことに関して、オッペンハイマーやアメリカの行為の非人道性を十分に描ききれていない、アメリカよりの弱腰の作品だ、という声があるのでしょう。

ここからは映画を観た私の感想です。

そうした声も分かることには分かるなとも思いました。が、同時に的外れなコメントだとも思いました。なぜならば、この映画の趣旨は原爆でなく、あくまでも原爆の父「オッペンハイマー」だから。本作品は彼の生涯や、終戦後にどのように彼が追い込まれていったのかを描いたものであって、原爆の恐ろしさを伝えることがメインで作られたものではないことは心に留めて観る作品だと思いました。

一方で、彼が実際に被爆の状況を知り苛まれる罪悪感は、映像美とオッペンハイマーを演じるキリアン・マーフィーの表情を観ているだけでひしひしと伝わってきます。作品後半は観ているこちら側も「どうしたらいいんだ、誰か助けてくれ!」というはやく映画館から飛び出してどこかに逃げ出してしまいたい焦燥感に襲われました。

わたしがこの映画をめーっちゃ短く要約するとしたら
「映像とサウンドが美しいかつ恐ろしい、オッペンハイマーの興奮と苦悩を疑似体験できるスリラー映画」になるでしょう。

そうです。本作品のもう一つの見どころは目を奪われる映像美。しかし、映像美といっても常に心を魅了してくれるだけでないのがクリストファー・ノーラン監督の離れ業。その美しさで、緊張感あるストーリーの中で固くなった心臓の筋肉が緩んだと思ったら、なぜか同じ映像でギュッとまた身を縮めたくなる。そんな感じ。

もう一つわたしが感じたこの作品のメッセージは、クリストファー・ノーラン監督が伝えたかったのは「ただの過去の出来事」ではなく
「これからの未来」と「その実現に必要な多角的な視点を持つことの大切さ」じゃないかということ。

少なくともこの映画は、その視点を持つ手助けをしてくれた気がします。

私が今気になるのは、やはり世界で唯一の被爆国である日本の人びとがこれを観たらどう思うか。原爆がメインでないにせよテーマの一つではあるので、日本人必見の映画だとわたしは思います。

これまでの批判批評は被爆国ではない国から生まれたものなので、日本で公開され次第、また違った意見が出てくるかもしれません。

「アメリカが戦時中の原爆を正当化するために作られた映画」とも
「日本を苦しめた原爆をつくった”元凶”のオッペンハイマーは、絶対悪ではなかったのか」とも
色んな捉われ方をされると思います。

日本でどの意見や立場が主流になるのかは、世界も注目しているはず。

まだ日本では公開されていませんが、もし鑑賞された際はぜひ感想をお聞かせください。

それでは、今回の記事を最近インテグレーションコースで習ったこの表現で締めたいと思います。

Wirklich empfehlenswert! (まじでおすすめ!)

それではまた!




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